2話 始まりの閃光
「ほんとはさあ、彼女に誘われてここ受けたんだけどさ、結局受かったのは
俺だけ。そしたら、あいつ突然泣きだしちゃってさ」
「そ、そうなんだ」
「でさ、あいつが泣きながら言うわけ、なんで同じ学校に行こうねって言った
のに、貴方だけ受かるのよお!ってさ。俺、もうどう答えて言いか困っちゃっ
て」
まったく困っているようには見えなくて、思わず颯太は苦笑いをもらしてし
まった。隣の席に座る男は満面の笑顔をふりまきながら。頭を掻いて、全身で
《困った》を表現している。
彼の名前は滝越来徒というらしい。というのも、この名前もつい何分か前に
聞いたばかりだったりする。
入学式の朝、隣の席に座れば、どちらからともなく話しかけるのは自然の流
れだ。最初こそ、健全な初対面同士の自己紹介だったのだが、それから住んで
いるところの話になり、そこから彼の地元の話が始まり、徐々に来徒の個人的
な身内の話にシフトしていき、気が付けば彼の独壇場で、すっかり颯太は置い
てきぼりになっていた。
ほっそりとした長身に染めなれた金髪。加えてこのすべりの良い口である。
軽そうな男、という表現がやはりしっくり来る。
だけど、初対面でここまで打ち解けられるのは、たしかにうらやましい。一
方の颯太はこうして新品の机に座っているだけで、緊張で押しつぶされそうだ
というのに。
気持ちよく話を続ける来徒の話はいつしか彼女に対しての愚痴がメインとな
っていた。
「な、ひでえと思わない?」
「あ、うん、たしかに」
突然振られて適当に返事を返す。
正直な話、彼女を持ったことのない颯太は彼の気持ちがさっぱり解らない。
話も着いていくので精一杯だ。
「来徒、また一人でしゃべっちゃって、彼、困っちゃってるじゃない」
来徒の後ろの席に座る女の子から、突然の助け舟。
「なんだよ、ヒナ、今いいところなのによ」
「なにがいいところよ。今日会ったばかりで、人の彼女の話を聞いて喜ぶ人な
んていないでしょ」
ため息混じりに言葉を交わす二人の間には、親しい間柄の空気が流れてい
た。知り合いだろうか。
「うぐぐ、颯太は面白い面白いって聞いてたぞ!」
そんなことは言っていないが来徒が満面にニカっと笑顔を作り
「な!」と相槌を求められると、思わず「う、うん」とつられて控えめにだが
笑顔を返してしまう。
「もう、しょうがないわね」言葉とは裏腹に口元にはわずかに笑みが含まれて
いる。来徒のそういうところも十分理解しているのだろう。それから彼女は颯
太のほうに体を向ける。
「ごめんね、ええと・・・」
「あ、僕、田中颯太」
「私は霧崎雛乃。よろしくね、陽太君」
緊張丸出しの颯太に対して雛乃はやわらかな笑顔で返す。
小柄な体つきに黒目がちな大きなつぶらな瞳は、同年代よりも幼く見せてい
る。だけどそのたたずまいはとても落ち着きを放っていて、むしろ彼女から受
ける印象は、颯太や来徒よりもずっと大人びて見えた。
「えと、二人は同じ中学?」
「あたり。でも、どうしてわかったの?」
「なんとなく。二人がずいぶん親しげに話してたから」
「わたしたちが親しげにみえた?」
颯太の言葉が面白かったのか、雛乃にふわっと笑顔がこぼれる。笑うと途端
に歳相応の可愛らしさが顔を出す。
「まあ、腐れ縁てやつだな」と来徒。
「ただの幼馴染でしょ。幼稚園から小学、中学といっしょだったのよ。これで
高校まで一緒になっちゃって。もうこれはネタ話で使えるわね」
「昔から俺の後を着いてくるやつでさ。いいかげん俺離れしろ!」
「・・・まためちゃくちゃ言ってる。いつも、巻き込まれてるのは私でしょ?
