17話 いざ、教室の外へ
『で、でも、雛乃さん達はこのままでいいの!?』
すぐ足元には気を失っている雛乃と寄り添う来徒がいる。来徒は尚も雛乃の名を呼び続けていた。
一向に反応のない雛乃は確かに心配だった。
『大丈夫だ、彼女は来徒に任せておけ』
何を根拠に大丈夫だと言っているのだろうか。とにかくサクアにとっては今の最優先事項はヒカリで、それを譲る気はないのだろう。
『何かあったら私たちが教室へ直ぐに駆けつける。約束する』
不思議とサクアの口調には焦りが滲んでいた。おそらくはヒカリがこの教室から出ていくというのはサクアにとって予想外のことだったのかもしれない。
『頼む、早く追いかけてくれ』と言うサクア。ここで頼れるのは”彼女”を見ることのできる颯太しかいないということなのだろう。
『解った、僕も教室からでればいいんだね』
頼られたら、それに答えるしかない。確かに足元の二人には後ろ髪を引かれるが、今はサクアのいう通りにしよう、と思った。
しかし、ここで一つ考えがふと、頭をよぎる。
サクアのチカラは人のチカラをジャックすることができる。現に颯太のチカラも颯太自身が気づく前に確認したいたと言う。ならば、わざわざ颯太を行かせる必要はあるのだろうか、その前に自分自身で行っても同じことではないのだろうか。ヒカリという少女を見ることができるのは彼女も一緒なのだ。
外の状況は全く分からない、サクア側が今どこにいてどういう状況かも聞かなかったし、知らされていなかったから。
もしかしたら、行くに行けない何か理由があるのかもしれない。
しかし、サクアのことだ、また何かの伏線にしている可能性もある。
既に目の前にはついさっきヒカリが出て行った教室の扉がある。
最初のキッカケはいつもほんのちいさな紐のようなものだ。それに少しでも気がついたら、どうしてもその紐を引っ張って見たくなる。そして、引っ張ったら最後、紐の先には大きな塊がたくさんついていて、頭がそれでいっぱいになってしまうのだ。
考え始めたらキリがないのはわかっている。
実際、なんだかんだ言ってもサクアのいう通りにしていたら取り敢えずは状況は動いているではないのか。まあ、確かに今だにその行き着く先は真っ暗なのだが。
颯太は目の前の扉に手をかける。
”迷うことは悪いことじゃあない”
先ほど、サクア本人に言われた言葉だ。
『あの、サクアさん』
『ん、どうした、まだ教室から出ていないのか』
サクアの声には変わらず焦りが見えていた。
『うん、今出る所なんだけど、ちなみにそっちの皆は今どこにいるの?』
『まだこの学園の地理に疎いから説明は難しいが、そちらの教室とは違う階にいる。私たちが戻るにはどうしても少し時間が掛かってしまう、だから見失う前に颯太君に追って欲しいんだ』
彼女の返事は一見、理屈があっていた。ただし、それはサクアの言い分が全て本当だったらの話だ。
『本当に?』
『ん?』
颯太は一息入れる。正直、このタイミングでぶつける話なのか今だ迷っていた。
『だって、サクアさん達の目的は最初からヒカリさんだったんでしょ? それならこの教室からすぐにもどれないくらいに
離れているっておかしいよね、目的がこの教室にあるなら、離れる必要性がないと思うんだけど』
『ふむ、まあ、その通りだな』
意外にあっさり颯太の疑問を肯定したあと少しの間を作り話を重ねる。
『では、こういうのはどうかな? 確かに大きな目的はヒカリという少女なのだが、学園の探索はやはり必要だ。颯太君との通信と並行して探索は続けていた』
まるで、予め用意されたセリフを読み上げるような喋り方。明らかに、今答えを用意したばかりという感じがする。
『……何か隠してない?』
『そう思うか?』
『うん、あやしい』
通信の向こうから軽いため息が聞こえる。
『君たちに余計な心配をかけたくなかっただけだったんだがな。意外に鋭いんだな、颯太くんは』
『どちらかといえばいつも鈍感て言われるんだけど……』
