話者の真意‐倉瀬幸弘と湯島誠との会話2‐
高校生の間である種都市伝説のように伝播している、『自殺ネット』なるものが存在すると言う。
『自殺ネット』を見るためにはまず、ネットに存在する匿名掲示板に、メールアドレスを添えてある特定の書き込みをしなければならないのだそうだ。書き込みをすると、そのメールアドレスに、携帯電話からしか見れない、既参加者からの認証式SNSのアドレスが送られてくる。そしてSNSに入会し、そのSNS内のコミュニティのあるトピックに書き込みをすることで、携帯に確実に自殺できるようにお膳立てられた日にちと時間、場所が送られてくるという仕組みらしい。
不可解な事件の裏側に潜む陰謀を嬉々として語る幸弘の言葉に耳を傾けながら、俺は一つの疑問を抱いていた。『自殺ネット』の存在が事実なのであれば、その手回しをしている人間は大量の自殺幇助の罪で実刑は免れないのではないか、という事だ。
認証式の閉じたSNSといっても、規模が小さく、参加者全員が互いに監視しあえるような状況でもなければ、完全に密閉された情報空間などネットには存在しない。一連の投身自殺の生徒達は、皆学校はおろか学区も出身中学といった共通点すら見えてはいない。つまり、直接面識のない人間同士が在籍するぐらいにはそのSNSの規模が大きいという事だ。
仮に、規模が小さく、完全に外部から遮断されたネットワークだとしても、警察がその気になればプロバイダー経由でも何でもその細かな情報を捜査することなど訳ないはずで、主催者なり幇助をした人間なりはすぐさま後ろに手が回るはめになるはずだ。
「まぁ、焦るなって。その辺にもちゃーんと、良く出来た仕組みがあるんだよ。」
率直に浮かんだ疑問を口にすると、湯島は待ってましたという風に得意になって語りだした。
「鍵になる単語があるんだよ。正にキーワードって奴だな」
「キーワード?」
「そう。コミュニティ内のトピックにただ自殺したいなんて書き込んだところで、お膳立てが整うわけでもないんだよ。合言葉みたいなもんでな。自殺志願者と、管理者にしかわからない合言葉を正しく使ったやり取りがなされないと、『件の紹介』は送られてこないって寸法」
「どんな?」
「知らない」
急に肩透かしを食らった俺は、慌てて開いた口を引き締める。
「なんだよそれ。ここまで話しといて、気になるじゃん」
「知りたいのか? 自殺の方法」
そこまで、得意げに自分の知ってる情報を語っていた湯島の様子が一変し、饒舌な口は沈黙を生む。甘い顔に定評のある湯島の眉間に深いしわが刻まれた。
一層トーンを落とした湯島の眼光が俺の瞳を貫く。俺は一切の内心を表情に表すことなく、その眼を見つめ返した。休み時間の喧騒の中に、二人だけの静寂が訪れる。
突如訪れた異質な空気は、しかし、休み時間の終わりを告げる予鈴によってかき消された。その音を契機に、いつもの湯島が再び姿を表した。声のトーンも戻っている。
「情報通で通ってるまこっちゃんとしても、そこを抑えてないのは悔しいんだけどね~。なんでもそこは口コミらしいんよ」
「口コミ? 合言葉が?」
わざとらしく腕を組んだ湯島は、これまたわざとらしげに首を傾げながら答える。
「ってう、わ、さ。だから警察とかそういうのも中々全容を解明できないって寸法なんだと。常に一定の周期で変わるらしいしな、合言葉。今正しい合言葉は何かって色んな噂が錯綜してるよ」
時間切れの鐘に、早口になった湯島がまくし立てる。
「ま、お前もどっかで耳にしたら教えてくれよ、合言葉」
そこまで口にしたところで教材と出席簿を小脇に抱えた教師から横槍が入った。
「うおーい。そこに居んのは誰だ!? んー、沢村か? あ、湯島と……倉瀬か! チャイムが聞こえてないとは言わせんぞ!」
注意を促した教師へ「すいません」とばかりに手を挙げて応じると、湯島は俺に背を向けた。
「ありがとな、辞書! 一限終わったらすぐ返すから!」
「お前も!」
小走りに、自分の教室へと帰っていく湯島に、俺は最後の疑問を投げかけた。
「お前も、知りたいのか? 合言葉」
湯島の足が止まる。ゆっくりとこちらを振り向いたその顔は先ほどの険しい顔が再び浮かんでいた。
「…………」
「それがあれば完璧に自殺できるんだろ?」
俺は再度疑問を投げかける。それで生まれる波紋は一体どんな模様を描くのか。
俺の問いに湯島が今までみた事のないような真剣な表情を浮かべるがそれも一瞬だった。すぐさま、八重歯を覗かせ相好を崩す。
「ネット上で結構な高額で取引されてるって噂だからな、合言葉」
そう最後に言い残し、湯島は今度こそ、教室へ引き上げていった。
湯島が俺に背を向けるのと同時に、俺の教室にも教師がやってきた。生物の三上は「はいはい、そんなとこ突っ立てると欠席にしちゃうぞ~」と俺に注意を呼びかける。
俺は、すいませんと応じて教室に入った。
後ろ手でドア閉めながら湯島に届くはずもないと判っていて独りごちる。
「合言葉は“カスパーゼ”だよ、湯島」
授業開始を告げる本鈴が校舎に響く。それに呼応するように胸の内ポケットに入れている携帯がバイブレーションによって鳴動していた。