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DI[e]VE  作者: 武倉悠樹
奈落の開口
17/21

正義と復讐の死者‐関口孝明と湯島誠の接触‐

 静かな図書館にキーボードをたたく音が響く。ノートパソコン特有の軽やかな打鍵音が、僕は好きだ。


 阪嶺大学の図書館。無線LANが飛んでいるラウンジでネットサーフィンをしながら僕は、さまざまな掲示板やチャットに顔を出し、情報を集めていた。


 自殺ネットに関する情報収集や書き込みは、もっぱらこの大学の図書館で行っている。


 御坂学園の生徒ならば、簡単な手続きで大学図書館の利用証は作れるし、無線LANの使用のために必要なラウンジの使用許可証は、当日のみ利用可能な簡易IDが図書館前のゴミ箱にいくらでも溢れてる。


 パソコン上のデータさえしっかりと消せば、僕の書き込みは証拠はネットの海に藻屑となって消える。残るのは文字通りテキストのみで、そこから僕は辿れない。


 そうやって保身を張り巡らせながら、僕は前向きに新たな合言葉を探していた。


 一週間前、新たな自殺が行われた。被害者の名前は、福沢聖。公式には報道されていないその名前をネットで知り、僕は一晩かけて福沢聖に関する情報を探し出した。


 警察がいくら報道規制をしようと市井の口に戸は立てられない。噂とデマを何度もふるいにかけ、一角の真実にたどり着く。


 有名女子高に通う福沢聖は絵画において非凡な才を有したていたらしく、ネットの検索では数多くヒットがでた。過去に大小様々なコンクールに出展した経歴を持つらしく、出身学校などの略歴はいとも簡単に知りえた。


 福沢聖という人間が何を考えていたか、僕にはわからない。


 しかし、二つ分かることがあった。それは福沢聖が有名なお嬢様学校に通い、他者に優れた才を持っていたこと。そしてそんな人間が死を選んだことの二つ。


 これは僕を湯島誠の呪いから解き放つ、魔法だ。


 「持つもの」ですら、世を儚み、死へと救いを求める。


 こんな状態で、世界が間違っていなくて何が間違っているというのだろうか。


 湯島は間違っていない、と言った。間違っているのは僕のほうだと。しかし、あいつは根本的に理解していないのだ、間違いというものを。いや、頭の切れるあいつの事だ。間違いに気づき、諦念の基にあんなスタンスを築いたのかもしれない。間違っていようがどうしようもない。配られたカードで勝負するしかないのだと。


 しかし、ディーラーのイカサマに気付きながら負け続けるなんてご免だ。ディーラーの気まぐれで引いた十回に一回のスリーカードに一喜一憂。そこに生きがいを見出し自分の気持ちを偽るのが賢い処世術なんだなんて、それが大人なんだって、そんなこと言わせやしない。


 戦わねばならない。間違いは是正しなければならない。僕の信念は折れていない。


 自殺ネットは世界への闘争の橋頭堡だ。自殺者の表で、社会へのテロリズムだ。


 経済も政治も文化も、すべて人によってできている。世界の最小構成単位は人だ。自殺とはそのもっとも重要な、人、が欠落していくということだ。その社会を司るルールにノーを突きつけて。それはこの世界の瓦解の始まりだ。


 戦争の勝者か、マネーゲームの勝者か。この世界を造って高みの見物を決め込む奴が居るはずだ。そんなやつらの思いの腹をあざ笑い再生の死を持って足元を救ってやる。


 この世界を地獄と例えるなら、自殺ネットは唯一の光明。持たざる僕らに差し伸べられた蜘蛛の糸だ。カンダタはこれを独占し、己が身を案じて他人を蹴落とそうとした。その浅ましさに糸は切れてしまった。


