目覚め
意識が、ゆっくりと浮上する。
深い水の底から引き上げられるような感覚。
鼻を刺す薬品の匂い。
規則的な電子音。
白すぎる天井。
「あ、おきた?」
軽い声。
視界の端に揺れる金色。
腰まで届くロングヘアが、蛍光灯の光を受けて淡く光っている。
椅子に腰掛けた女が、こちらを覗き込んでいた。
「……ここは?」
喉がひどく乾いている。
「地下の医療施設」
「三日寝てたよー?」
三日。
迅は体を起こそうとして、痛みに顔をしかめる。
悪魔。
崩れた結界。
血。
「みんなは?!」
荒れた声が響く。
蘭はわずかに表情を引き締める。
「黒鉄は重傷。でも命に別状はない」
少し間を置く。
「もう動けるって言って、街の修復作業に行ってるよ」
迅の目がわずかに見開く。
あの傷で。
それでも。
「氷の子と銃の子も無事。ちゃんと生きてる」
胸の奥に張りついていたものが、ゆっくりとほどける。
「……よかった」
蘭は袖をまくる。
手首の包帯が白く映る。
「ちなみに生きてるの、私のおかげね」
軽い口調。
「瀕死だったから、血飲ませた」
迅の視線が止まる。
「傷は血かければ治る」
「死にかけは、飲ませないと戻らない」
淡々とした説明。
それが逆に重い。
「東雲 蘭」
それだけ名乗る。
少し首を傾げる。
「こんな可愛い子に無理させないでくれる?」
迅は小さく頷く。
「……ありがとう」
蘭は立ち上がる。
「……あんまり無茶しちゃだめよー?」
軽い声。
けれど、目はまっすぐだった。
迅は短く答える。
「……気をつける」
蘭は満足そうに頷く。
「よろしい」
そして思い出したように続ける。
「あ、玄ちゃんなら訓練所にいると思うよ」
迅は迷わない。
立ち上がる。
まだ体は重い。
それでも、足は前に出る。
⸻
訓練所は静まり返っていた。
広い空間の中央。
遠征装備のまま立つ男。
八雲 玄。
振るわれる木刀。
ただの素振り。
それだけで空気が震える。
迅は一歩踏み出す。
「……八雲、玄」
男が振り返る。
「……生きてたのか」
木刀が足元へ滑る。
「拾え」
迅は拾い、構える。
「あの悪魔に傷をつけた技で、打ってこい」
呼吸を整える。
鬼の力を引き出す。
踏み込む。
一閃。
止まる。
軽く、受け止められる。
押しても、動かない。
圧倒的な差。
「……まぐれか」
木刀が弾かれる。
喉元に切っ先。
「弱いやつに興味はない」
一歩退く。
「失せろ」
迅は静かに頭を下げる。
「……助けてくれて、ありがとうございました」
背を向ける。
扉に手をかける。
「——待て」
足が止まる。
「体が完全に治ったら、また来い」
間。
「その時、もう一度打ってこい」
「……はい」
扉が閉まる。
玄は再び木刀を振るう。
振り抜いた刃先。
そこに、細いヒビが走る。
男は何も言わない。
⸻
外気が肺に刺さる。
臨時訓練スペース。
氷が砕ける音。
風が標的を裂く音。
迅の姿を見つけた瞬間、蓮が叫ぶ。
「じーん!」
駆け寄る。
「もー動いて大丈夫なのか?!」
迅は頷く。
「……平気だ」
「三日だぞ?寝すぎだろ」
零が腕を組み、じっと見る。
「……無茶するからよ」
迅は苦笑する。
「……悪い」
「謝んなって」
風が流れる。
蓮の目が迅の手の甲に止まる。
刻印。
「……てか、お前」
口元が上がる。
「契約できたんだなっ!」
零も視線を落とす。
「もちろん将鬼でしょ?」
迅は首を傾げる。
「……分からない」
零が呆れたように言う。
「分からないって、あんたねー」
蓮が笑う。
「はは、ま、いいじゃねーか」
「契約できたんだしよ!」
刻印を握り込む。
まだ遠い。
だが、確かにそこにある。
蓮が大剣を担ぎ直す。
「なあ、とりあえずさ」
「家で飯でも食うか!」
零が頷く。
「……そうね」
「三日寝てたんだろ?腹減ってんだろ」
迅の腹が小さく鳴る。
零がくすっと笑う。
蓮が言う。
「ふたりが来るとかーちゃん喜ぶしよ!」
迅は一瞬だけ目を閉じる。
胸の奥に残っていた重さが、静かにほどける。
顔を上げる。
「……そうだな!」
声が、軽い。
まだ遠い。
それでも。
独りじゃない。
三人は並んで歩き出した。




