『余命一年と言われたので、王子と屋台で食べ歩きします』
『余命一年と言われたので、王子と屋台で食べ歩きします』
1. 鑑定室の白い光
「寿命を短くする呪いが掛けられております。……もって一年でしょう」
教会の奥、白い石造りの鑑定室。香の煙が細く揺れ、光は窓の格子で区切られて床に落ちていた。
その光の中で、聖女は静かに告げた。
私は――リリア・エルヴァイン。公爵家の長女で、第二王子セドリック殿下の婚約者。
「あら、まぁ」
口をついて出た言葉が、自分でも少し可笑しかった。
余命一年、と言われたのに。胸が裂けるほどの痛みも、目の前が真っ暗になる感覚もない。
「……『あらまぁ』じゃないだろう」
隣で、低い声が溜息まじりに落ちた。
セドリック殿下は、いつも通り眉間に皺を寄せている。黒髪をきっちり撫でつけ、王子として完璧な姿勢で立つその姿は、私と同い年とは思えないほど大人びて見えた。
「お前のことだぞ」
「そうですけれども。騒いだら解けるものでもありませんでしょう?」
私は少し首を傾げる。
ほんの数日前から、体の内側に黒い靄が広がるような感覚があった。疲れやすく、息が浅くなる。魔力の流れが乱される、という表現が近いのかもしれない。
だから、今日ここに来る予感はあった。
聖女が続ける。
「解く方法がないわけではございません。ただ……呪いの手順を逆から全てこなさねばなりません。加えて、“核”が必要です」
「核?」
セドリック殿下が短く問う。
「呪いは禁術。術者に反動が返ります。それを閉じ込めたものが“核”。核が壊れれば、呪いは術者に跳ね返る。ゆえに術者は核を手放しません」
つまり、必要なのは――呪いをかけた者と、その核。
「心当たりは?」
聖女が尋ねると、殿下の視線が私に来た。
「特定の人物は思い浮かびませんね。殿下の婚約者の座を狙う方は多いでしょうから」
「俺のせいか」
「言い方が悪かったですわ。殿下に責任はございません。ただ、私がいないほうが都合がいい方が多いだけです」
私がそう言うと、殿下は口を結んだ。
怒っているのか、悔しがっているのか、あるいは――。
「……まずは探すしかないな」
殿下はそう言って、聖女に礼をし、私の手首を取って歩き出した。
その手は、思ったより温かい。
2. ガゼボの花びら
それから一月。
城の中庭、白いガゼボに風が抜け、淡い花びらが舞っていた。
「手がかりなし、か」
殿下が悔しそうに呟く。
私たちは調査を続けた。登録された聖職者、魔術師、禁術の噂。
けれど、有力な情報は出ない。
「殿下は思った以上に……人気ですのね。妬いてしまいますわ」
「お前は嫉妬などしないだろう」
「ふふ。ばれましたか」
花びらが、私の茶器に一枚落ちた。
私は取り出さず、そのまま一口飲む。ほんのり香りが移る。
「綺麗ですね。これで見納めかしら」
「おい。諦めるのか」
殿下の声が、いつもより低い。
私は花木を見上げたまま、言った。
「殿下。婚約を解消してください」
「は?」
「だって私、あと一年もない命ですもの。王子妃にはふさわしくないでしょう?」
殿下が私を睨む。
私は微笑んだ。ここで泣いたら、全部が“可哀想”で終わってしまう。
「それに。残り一年弱しかないなら、好きに生きてみたいんです」
「……好きに?」
「行きたいところに行って、食べたいものを食べて、やりたいことをやる。今まで“ちゃんとして”きましたけれど、もう、ちゃんとしなくていいと思うんです」
殿下の眉間がさらに深くなる。
「それで婚約解消、だと?」
「殿下に迷惑をかけたくありませんから」
私の言葉に、殿下は一度、口を閉じた。
そして――。
「婚約は解消しない」
「え?」
「俺もやる」
「……何を?」
「お前のやりたいことにつき合う。全部じゃないが、できる限り」
「殿下?」
殿下は目を逸らし、冷たく言う。
「お前のためじゃない。俺のためだ。呪われた婚約者を捨てた不誠実な王子だとか、俺といると呪われるとか、そんな評判が立つのは困る」
私は、少し笑ってしまった。
「なるほど。建前ですね」
「建前だ」
「ありがとうございます。では一年ほど、殿下の建前に甘えます」
花びらが舞い、私たちはその中で、ほんの少しだけ笑い合った。
3. 髪を切った日
最初に捨てたのは――髪だった。
腰まで伸ばした薄茶の髪を、肩の下でばっさり。
鏡の中で、知らない人が笑っているみたいだった。
侍女が「ひぇ……」と声を漏らし、殿下は「……あぁ」と頭を抱えた。
