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DI[e]VE  作者: 武倉悠樹
悪意の真実
20/21

殺す者と殺される者‐倉瀬幸弘と湯島誠の対峙2‐

「聖ちゃんって言うんだろう、湯島の彼女」


 凄烈な視線が足元から全身を貫く。怒りだろうか。恨みだろうか。悲しみだろうか。


 湯島が俺に突きつけるのは、ありとあらゆる感情をない交ぜにして固め、そんなどす黒い塊にさらに上から感情を塗りたくり、それらを研ぎ澄ませた鋭い鏃。


 なんの物理的拘束力を持たない筈のただの視線が、俺の心臓を貫こうかというくらいに、強く刺さる。


 尾骨の辺りから、うなじの辺りまで。脊髄を這うようにして痺れが走る。全身が粟立っているのを感じた。体を支えるための二本の足が根ざす大地を横取りされたような感覚を覚え、一瞬よろける。


 倫理や道徳等寄る辺を持たない、獣が獣を睨みすくめる月光の舞台。


 やっとここまでたどり着いた。


 俺が右足を鳩尾から上げると、すかさず湯島が酸素を求めて喘ぐ。間髪入れずに上げた足を振りぬき、その大きく開いた顎を蹴り飛ばした。


 ねっとりとした夜気を切り裂いて、赤い尾を曳きながら飛んでいったのは湯島の八重歯だ。


「あがぁぁああああぁあ!!!!」


 赤く染まり開かれた口から零れる絶叫は空へと昇りながら俺の聴覚を犯す。


 再び怖気が、今度は全身を走る。


 快感だった。湧き上がる殺意を臆面もなくぶつけられ、本能が否応なく感じる恐怖。心臓が早鐘のように鼓動し、体温調節などではない汗が全身を濡らす。

 

 一人の人間が持てる限りの悪意と憎悪と悲哀、憤怒。これだけ無関心と自我がはびこる世の中で、人の感情をここまで独占し、この身に受ける事などどうすれば出来るだろうか。


 普通の生活を営んでいたら決して出来ない体験。それを今俺は全身全霊で味わっている。恍惚だった。


 俺は極上の快感の余韻に酔いながら、口を開く。


「なぁ、湯島。俺が憎いか?」


 湯島の血まみれの口腔は固く閉じられ、返ってくるのは依然として鋭い視線だけ。


 しかし、それで十分だった。


「その目だよ、その目で俺を見て欲しかったんだ」


 俺の言葉に、湯島の目に宿った憎しみが一瞬揺らぐ。変わりに姿を見せたのは困惑。


 左足は湯島の利き手をしっかりと抑えていた。


 スタンガンの痺れと歯の痛みが引いた頃合を見計らい、口元を蹴り飛ばした後遊んでいた右足で力を込めて湯島の左手首を踏み抜く。


 柔らかい物と固い物を同時に踏み潰した感触が足の裏から瞬時に脳まで駆け上る。


「ぎゃあああああああああああああああああ!!!!」


 湯島の左手の付け根に小さな赤い華が咲き、幾度目かの苦鳴が夜に木霊した。 


 足を振り、血を払いながら、俺は会話を続ける。

 

「わかんないかな、湯島?」


 湯島は脂汗の滲んだ顔をこちらに向け、口を開かず黙するばかり。


「湯島。君は今、俺の物だ。聖ちゃんが死んだ甲斐もあるってものさ」 


 その言葉を俺が発した瞬間、湯島の目が大きく見開かれた。その瞳の中で困惑と混在していた憤怒が再びうねりを上げて噴き出す。


「ぶっ殺すぶっ殺すぶっ殺すぶっ殺すぶっ殺ぉぉぉぉすっっっっっ!!!!!!!!!!!!」


 湯島が吼えた。


「アハハはははあはあっはあはハハはあっははっはははははっははは!!!!!」


 自分の高笑いに包まれて脳が揺れていた。


 こんなにまで、人が壊れるなんて。


 こんなにまで、人が獣になるなんて。


 こんなにまで、人を自分の物にできるなんて。


 俺は遠くを想い起こす。


 なにかわからないけど、とにかくままならない。そんな漠然とした不快感に取り付かれ始めたのはどれ位前からだったろうか。


 やがて、漠然とした不安は色と形を整えて俺の背にのしかかってきた。


 それは、いかにして俺は世界と交わるべきかという問い。


 人はどこまで人の心を支配できるのか。占領できるのか。もっと分かり易く言い換えても構わない。俺はどうすれば、誰かに振り向いてもらえるのか。


 ずっと心にそんな想いが居座っていた。毎日の生活に重い枷をつけ、俺の視線を地面へ縫い付けた。


 親や教師は自分の理想の子供像を重ねる依り代としてしか、子供を見ない。自らの価値を高めても、それは備わっている能力が功利的な物差しにかけられ、履歴書に値段が付くだけであって、それは良くできた商品に過ぎない。誰かの為に身を粉にしても、他人はそれを踏みつける階段として踏み固めて行ってしまい、後ろを振り返りはしない。

 