『そんなことはないだろう』など、本気かフォローか分からない言葉を避けつつ言葉を選ぶ。
これはサクアのいつものペースのような気がする。乗っかってはまた話をはぐらかされる。
『その言い方だと、やっぱり何かあったみたいだね』
彼女はもう一つため息を吐くと、観念したのか話し出す。
『ふむ、そうだな、実はこちらはこちらで少し大変だったんだ』
大いに気になるフレーズだった。相変わらず彼女の言葉からは大変さは伝わってこないのだが。
『大変?』
『ああ、実は教室を出てから”攻撃”にあってな、いろいろあって今は教室から少しの離れた場所にいる』
『こ、攻撃って……え、どういうこと!? 皆大丈夫なの?』
『心配はいらない。 そもそも攻撃といっても牽制に近いもので、本気で危害を加える気はまだないようだな』
気になるのは”攻撃”という単語だった。これ見よがしに物騒な感じがするが、そういえば、以前に一度耳にしたことがあるのを思い出す。たしか閃光が起こったすぐ後の、雛乃だったヒカリとサクアの会話の中だ、閃光は何者かからの攻撃かもしれない、といった内容だったはずだ。
『”攻撃”というのはやっぱり』
『ああ、何者かのチカラを使ったアプローチだ』
『一体誰が……』
『さあな、まあ、だいたい目星は付いている。ただ、そういうことですぐにはそちらへは戻れそうにないんだ』
『目星って、わかっているの?そいつの目的はいったい何なの』
『いや、はっきりと個人の特定はできないし、目的もはっきりとは分からない』
『どういうこと?』
『おそらくは生徒会の手の者の仕業ということ以外は確信は持てないということだ』
ヒカリのお願いを思い出す。彼女は生徒会室へ言って欲しいと言っていた。何か関係があるのだろうか。
『何それ、生徒会ってこの学園の? 何でまた……』
『すまんがまだはっきりとしている事が少ない状況なんだ、分かり次第颯太くん達にも教える。ふむ、どうにか相手を鹵獲できればいいんだが』
最後に何やら穏やかではない言葉が飛び出していたが、とりあえず今はスルーしておくことにした。
しかし、サクアの今のほんの少しの話だけで目に見える空気の色がガラッと変わったような気がする。しかし、またしてもそれがあまりに突拍子もないことなのでどうしても上手くしっくりこない感情を颯太は持て余していた。
『ねえ、サクアさん』
『ん?』
『それは本当のことなんだよね?』
『信じられないか?やっぱり』
信じたい、という気持ちはあった。しかし、どうしても勝手にフィルターが一枚掛かってしまう。もしかしたら、雛乃がニセモノだとわかってしまった時点でどこか自分の箍がひとつ、はずれてしまったのかもしれない、と颯太は思う。今なら、ただの自己紹介でも、疑ってかかる自信がある。
『ごめん、もしサクアさん達が本当に危険な目に遭っていたら、僕は物凄いひどいことを言っているのかもしれない』
『無理もないよ。いきなり何かわからない事に巻き込まれて、一つ一つ丁寧に今まであった常識を潰されて行けば、そうもなる』
いつしか、サクアの言葉には先ほどまであった焦りの色はすっかり消えていた。
いつしか、今まで颯太の背後で聞こえていた、来徒が雛乃を呼ぶ声も消えていた。
教室と廊下を繋ぐ扉の前で颯太は立ちすくんだまま、ただ時間は流れていた。
『しかし、難しいものだな』
サクアは言葉を連ねる。それは今までにないとても穏やかな声に聞こえた。
『え?』
『いや、他人を動かすのは本当に難しいな事なんだと思ってな。こうして君をただ廊下に移動させるだけでもままならない』
『ち、ちがうよ、それは僕が少しおかしいだけで……』
『たしかにな、それは言える』
彼女はからかうように少し笑う。
『うう、ごめん』
『ふふ、ちがうかな、君はおかしいというよりは面白い』
『何それ、違いがわからないよ』
『そうか? 全然違うと思うが』
