13話 用意された真実と彼女のお願い
雛乃は偽物。
聡太にとって、サクアから放たれた言葉は色を持っていなかった。熱も重さもない。だからその言葉の持つ意味を理解することはできない。
『いきなり、何を言っているの?』
『言葉通りの意味だ。今君の目の前にいる少女は、霧崎雛乃ではない、ということだな』
突然偽物だと言われてもいまいちピンとこない。彼女とはつい先ほどの自己紹介し合ったばかりの間柄なのだ。それで今になって”実は別人でした”などと言われてもどう反応していいのかわからない。ただ混乱が増すだけだ。
しかし、聡太は拠り所が一つ、失われたような感覚にも襲われていた。 この何もわからない状況で、雛乃は比較的、聡太に近い存在だと勝手に思い込んでいた。そういう存在がいるというだけで気持ちの持ち方が全然違っていた。それがサクアの一言で一瞬で雛乃も”向こう側”へ行ってしまったような、そんな気持ちに襲われていた。
『……』
『聡太君? どうした』
通信からのサクアの声は相変わらず起伏がない。怖いくらいに落ち着きを放っていた。
『あ、ごめん。でも彼女は最初からここにいたと思うんだけど。偽物て意味がよくわからないんだ。最初から彼女は雛乃さんではなかったってことなの?』
『正確には閃光に襲われる前の彼女と後の彼女では別人、ということだな。閃光の前の彼女を本物だとすると、今の彼女は偽物ということになる』
思わぬ形で再び”閃光”という言葉がでてきた。先ほどのインパクトが嫌でも思い出される。
『でも、どうして偽物ということがわかったの? 中身を覗けるわけでもないし……あ』
『君が今思った通りだ。中身を覗くことはできないが一部を拝借することはできる』
どうやらサクアは最初に教室に同級生が集まっていた時点で、一人ひとり全員分のチカラを拝借して確認していたらしいのだ。
つまり、最初にこちらにそれぞれの能力を聞きにきた時点で既に中身を調べられていたわけだ。さすがの手回しの良さだ。
『ということは最初から知っていて黙っていたんだ……』
『そういうことになるな。まあ、まだその時は確信は無かったがな。それよりも置かれた状況について、一つでも多くの情報を集める事の方が優先だった』
『今は確信があるってこと?』
『ああ、ほぼ間違いないと思っている。まず、閃光の前後でチカラの性質がまるで変わっていた。チカラを複数持つ者も確かにいるが、性質そのものがまったく別物になる事は考えずづらい。それにな』
『それに?』
少しの間を作った後、サクアは続ける。
『驚くことに閃光の後の”彼女”をジャックすることができなかったのだ』
その彼女の反応は聡太を別の意味でも驚かせた。
彼女にしては珍しく口調を強めている。それは溢れ出る興奮を何とか抑えている、ように感じられた。いつものガッチリと張り付けた冷徹が、思わず剥がれそうになっている。そんな印象を受けた。
『何それ、どういうこと?』
『理由は特定できないが、同じ人物の持つチカラがこんな変化をみせるとはどうしても考えられない。こんな事例は見たことも聞いたこともないぞ』
話の後半にもなると彼女の口調は完全に高揚を隠せていないようだった。彼女にとって、この事実はむしろ願ってもない事なのかもしれない。
『あの、サクアさん、もしかして喜んでない? 』
『む……すまん、少し取り乱してしまったようだな。 それほどに今の彼女は非常に希少な状態になのだ。正直、強い興味を抱いてしまう』
冷ややかな口調に我を取り戻したのかコホンとちいさな咳をひとつついた。やはり彼女はチカラそのものに何か深い拘りを持っているようだ。颯太の方は彼女が初めて見せる反応に対し、つい、少しばかりの興味を 抱いてしまうのだった。
『で、でも、雛乃さん、普通に自分の過去も語っていたような。来徒くんに対しての反応も、昔からの知り合いに対しての正常な反応に見えたし……偽物て言われてもイマイチピンとこないというか』
『おそらく、それが彼女のチカラを解き明かす一つのポイントになるのだろう。本人でも意識しないままチカラが作動しているのかもな』
あくまでも偽物論を曲げるつもりはないらしい。しかし、そうなるとひとつ重大な問題が出てくる。
『ん? じゃあ今の雛乃さんが別人てことは当然以前のおチカラは使えないってことだよね』
『そういうことになるな』
『この教室を覆っているはずの防壁はどうなっているの?』
『当然、存在していないだろうな。今の彼女にそんなものを作り出す力は無いのだから』