「そんなに悲しいですか?」
「手入れの手間を知っているからだ」
「なら正解です。時間がもったいないので」
私は肩を回す。頭が軽く、風が首筋に触れる。
こんな感覚、知らなかった。
「次は?」
殿下が渋い顔で問う。
私は指を立てた。
「甘いものを……好きなだけ食べます」
「……胃を壊すぞ」
「殿下もつき合ってくださるのでしょう?」
「建前だ」
「はい、建前ですね」
4. 屋台と串焼きと、悪い作法
街に出た。平民のふりをして。
屋台の煙が甘辛く、空腹を呼び起こす。
私は串焼きを受け取り、いきなり大きくかぶりついた。
「……言葉遣い」
「うっはぁ……美味しい……」
殿下が目を閉じて深呼吸する。
「公爵令嬢としての誇りはどこへ」
「公爵令嬢は一年で終わりますもの。なら、今はただのリリアです」
私はジュースを飲む。喉が冷えて、胸の内側の黒い靄が少し薄くなる気がした。
ふと、視線を感じた。
少し離れた場所で、薄汚れた服の小さな子が、私の串焼きを見つめている。
私は迷わず近づき、自分の分を差し出した。
「はい。あげる」
子は一瞬迷い、ぱっと掴んで走り去った。
殿下が、私を見た。
「……無駄だと思うか?」
「いや」
殿下は自分の串焼きを差し出した。半分食べかけ。
「途中まで食べた。嫌なら捨てろ」
私は受け取って笑った。
「はんぶんこ、ですね」
口をつけると、温かさが残っていた。
それが、なぜかとても――嬉しかった。
5. 売ったドレス、残した灯り
私が次にしたのは、ドレスと装飾品を売ることだった。
「それは国がやるべきことだ」
殿下は止めた。
けれど私は首を振る。
「国で動くには時間がかかります。私はもう、時間がない」
宝石箱を閉じる音が、静かに部屋に響く。
「それに、天国には宝石は持っていけませんし」
殿下が眉をひそめる。
「……死ぬ前提で話すな」
「現実的なだけです」
私は指先で、最後に残すものを撫でた。
小さなガラスのペンダント。中に、微かな光が閉じ込められている。
「それは?」
「灯りの魔石です。夜道で困らないように、と……昔、殿下がくださったもの」
殿下が一瞬だけ、目を細めた。
「……捨てないのか」
「これは、捨てません。灯りは、必要ですから」
私の言葉に、殿下は何も言わなかった。
6. 波の音と「怖い」
半年が過ぎる頃、体調が悪い日が増えた。
黒い靄は薄くなるどころか、確実に濃くなっていく。
それでも私は、やりたいことを続けた。
観劇、絵、園芸、乗馬。
驚くほど、殿下は付き合ってくれた。
建前のはずなのに、いつの間にか、予定を調整して。
秋の終わり、私たちは海に来た。
波が、ザザーンと寄せては引く。
冷たい水が足首を撫で、砂が指の間を通り抜ける。
「冷たいですね」
「長く入るな。風邪を引く」
叱る声なのに、柔らかい。
浜辺に並んで座ると、波音が途切れなく続いた。
私は、その音が怖かった。
自分がいなくなっても、世界はこのまま続くのだと、教えられるから。
「どうした」
殿下が私を見る。
私は笑おうとして、失敗した。
頬を、温かいものが伝った。
「……幸せだな、と思って」
「強がるな」
殿下が、そっと私を抱き寄せた。
その腕の中で、私は初めて、言ってしまった。
「怖い」
「うん」
「本当は……怖いです」
殿下の胸が、わずかに震えた気がした。
「俺が何とかする。信じろ」
私は、頷くことしかできなかった。
信じたかった。
けれど一年という期限は、優しさでは伸びない。
7. 眠りの終わり
十ヶ月が過ぎた頃、起き上がるのが難しくなった。
部屋は殺風景だった。売れるものは売った。空いた棚に、本だけが増えていく。
殿下が見舞いに来た。
「大丈夫か」
「まあ。殿下が来てくださったので、今日の分の元気が出ました」
私はわざと明るく言って、リンゴのタルトを見つけて目を輝かせる。
「正解ですわ!」
殿下が皿に取り分けてくれる。
その動作が、もう“当たり前”になっているのが怖かった。
タルトを食べて、私は言う。
「殿下。私のことは忘れて構いません」
「……何を言っている」
「嘘です」
私は息を吸う。胸が痛い。
「本当に、たまにでいいから……思い出してください。そうすれば私は、生きていられます」
殿下が私の手を握った。
大きな手。熱い。
「馬鹿。毎日思い出す」
私は笑って、泣いた。
それから十日後。
私は、眠るように目を閉じた。
首には、あの灯りのペンダントだけが残っていた。
