クルギンフルシンガルイアは壁に
クルギンフルシンガルイアは壁に頭の中のすべてをぶちまけようとしていた。いろいろ考えた末であったが、その結論としてクルギンフルシンガルイアが唯一できる人生の挽回はそれであったからである。
クルギンフルシンガルイアは怠惰というほかない生活を送っていた。嫌なことがあれば吐き気を催し、現実から逃れるために空想に耽った。そのたびに周りから遅れをとっているなどということはわかったが、そうするほか自分の苦痛を和らげることはできないと感じていたためである。しかし同時に、その苦痛は本当に苦痛なのか、という根源的な問いにもぶつかった。いうなれば痛みの数値などというモノは、物理的な痛みのほか数値化する方法はない。恐怖症などという言葉もあるが、恐怖を数値化する方法はなく、仮に自分がその数値を提示されても鼻で笑うだろうとすら思っていた。ではこの自分の感じる苦痛とは何なのだろうか。恐怖と同じように他人に伝えても鼻で笑われるであろうこの苦痛は何なのだろうか。そう考えること数年、クルギンフルシンガルイアはついにこの結論に至ったのだ。
はじめは思いとどまることもあった。自分が去ったあと、悲しむものが現れるかもしれない。だがそんな人物は家族以外に思いつかないのである。友人に至ってもそうである。彼らは友人というより、一時的な利害の一致によって生まれた共同体であった。置いて行かれてからというもの、ぽつぽつと連絡を取り合うだけで自分の怠惰の具合がより際立った。また家族に対しては、ふんぞり返ってもいた。反出生主義などというほど大したものではなかったが、産んだやつが悪いのだという他責すらあった。だから、自分が去るというのは自分の勝手であるしその責任など知ったこっちゃない、そう考えていたのだ。
しかし心残りが一つあった。それは壁にぶちまけるということである。クルギンフルシンガルイアは賃貸に住んでいたのだ。いくら家族に対しても容赦がないクルギンフルシンガルイアでも、賃貸を事故物件にしたり清掃代を出させるのは心苦しい、そう感じていた。そこでどこにぶちまけるかというのを考え始めたのである。そこでクルギンフルシンガルイアは家の外に出てみることにしたのだ。
空はどこまでも鈍重な銀色に染まり、今にも崩れそうであった。場所を探すためであったが、どうしようもなく暗いので空想をすることにした。例えば、山の中はどうだろうか。最後は自然に生物に貪られるのだ。でも山林の持ち主のことを思えば気の毒であると思ったのでやめた。山がだめなら、海はどうだろうか。ふやけて生物に貪られる。でも、浜で遊ぶ人たちやクルーザーを楽しむ人たちの前に姿を現すのは、あまりに気の毒な話であるのでやめた。では、どこがいいのだろうか。クルギンフルシンガルイアは人の手が及ばない場所についてさんざん考えた。その結果、動物保護区へ行くことが決まった。
クルギンフルシンガルイアは行き先が決まったところで、自分の人生について振り返り始めた。今の年齢の半分ほどまでの人生はよかった。何にも気づくことがなく、気づいたとしても何も発展することはなかった。自分が世界の中心でいることができたのだ。それに比べ今はどうだろう。このまま生きれば、えもいわれぬ苦痛を抱え、現在の年齢の四倍ほどを生きることになる。そして、決して埋めることできない遅れをありありと考え続けるのだ。そんなことはまったくもって耐えられない。あまりにも損なのだ。勿論、一抹の罪悪感はあった。これまでもらった恩や感謝そういったものが時々頭にちらつく。そういったものにもっと報いたいだとか振りまきたいだとか考えることなんて毎日であった。そんなことを考えるたびに、自分がいなくなることこそが最大の恩返しになるのではないか、頭の中の勘定装置がそう訴えかけてくるのである。人生における確実な負け、終わってしまった限界値、後ろにあるゴールライン、数えきれない脱線がいつも自分を苦しめる。目に見えるうだつの上がらない人生をこのまま繰り返すのはあまりに虚しい。ならばせめて、この手で終止符を打つ。それこそがこの停滞感に対する唯一の対抗策であると考えたのだ。さらにクルギンフルシンガルイアはそうすることが、友人たちに先立てる唯一の手段であると確信していたのだ。