颯太は全身の水分が全て蒸発して行くような感覚に襲われていた。今まで当然だと思われていた安全が音を立てて崩れていく。
『え、ということは次、閃光に襲われた時はどうなるの!?』
『まあ、防ぎ様がないから終わりだな』
平然と絶望的が紡がれて行く。もっとも彼女の口ぶりからはまったく絶望感など伝わってこないのだ。
『おわりだなって、なんだかんだ言って、何か対策を考えているんでしょう!?』
『次に閃光に襲われた時に全員を救う手は残念ながらない。だが、まあ、それは心配ないだろう』
『へ? 何それ』
『先ほどの閃光と同じものが再びくるのだったら、物理的な危険はない、ということだ。まあ、聡太くんも教室の外に出てくればすべてを理解するだろう』
『え、ちょ、ちょっとまってよ』
サクアの説明では相変わらず聡太には理解できない。教室の外?一体何のことだろう。
彼女は続ける。
『もしかしたら、”閃光”には私たちが考えているのとは、全く別の側面があるのかもしれないな。その鍵は当然、霧崎雛乃の姿をした、そこの少女だ』
まるで説明の役割を果たしていない、ボヤけた彼女の言葉の中で、なぜかそれだけは鮮明に聡太に届いた。心なしかサクアも昂ぶっているように感じられた。
「ねえ、颯太君! 大丈夫!?」
心配そうな雛乃の声。聡太の意識は、強制的に現実へと引き戻される。サクアとの通信に気を入れすぎていたらしい。心配されるほどに、棒としていたのだろう。
「う、うん。大丈夫、何でもない」
自然と少女と目が合う。改めて、バランスの整った可愛らしい顔のつくりだと思う。所々に幼さがまだ抜けておらず、童顔と言っても差し支えないだろう。しかし、自然と醸しだされる空気は大人びていて、そこから生まれるギャップが彼女の大きな魅力となっている。
「ど、どうしたの。私の顔に何かついている?」
「あ、ごめん」
あわてて目を逸らす。偽物なんてことを言われては、どうしても意識してしまう。感情を隠し、簡単に本心に嘘をついて取り繕えるほど、まだ颯太は世の中に揉まれてはいないのだ。
「ねえ、ほんとに大丈夫?さっきから少しおかしいわよ」
「そ、そんなことないよ。ほんと、何でもないんだ」
雛乃はふーん、と呟きながら目を細める。
「サクアさんに何か言われた?」
「あ、そういえば、さっきのお願いって結局なんだったの?」
「いけない、すっかり脱線してたわね」
苦し紛れの話のすり替えだったが、なんとか有効に働いてくれたようだ。
「念のために聞くけど、この会話ってサクアさんに聞かれていたりしてないよね?」
さすがの鋭さだった。しかしここでも”はい、その通りです”とはさすがに言えない。
「うん、大丈夫。サクアさんからの通信はさっきからまったくきていないから」
「わかった。聡太君を信じるわ」
ふわりと笑みが溢れる。その素直さは聡太の良心をチクリと刺す。
雛乃とは、出会ったばかりの関係と言われればそれまでなのだが、いまいちサクアの言葉はしっくりこなかった。例えば、このたまに見せる屈託のない笑顔も、閃光の後でも違和感を感じることができない。上手くは言えないがこういうものは、笑顔ひとつとっても、経験の積み重ねで独自の仕草が作られていくものではないのか。 外見が全く同じでも、仕草の一つ一つまで完璧に真似る事など可能なのだろうか。
「うん、ありがとう。それでお願いというのは……」
「えとね、生徒会室に行って、中を見てきて欲しいの」
わざわざ二人きりになるタイミングを見て切り出したお願いだ、ある程度は身構えてはいた。しかし出てきたのは、 構えていた事よりも遥かに脈絡のない要求だった。
「生徒会室? そこに何があるの? 」
「ごめんなさい、それは今は言えないの。お願い、見てくるだけでいいの」
彼女の表情は真剣そのもので、冗談で言っているようにも見えない。しかし、理由も言えない、意味がわからない、当然一人で行ってきて欲しい、はさすがに無茶なお願いだった。
ただでさえ混乱中なのに、雛乃のお願いはさらに颯太をかき乱す。とても一人で答えの出せる事ではなかった。
「どう、行ってもらえる?」
「う、うん。とりあえず、サクアさんに相談してもいいかな」
冷静に考えれば、ここでの”サクア”というフレーズが地雷ということは少し考えればすぐに分かるはずだ。完全な迂闊だった。
案の定、みるみると雛乃の表情が険しく変わっていく。
「でた、またサクアサン。サクアさんが言えば、それがどんなメチャクチャなことでも、何も考えないで素直に言うことを聞いちゃう勢いね」
確かにその言葉は、聡太の痛いところに直撃していた。