雨が降っていた。雪が混じる冷たい雨。
殿下は傘を差さなかった。
8. 三年後の教会
棺の前に座る男がいた。
第二王子セドリック。
王城では冷徹と噂され、民には“健気に婚約者を弔い続ける王子”として語られた。
今日で、三年。
「リリア」
名前を呼ぶ声は、掠れていた。
「お前は間違っている」
棺に話しかけるのは、もう習慣になっている。
怒っているわけではない。
ただ――言わずにいられない。
「お前は、最後の一年を“好きに生きた”と言った」
薄暗い教会。
蝋燭の火が揺れて、壁の影が伸び縮みする。
「なのに、やったことは全部……俺の願いだった」
菓子を腹いっぱい食べたい。
屋台で買い食いしたい。
民に金が回らないことが腹立たしい。
海で波音を聞いて、息を整えたい。
それは、かつて俺がぽつりと零した夢だった。
「馬鹿だな」
俺は拳を握る。
「……犯人はわかった。核も手に入れた」
棺に向かって、誓うように言った。
「もう少し待て。必ず戻す」
俺は立ち上がり、教会を出た。
向かう先は、王城の地下牢。
9. 目が開いた
目が開いた。
――見たことのない、歪んだ顔がそこにあった。
「……殿下?」
私がそう言うより早く、抱きしめられた。
強い。苦しい。
「つぶれます……」
「……うん」
うん、じゃない。
でも、痛いということは、私は――生きている?
「わたくしは……死んでいない?」
「死んでない。生きてる」
殿下の声が震えていた。
「三年と……七ヶ月、寝ていた」
「……あら、まぁ」
自分でも驚いているのに、口から出る言葉は相変わらずだった。
「呪いが解けたのですか?」
「解いた」
「誰が?」
「俺が」
殿下は、私の額に額を寄せるようにして、吐き出す。
「信じろと言っただろう」
「無理があります。意識がなかったのですよ」
「……それもそうだ」
殿下は息を吸い直し、話し始めた。
呪いを掛けたのは――私が尊敬していた、完璧な公爵令嬢エレナだった。
王太子の婚約者で、私に優しかった人。
「どうして……」
「俺を望んだ。王位も、王妃の座も」
エレナは王太子に軽い呪いを掛け、王太子の座から退かせようとした。
同時に、私を消せば――私の婚約者である殿下が空く。
「……捕えた。核も回収した」
殿下の指が、私の首元のペンダントに触れる。
「お前が死ぬ前に、仮死の術を重ねた。呪いが強すぎて、そのままだと一年で終わる。だから眠らせて、時間を稼いだ」
「……殿下が?」
「七つ」
「七つ……?」
普通なら、二つでも危険だ。
けれど殿下は、当たり前のように言った。
「俺以外に、誰がやる」
私の喉が詰まる。
「……危ないことをしたのでは」
「してないとは言わない。でも――戻した」
殿下の声が、ようやく少しだけ柔らかくなる。
そして、問いが落ちた。
「なぁ。どうして最後の一年を、俺のために使った」
私は首を傾げる。
「殿下のためではありません。わたくしが、好きに生きたのです」
「……本当に?」
「はい。だって本当なら、結婚して、ゆっくり一緒に、いろんなことをするはずだったんです。でもできなくなってしまったから……今やるしかなかっただけ」
殿下が、長く息を吐く。
次の言葉は、鋭かった。
「俺と、ずっと一緒にいたかったってことでいいな」
「……そうですよ」
殿下の目が赤い。
私の視界も滲む。
「三年も眠って……新しい婚約者の方が」
「いるわけない」
殿下は即答した。
「婚約は解消しないと言った。だから、まだ婚約中だ」
胸が苦しい。嬉しいのに、怖い。
殿下は私の手を握り、言う。
「結婚する。絶対する。今度は、期限なしで」
私は泣き笑いのまま、答えた。
「……どうしましょう。やりたいこと、もうやってしまいました」
「また作ればいい」
殿下が、少しだけ笑う。
「今度は、“二人の”やりたいことを」
私の首元で、灯りのペンダントが小さく揺れた。
その光は、三年半の暗闇を越えても、消えずに残っていた。
エピローグ:屋台の灯り
春。
街の屋台で、私は串焼きを買って、殿下に差し出した。
「はい。はんぶんこです」
殿下は一瞬固まり、それから口元を隠すようにして食べた。
「……行儀が悪い」
「もう、ちゃんとしなくていいんです」
私が笑うと、殿下は小さく溜息をついて――私の頭を撫でた。
「好きに生きろ」
「はい。殿下と一緒に」
屋台の灯りが、夜をやさしく照らす。
私はその光の中で、ようやく思った。
――生きるって、こんなに温かい。