そう言って控えめに笑う彼女は、これでも今までで、一番感情を表に出しているように思えた。相手の顔は確かに見えないが、その声で何と無くわかる。
『でも、僕も含めてみんなサクアさんには感謝していると思うよ。だっていきなり出会ったばかりの人たちがまとまれっていう方が無茶だと思うし、あの場で手をあげれるだけでもすごい』
『そんなことはないよ』
途端に、彼女は声のトーンを落とす。
『あの時は、自分の目的を果たすためにはそれが一番効率が良いと思っただけだ。今だってそういう部分はある』
確かに彼女のそういう所は颯太も感じていた。あの迷いのない言動はハッキリとした目的意識がなければ維持できない様に思える。
『目的』
『ああ、結局本当の目的をボヤかしたままじゃあ嘘をついているのと同じだ。颯太くんがギリギリで信じきれないのもわかる』
その目的とは一体何なのかは気になるが、今は聞く時ではないような気がした。それよりもこれまでのひたすら真っ直ぐに意志を通して来たサクアにしては今の態度は意外な感じがした。
『どうしたの? 』
『どうしてだろうな、自分でもわからない。今までずっと一人で行動してきたからな、今の状況には正直、戸惑いはある』
うまくは言い表せられないが、彼女はありのままの気持ちを颯太に伝えようとしているのではないだろうか、と思う。
『難しいな』
と彼女は言葉を重ねる。
『考えすぎだよ』
『考えすぎ、 私がか?』
『うん、多分。でも、そういうものだと思うんだ、やっぱりいきなり知らない人同志が行動するのって結構大変なんだよ。大きな目的があれば未だしも、目的も曖昧、お互いの信頼もない、じゃあやっぱり疑心暗鬼になっちゃうと思うんだ』
『………かもな』
『でも、今サクアさんの話を聞けて良かった。思ってたよりも僕と似たようなことで悩むんだなあ、て思えたから』
『そうなのか?』
『うん、そんなこと、みんな日常的に悩んでいることなんだよ、きっと』
既に颯太には迷いなどなかった。通信の向こうの少女の為に少しでも力になりたい、心からそう思っていた。
颯太はありのままの気持ちを相手へ伝える。
『大分遅れちゃったけど、もう遅いかもしれないけど、いまからヒカリさんを追いかけるよ』
『本当か?』
『うん!』
『……颯太君、ありがとう』
安堵が通信の向こうからでもわかるようだった。
『サクアさん……』
気持ちの清々しさを颯太は感じていた。そして、改めて扉に手をかけようとした時、彼女から、もう一言声が放たれた。
『なんてな』
『え』
深いため息が聞こえる。サクアの心底の呆れ顔が浮かぶようだ。
『君は本当に簡単だな。逆に心配になるよ』
『え、え??』
『まあ、何はともあれ君が行く気になってくれて良かったよ』
すっかりサクアの声はいつもの冷徹さを取り戻していた。
『え、あの、さっきのってもしかして演技?』
『さあな。ただ、これからの学生生活の為にひとつアドバイスをあげるよ』
『な、なに?』
『女って生き物は、君の想像を絶するくらいに複雑で嘘つきだよ。私でも驚くくらいにね』
『……みたいだね』
『ハハッ、本当に面白いな、君は』
そして、サクアは、”らしくなく”豪快に笑うのだ。
それを聞きながら、颯太は全身の力が抜けて行くのを感じる。
『うう、こんな僕で本当にいいのかなあ』
『え、何がだ?』
『ヒカリさんを見つける役だよ』
『何を言っている、その役は今のところ君しかいないよ』
『え』
『私は彼女からえらく嫌われているからね、彼女と話ができるのは、君だけだ』
『……大丈夫かなあ』
『大丈夫だ』
『なんで?』
『私がついているからな、安心しろ、アドバイスはいつでもできる』
それでも、颯太はそんなサクアが嫌いではなかったりする。
教室の扉はようやく開かれる。颯太の廊下への一歩に、迷いは無かった。
今回は少し苦戦しました。 おもしろかったです。
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