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DI[e]VE  作者: 武倉悠樹
悪意の真実
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殺す者と殺される者‐湯島誠と倉瀬幸弘の対峙3‐

 俺の眼前で、狂気に狂った人間が一人、月明かりに照らされていた。


 中学のときから顔見知りの人間。あまり自己主張をせず、他者におもねることを巧みにこなしていると思っていた人間。そんな人間が今まで見せた事の無いエゴと狂気を存分に振りまき、ゆがんだ笑みを浮かべていた。


 俺がつぶした足と、俺をつぶした足。深紅に染まった二本の足に支えられた体は、引きつった笑いにあわせて小刻みに震えている。ナイフを硬く握り締めた俺を前にして、倉瀬は、倉瀬だった何かはケタケタと笑っていた。


 その不気味さは、獣と言うには不可解で、その醜悪さは、異常者などとすぐに思いつくような言葉で形容するには足りない。


 鬼。


 そこに立っていたのは、奇妙な狂気と意思に満ちた、鬼のような存在だった。


「湯島、そのナイフでどうするつもりだ?」


 ニタニタと、鬼が話しかけてくる。ナイフを持った俺を取り押さえようとしてくる様子は無い。


 倉瀬に踏み潰された左手は感覚も無かったが、痛みも無かった。

 

 右手一本で握ったナイフで人を殺せるだろうか。眼か。心臓か。腹か。


 どこを刺すべきか、考えを巡らせ、柄を握る右手に力を込めなおす。


 聖の仇を討つ。考えることはただ一点だ。


 頭のイカれた戯れで、聖の命を弄んだ鬼はこの手で殺す。


「~~~~~~~~~~? ~~~~」


 歪にゆがんだ口が何事かを垂れ流しているが、耳には入らなかった。


 視界の端でスタンガンを見つけた。倉瀬の後ろ、5メートルほどのところに転がってるのが見える。

奴がその存在に気づいてるとしても、あれを拾って、こちらにかざす前に、ゆうに三回は刺せるだろう。


 ふと、自分も鬼のような表情を浮かべているのだろう、と思った。


 唾棄すべき外道の倉瀬を憎む心は、俺をも外道へと貶めるのだろう。なぜなら、俺は今から、人を殺すのだから。


 しかし、それでも構わなかった。理不尽で凄惨な狂気をそれで討てるなら、この身が、この心がいくら穢れようとも一向に構わない。殺人の罪を被ったところでそれが何だと言うのだろう。事実目の前に裁きを下さねばならない悪が口をあけて笑っているのだ。

 

 聖の顔が浮かぶ。


 聖に話しかけてみたが、言葉は返ってこなかった。俯き表情が伺えないその顔の、頬が涙に光っている気がする。


 自ずと、俺も涙があふれた。


 もう少し、もう少しだから、待っていてくれ聖。今、お前の無念は晴らすから。


 ナイフを握る手に再び力がこもる。まなじりに溜まった涙が溢れこぼれた。怒りが、悲しみが、悔しさが、感情の塊が一滴の水滴になって、目から流れ落ちた瞬間、その涙を置き去りにして体が動いた。


「…………死ね」


 ふらりと、前に倒れるように、体を傾ける。


 一歩。また一歩。倒れる体を支えるようにして、足を出し、三歩目を踏んだところで、顔を上げた。


 口をついて怒りが溢れる。


「死ねぇぇぇぇえええええぇえ!」


 眼前に迫った倉瀬は、両手を広げ、刃を迎え入れるように立っていた。相も変わらず、不気味な笑顔を湛えて。何を考えているのかわからない不気味な視線が俺を貫く。


 一瞬怒りも何もかも消えうせて、ぽつり疑問が沸いた。


 なんで、こいつは笑っているのだろうか。得体の知れないものへの疑問と恐怖。


 そんな疑問も刹那、硬いような柔らかいような。柔らかいような硬いような。不思議な手触り。そんな奇妙な感触とともに、俺の怒りが、倉瀬に届いた。


 臍がある辺りの少し右上。人体の内臓分布としては何がある辺りだろうか。とにかく、なにかの内臓であって欲しい。負荷を感じる右手をこれでもかと押し込む。


 ほんの一瞬を間に挟み、どん、と体と体がぶつかる音。

 

 左肩からタックルするような形で体をぶつけ、押す。同時に手首を返して、右手をひねった。


 粘つきのある湿った音が微かに右手を伝って届いた。


 命の破ける音。


 悪を討つ音。


 人を殺した音。


 俺の突き立てたナイフが、倉瀬に赤い穴を開けた。

 

 声にならない嗚咽が、耳に届く。倉瀬のあごが力なく、俺の肩に乗っていた。


 苦しみの色濃い、断末魔の苦悶に、頭が沸きあがる。足りなかった。こんなささやかな苦鳴ひとつで俺の気が晴れるわけも無い。


 聖を殺した。自分勝手な気狂いの果てに、人の命に歯牙をかけ弄んだ。もっと。もっともっと痛めつけなければ。

 

 慌てて、ナイフを引き抜こうとしたとき、ぬらぬらと月明かりに光る倉瀬の血が、俺の手元を狂わせた。勢い良く、突き立てたナイフを引き抜こうとし、血で手を滑らせ、柄がすっぽ抜ける。