 赤子は皆同じだ。猿のような顔を赤らめて何も知らず、ただ、泣き喚くばかり。


 しかし時が経てば変わる。経験を積み、幾度とない選択で道を別ち、気づけば同じルートを辿ってきた人間など居ない。成長と共に刻まれていく顔の造形以上に大きく異なる、十人十色の「自分」が居る。


 でも、その自分の形にぴったり合う隙間がどうにも見つからないのだ。


 自分では普通のつもりでいても、鍵穴を覗き込んではどこにも合わないことを確認する毎日。歪んだカギで、なんのドアを開けるのか。どの箱を開けるのか。俺は、俺達は何を得られるのか。  


 回りを見渡せば同じ悩みで溢れてる。ネットで延々とパーソナルを垂れ流す奴ら。廊下に貼られた順位表を見て一喜一憂する奴らは、自分の名前が誰のどんな目に晒されてるのかにしか興味が無い。口にする物、耳に入れる旋律、身に纏う服、脳を巡る思考まですべて他の誰かと同じであるために全部コーディネイトして、そうして出来たオンリーワンな自分を、その他大勢に認めさせる。それが全てだ。


 俺が俺であること。私が私である事。僕が僕である事。


 自分とはそういう者で、他人とはその為の物の筈なのに。他人のくせして自分でありたがる。

 

 そんな矛盾が俺を苛んだ。


 だから、俺は考えた。解決法を必死に探った。そして結論を追い求めてたどり着いた答え。


 それは人を殺すことだった。


 恐怖を、人生の最後の瞬間を。命の灯火の今際の輝きを全部独り占めにすることにしたんだ。


 合うはずもない歪み同士。解決策はどちらかを崩し、どちらかの形に合わせるしかなかった。


 その為の手段として、「死」に関わると言う事は恐ろしく有効な物だった。確固たる自我が崩れ、無為に溶ける瞬間、いかようにも俺で塗りつぶす事が可能だったからだ。


 それは新しい世界だった。引きずり続けた悩みの解決。画期的な地平が開いたと、確信し、心のそこから喜べた。


 そうして俺は自殺ネットを組み上げた。死の間際、形の崩れた人間を自分の色で染めるために。


 最初はそれでよかったんだ。

 

 背中をトン、と押してやる時、僅かに踏ん張ってた体から全ての力が抜け落ちてくあの感触。最後の最後で怖気づきながらも、奈落の闇へ落ちていく時の絶望がにじみ出た表情。


 生殺与奪を握った万能感も悪くなかったけど、なにより、あの特別で濃密な次空間から得られる恍惚は何にも耐えがたかった。


 人が死ぬ瞬間。十何年の歳月が全否定され、命が血みどろの肉の塊に変わる瞬間。それに関わった自分は、どう考えてもその人間にとってのスペシャルだった。


 でも直にそれじゃ物足りなくなった。


 正確に言えば、スペシャルから日常に引き戻されるギャップが身を引き裂くかのように苦痛だった。一瞬だけのスペシャリティなんて、恒久的な飢えを満たす物じゃない。


 相も変わらず、認めて欲しい自分と認めてあげる他人が混在したヒトの道を歩まなければならないと思うと頭が割れそうになるくらいに痛んだ。


 だから決めたんだ。俺は。

 

「なぁ湯島、そろそろ終わりにしようか」


 右手に握ったスタンガンを再び掲げた。刹那、湯島が動く。


 武器を取り上げ、片方の手は砕きまでした。無力化したはずだった。


 しかし、湯島はその砕けた左手をこそ振るった。


「がぁぁぁあああああ!!」


 咆哮と激痛で顔を歪めた湯島の顔を認めたと思った瞬間、血しぶきが顔に飛び掛ってきた。


 慌てて、身構え顔を振り払うが一瞬遅れて今度は激痛が右足に走った。


 何が起こったか理解するまもなく、あまりの激痛に思わず右足を振り上げ、バランスを崩す。倒れる俺を押し上げるようにして、湯島が身を起こすのがわかった。


 倒れながらも咄嗟にスタンガンを持った手を突きつけるが、身を捩って交わす湯島。


 一瞬の出来事だった。再び体制を整えた時、形勢は大きく動いていた。無様に尻餅を突きながらも、慌てて湯島の方に身構える。


 湯島は俺の足元からまろびでて、立ち上がりこちらに対峙しようとしていた。


 その右手にはたった今拾い上げたのであろうナイフ。鮮血をポタリ、ポタリ、と流しながら左腕をだらりと垂らしながらも、こちらを果断なく見据えて距離を保っている。


 なるべく視線を切らさないように、一瞬だけ足元を見やった。


 白いハイカットのスニーカーの親指の辺りがどす黒く滲んでいる。恐る恐る、足先に力をこめると、声が漏れそうなほどの激痛が走った。


 軽いランニング用の靴だったのが災いした。恐らく湯島は靴の上から指を噛み砕いたのだ。


 歯を食いしばりながら慌てて、視線を湯島に戻す。


 湯島は嗤っていた。血に染まった赤い三日月を顔に湛えている。


 凶刃を携え、血を流した鬼がそこに居る。全身全霊の殺意を俺にぶつけて立っている。


「終わりにするんだろう、幸弘」


 鬼が低く、そう告げた。

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