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DI[e]VE  作者: 武倉悠樹
奈落の開口
18/21

月光の舞台で‐湯島誠の復讐‐

 聖の死から二週間が過ぎた。


 その間俺は涙を涸らし、心を亡くした。


 今俺を突き動かす物はなにか。なにも感じなくなったはずの擦り切れた心に、辛うじて揺らぐ小さな、しかし決して消えはしない強かに燃える思いを支えに、ここに立っている。


 下弦の月は、厚い雲に覆われ地上を照らさない。月明かりによる光を遮られた夜は、暗く、重い。梅雨明けとともに訪れた夏の暑さは、日が暮れても尚収まる事を知らず、粘性の高い空気がどんよりと夏の夜に堆積している。


 湿度の高さと相まって、寝苦しさを覚える熱帯夜。俺は夜の学校に立っていた。


 校舎までのアプローチの坂道のふもとで携帯を開き、メールを確認する。


 場所と、其処に至るまでの経路、時間。細かく記されたそれは、本来、見るものを死へと誘う呪いの言葉だ。聖をも襲ったであろうその文字列はしかし、今の俺のとっては希望を引き寄せる魔法の言葉に他ならない。


 往来の無い並木道の坂を小走り駆け上がっていく。


 月明かりもほとんど無く、あったとしても豊かに茂る街路樹の天蓋に遮られた道は、とっぷりと宵闇に沈んでいる。唯一の灯りは街灯のみ。十数メートル間隔で灯る街灯が、暗闇の中に、ぼんやりと坂道だけを浮かび上がらせている。


 街灯の仄かな橙色に照らされた坂道は、しかし、緩いカーブに沿って、先は少しずつ見えなくなっていき梢の間の暗さに消えていく。後ろも同様だった。今まで登ってきた道も、同じ様に、すこし行ったところで緩やかに婉曲し、見えなくなってしまう。


 夜に切り取られた回廊。そこを駆けながら、俺は、心のうちで燻り爆発を待つ、憎悪の炎を確かに感じていた。


 やがて坂は途切れ、主達の帰宅とともに静謐を帯びた校舎と校門が姿を現す。 


 人気のない学校を前に、憎悪の炎の熱に当てられながら、俺はぼんやりとその感情の萌芽に思いを寄せていた。


  ※※※

   

 葬儀の日。聖という存在を失ったという出来事がもたらした感情の津波は、俺に他の一切の事を考える余裕を奪い去った。葬儀からどうやって家に帰り着いたのかすらわからない。


 見るも無残な遺骸が横たえられた聖の棺にすがりつき、声とも取れぬ雄叫びを上げて泣き喚いて居た俺は、何人かのスタッフに取り押さえられ、控え室のようなところに連れて行かれた。


 茫然自失の体でへたり込み、うわ言を垂れ流す俺は、いつの間にか連絡が取られ呼び出された母親に手に引き渡され、家へと送り返された。道中の記憶は無い。何事か心配げに声をかけてきた母親には何がしかの返答をしたような気もする。


 家に着き、それから三日三晩、俺は涙に明け暮れた。食事はしなかった。時折、思い出した様に部屋を出て、階段を下り、ペットボトルのお茶を飲み干すと、疲れて意識が飛ぶように眠りにつくまで、ひたすらに泣いた。


 三日三晩そうして泣き腫らすと、体が限界を告げた。それが俺には悔しくてならなかった。体力は底を突き、腹は減り、ろくに水分を摂ってもいなかたからか、涙も止まった。聖の死を悼み、こうまで悲しみに明け暮れているのに、現実を生きる体は、食べ物を飲み物を、生への糧を貪欲に求めてきたのだ。

 

 そんな悲痛の叫びを無視し、俺は自分を苛めるようにしてさらに奥へ。心にぽかんと口を開く悲しみと絶望の穴の奥へと降りていこうとした。それは哀悼でもあり、恋人の死の兆候に気づけなかった愚かな自分への罰でもあった。


 部屋に引きこもり、外部との接触を絶って、只ひたすらに、黒くて重くてざわざわと心の奥底を這い回る感情の塊と向き合うだけの時間に明け暮れた。


 それは時に針の様な尖った姿に変容し、ある時はゆっくりとその体を引き延ばし俺を包もうとして、またあるときはずしりと心の底を抜くかのように重く沈む球体に姿を変え、さらにはなんの形も持たないひたすらに果ての見えないのっぺりとした暗闇にもなった。


 幾度も姿形を変えながら心に巣くうそれと見つめあうだけの時間。そんな辛く、悲しく、恐ろしくもあり、それでも逃げる事の出来ない時の流れから俺を引っ張り出したのは、強引に鍵のかかった部屋の扉を開け、俺の腕を掴んで引き起こした父親の一言だった。


「お前の彼女は、お前のそんな姿を望んでいると思うのか」


 その言葉は小さな波紋を俺の心に残した。


 小さな波は心を叩く。聖は何を望んでいるのか。それを考えた時、俺はまたも、わが身可愛さに聖の本懐を蔑ろにするところだったことに気づいた。


 涙に明け暮れ、飲まず食わずで、このまま聖への哀悼と謝罪の念を抱いたまま朽ちていければ。本当にそう思って、暗い部屋に座り込んでいた。


 しかし、俺にはやるべき事があった。朽ちた体では為せぬ大仕事。


 そこに気づいた時、俺の心に住まうのがあの忌まわしくも無視のできない感情の塊だけでないことに気づいた。


 黒く広がった縦横無尽の空間。その端の端。今にも消え落ちそうな儚さで、そこに聖が居たのだ。


 聖のか細い泣き声が、俺にはしっかりと聞こえる。

 

 体育座りで、自分の足に顔を埋めすすり泣く聖に俺は問いかける。


「俺はどうすればいい?」


「……」


 聖は何も答えない。


 もう一度問いかけた。


「どうして欲しい?」


 小さな叫びが聞こえた。


「あいつを、私を自殺する気にさせたあいつを」


 言葉が途切れる。


「うん」 

 

 俺は先を促した。


「…………殺して欲しい」


「わかった」


 そう答えた瞬間、暗闇の中に小さな光が灯った。それは憎悪。怒り。復讐の誓い。


 俺は心の中から出た。部屋を降りる。母親の用意したおにぎりを腹に詰め込み、喪服を脱いだ。


  ※※※


 静寂を表す、シーンと言う音がうるさいような気がしてくるほどの廊下。昼間の喧騒を思い返せば、そこは異空間という代物以外の何物でもない。


 そこはまたも暗闇に浮かび上がった回廊だった。曲がり角ごとに光る緑色の非常誘導灯。その淡い光を頼りに屋上を目指す。


 警報機設置の穴を示すメールの内容は、怖いくらいに正確だった。


 一回の中央階段から二階に上り、校舎を横切り一度旧校舎へ。廊下を避け、美術室脇の物置を通ると、もう一度本校舎へ。


 どうやれば、こんなルートを正確に導けるのか。一瞬のそんな疑問が浮かんだが、屋上へ続く階段を前にして瑣末な問は吹き飛んだ。


 屋上へと続くドアに手をかけた。ドアノブを回し、ゆっくりと力を込めドアを押す。鍵が掛かっていれば感じるはずの抵抗は、無い。


 暗さに慣れた目に明かりが舞い込む。どんよりと浮かぶ夜の雲が割れていた。


 月光が屋上を柔らかに照らす。その月光の舞台へと足を踏み出す。


 聖の仇を晴らすために。心のなかで未だに泣いている聖に報いるために。



 


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