「っく!」


 勢い余って後ろに数歩たたらを踏む。体制を建て直し、すぐさま倉瀬に向き直り、顔を上げたところで、俺は動きを止めた。


 倉瀬が、立っていた。


 ナイフを突き立てた腹は赤黒く染まり、足元に血溜まりを作っている。しかしそんな凄惨な光景が俺の動きを止めたわけではなかった。


 倉瀬が笑っていたのだ。さっきまでとなんら変わりは無い。ニタニタと気味の悪い笑みを浮かべている。


 顔中に苦悶の表情を浮かべ、玉のような汗を額にかきながら、いぎたなく涎を垂らしている。しかし、そんな惨状にあってなお、呻きをもらすその口は半月を象ったままだった。


「うぅぅがぁあうぁぁ」


 倉瀬の声にもならない苦鳴が夜に響く。倉瀬は零れ落ちる命をすくい止めるかのように、傷口に手を当てると、血に染まった自らの手を俺に突き出す。


「見ろ、よ。湯島。ははは、はは、は。血がこんなに溢れてるぜ」


 焦点の合ってない目線を俺に投げながら、ナイフに手をかける倉瀬。


 とっさに身構えた俺を他所に、倉瀬は体を折ると、両手でナイフを握り、雄たけびを上げた。


「うぐぅああややああやがああぁぁぁぁあぅ!!!!」


 怒りも忘れてすくみ上がるような叫び声とともに、倉瀬はナイフを引き抜き、それを放った。


 血の飛沫を撒き散らしながら、夜の空気を割いて飛んだナイフは、俺の右後ろでカラカシャンと音を立てて屋上の床を転がりすべる。

 

 倉瀬の傷口からは、先ほどより更に血があふれる。それに呼応するように、笑い声が倉瀬の口から漏れた。


「はははははああははははあっははははは!! 痛ぇ!! 痛ぇぇよぉぉおお!!」


 自分のエゴで、人を殺し満足感を得る。そんな人間ですら、すでに俺の常識の中で埒外で、恐ろしくて憎らしくて、もはや化け物以外の何者でもなかった。

 

 しかし、今の倉瀬はそんな化け物という言葉すらあざ笑うほどに狂おしく、軽々と常軌を逸している。腹にナイフで穴が開けられ、血は止まらず、おそらく後数分かそこらで、意識を失うだろう。それだけの血溜まりに倉瀬は立っている。そして、意識を失ったが最期、それは倉瀬という命の終わりを表すに違いない。


 それでも倉瀬は笑う。


 泣き事を吐くでもなく。恨み節をぶつけるでもなく。倉瀬は笑う。


 高らかと。まるで、自らが小刻みに震える足で立つ血溜りが、世界の中心であるかのように。

 

 無邪気に。まるで、見渡すばかりのお菓子とおもちゃに囲まれた子供であるかのように。


 不気味に。まるで、地獄の底から、天上の煌びやかさを嘲り吐き捨てるかのように。


 死ぬのが怖くないのだろうか。そんな人間がこの世に居るのだろうか。


 倉瀬の笑い声は、俺の描いていた常識を、当たり前の世界をいとも簡単に叩き壊そうと押し寄せる。


 ここまで来て、今まで彼岸の火事であった自殺ネットの存在を思いだす。


 自殺ネットを利用し、自らの命の幕を下ろすことを決意した人間たちは何を考えて、生を辞したのだろう。それは、目の前の倉瀬のような、狂気のなせる業なのだろうか。


 そんな、問いが、今まで自分の気づかないところですぐ近くに存在するのだと、気付き、いつしか、心は恐怖に呑まれていた。


 目の前の、血で踊る狂人はこれまで何を考え生き、これから何を思い死ぬのか。


 以前、関口は、自殺をテロリズムだと言った。メッセージであると言った。死をもって信念を貫き、何か漠然とした、それでも頑として存在し、自分たちを追い詰める間違いを正すのだと。戦いなのだと。


 そんな信念が倉瀬にはあるのだろうか。


 死んだら何もならないじゃないか。死んでも花は咲かない。死んでも世界は変わらない。


 命が終われば何もかもが終わる。二度と会えない。二度とぬくもりを感じられない。二度と笑顔は見れない。


「なぁ、そうだろう、聖」


 俺は、無念を秘めているはずの聖に呼びかけた。俯いたまま表情が伺えなかった聖がこちらに背を向ける。


「待ってくれよ、聖!! 今、あいつを殺すんだっ!! 復讐、できるんだよっ!!」


 聖が遠くなっていく。俺は声を張り上げ、聖を引き止めた。


 もう一度、こっちを向いてくれ。


 もう一度、その顔を見せてくれ。


 もう一度。もう一度。笑ってくれよ。聖。

 

 そして、俺の心の中の聖は音も無く、消えた。


 気づけば足が力を失い、コンクリートの屋上にしたたかに膝を折っていた。


 死んだら、二度と笑えない。当たり前の事じゃないか。だって聖はもう居ないのだから。


 死とは、そういうものではないのか。


 それなのに、


「なんで、笑うんだ、倉瀬」


 それは単純な好奇心だった。怒りも悲しみも、すべてを置き去りにした疑問。


 そんな俺の声に、笑い声がやんだ。

 

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