来徒を好きになる子はなぜか、必ず私に相談に来るんだから」心底うんざりだ
といった感じで言い返す。なるほど、二人は常に周知の仲らしい。こうした夫
婦漫才のような二人のやりとりは、長年かけて積み上げられてきたものなの
だ。来徒に近づく娘がまず、雛乃を気にするのはわかる気がする。お互いがど
う思っているかはひとまず置いといて、この二人の間に割って入るのは容易で
はないと、思わせる空気がある。
「そんなことより、おかしいと思わないの?」
「なんだよ、いきなり」
「時間よ、時間」雛乃はほらほらと教室の時計を指差した。後5分ほどで
10時に到達するところだ。雛乃の言いたいことはわかる。その疑問は颯太も
薄々だが感じていたからだ。
「もともと、9時までにに教室へ集まるよう、知らされてたでしょ?集合の
時間からいもうすぐ一時間経つのよ。一向に先生が来る気配もないなんて」雛
乃はゆっくりと颯太と来徒に視線を投げかけると、颯太も顎を触りながらそれ
に応えた。
「本当だったら入学式が始まってる時間かも。いくらなんでも遅すぎる気が
する」
「そうか?先生も寝坊じゃないのか?」
「もう、いつまでとぼけてるのよ。おかしな点はそれだけじゃないでしょ」
「う、うん。やっぱりおかしいよね」
周囲へと意識を向ける。この疑問に関してはおそらくこの教室
にいる人なら誰もが、感じていたと思う。
いま、この教室には、颯太を含めて7人の生徒しかいなかった。本来はク
ラスの人数は30人前後と聞いている。当然最終的にはクラスメイトが集まっ
てくると思っていた。しかし、9時には7人は集まっていて、それっきりで、
これ以上人数が増えることはなかった。
見渡すと、颯太たち以外の4人もそれぞれの席にばらけて座っている。来徒
と雛乃を含めた三人だけが隣接した席だ。颯太たち以外は離れた席になってい
る、ということもあってかまともな会話が行われているのも、ここだけだっ
た。
本来なら入学式の朝に高校生が一番に気を使うことといえば、これからの
高校生活をより楽しく、円滑に過ごすために、少しでも多くの交流を増やすこ
とのはず。なのにこの教室には、そういった前向きな騒がしさがまるでなかっ
た。
一人の生徒に目が行く。ミドルヘアーの黒髪に美人と呼ぶにためらうことの
ない整った顔立ち。目を引く容姿端麗さを除けばその容姿は、街で何度もすれ
違う女子高生となんら変わりない。しかし、彼女の身にまとう雰囲気は明らか
に街の高校生とは違っていた。
背筋はまっすぐ一本筋が通ったかのように伸び、目を瞑っているが眉間にし
わをよせ、険しさが張り付いたその表情は、緊張を切らすことは一切ない。例
えるなら、戦場に赴く戦士の気概。とてもこの場であるべき面持ちではない。
《異質》な少女に意識を捕らえられている、ちょうどそのときだった。突と
して出た来徒の言葉が颯太に届いた。
「何が起こってもおかしくないだろ。なんていったってここは特待学園なんだ
ぜ」
特待学園。颯太には初めて耳にする言葉だった。
そして、来徒の声の調子に鋭さが宿る。今までの彼のおちゃらけた態度からは
想像もできない、凶暴な貌。
「そら、きたぜ!雛乃!!」
「え、、あ、うん!」弾かれるように雛乃が応えた。
次の瞬間。
かすむ視界。真っ白な光が一瞬で世界を包む。すぐに追いつく聴覚を切り裂
くすさまじいほどの轟音と、天変地異を思わせる激震。
中学では目立つほうではなかった颯太でも、高校生になれば人並みに期待を
抱き入学式を迎えていた。新たな生活、新たな出会い。見たこともない経験が
きっと待っている。しかし、そういった希望にあふれかえった未来も思えば、
この瞬間に道を外れてしまったのかもしれない。少し未来の颯太は、今日を振
り返った時、ふとそんなことを思ってしまうのだった。