 だから、僕はそれをしない。救いにすぐに飛びついたりはしない。僕は死をあえて選ばない。救いを求める人間、一人でも多くに光明が指すように奔走すべきなのだ。


 その一念でキーボードを叩き、僕は合言葉を再び手に入れた。


 あとはそれを誰に託すか。絶望と悲痛の叫びで死を選ぼうとする人間を捜しださなければいらない。そのために今、こうして自殺ネットにアクセスしているのだ。


 机に広げたノートパソコンの脇に放っておいた携帯電話が鳴動する。あらかじめセットしておいたアラームだ。


 時間だ。

 

 パソコンを畳みキャリーバッグにしまうとラウンジを後にする。昼休みはまとまった時間が取れないのがネックだった。


 図書館を出ようと二枚ある自動ドアの一枚目、内ドアをくぐった時点で、ムワッとした熱気が身を包む。


 先週の半ばから五日間降り続いた雨を最後に梅雨は明けた。曇天が晴れた後に待っていたのは夏。それも猛暑だった。高く抜けた晴天に入道雲。その雲の隙間を塗って降り注ぐ陽光はアスファルトを焦がし、熱気で人々を襲う。


 私服姿の大学生とすり違いながら、さらなる暑さに身構えて二枚目のドアをくぐった。


「あっつ」


 襲いかかる熱気とそして光。思わず目を細める。


 蔵書のために調光が行き届いている図書館の館内に比べて、太陽の光は容赦がなかった。


 遮るものがない日差しは視界を白やかせる。眩しさに白一色に染まり、狭まった僕の視界に飛び込んだ光景。


 それは太陽を背負い、陽炎をまとった男の姿。


 徐々に目が明るさに慣れ、光景の輪郭を取り戻す。段々とはっきりとしてきた視界は顔の細部を捉える。


 そこに立っていたのは湯島誠だった。


 無意識に顔を下げ、視線を避けてしまった。


 すぐにその考えを振り払う。僕の正しさは揺るがない。湯島がなんと屁理屈をこねて僕をなじろうとも。浅はかな企みで金を無心しようとも。僕の考えは、自殺ネットが抱く意志の気高さは正しく世を裁く。


 顔を上げた。しかし目線は合わせない。たじろがず堂々と、かつ一顧だにもしない。


 湯島の脇をすり抜けながら、僕は、肩越しに一声。


「合言葉ならほかを当たってくれ」


 そう言うやいなや、肩に衝撃。肩に鈍い痛みを感じたのも束の間、強い力で半身を引かれ、強引に後ろを振り向かさせられる。


 振り向いた僕の眼前にあったのは湯島の顔ではなかった。それどころか正気な人間の表情ですらない。


 むくんだ顔に浮かぶは染紅に血走った瞳。髪はボサボサと艶を失い、白いフケをこれでもかとたたえている。目元を隠すようにだらりと垂れ下がった前髪。うっすらとしたひげを頬全体に生やして近くで見ても、コレがあの湯島なのか目を疑う。


 まるで凶気に狂った前衛画家の自画像のような表情をたたえた男が、僕の肩を掴み、髪の隙間から窺う眼光で射すくめている。


「ひっっ!」


 とっさに短い悲鳴が口から出るのを防げなかった。後天的な社会で身につけた信念の正しさや気概などでまとった鎧などいとも簡単に打ち砕く、それは、純粋で根源的な感情の塊だ。


 湯島に何があったのかを知る由もない僕ですら、瞬時にそれを感じ取った。それは果ての無い憤怒と憎悪だ。


「関口、合言葉知ってるだろう」


 湯島の言葉に怒気はなかった。その凄烈な表情佇まいとは相反して、言葉は冷静で淡々と。しかしソレがいっそう気味の悪さを醸し出している。


 自分の顔が恐怖でいかに歪んでいるのかも判らずに、僕は、湯島の狂気の眼を覗き込む。いや、眼を離せないのだ。引き込まれれば引き込まれるほど恐怖を増す湯島の底なしの黒。その黒い穴に手がかりはなく、一度滑り込めば成す術も無く恐怖に取り込まれるだけ。


「なぁ。教えてくれよ。会わなきゃ行けない奴が居るんだ」


 ぎりぎりと肩に食い込む湯島の手が激痛を生む。だが、それよりも心が悲鳴を上げていた。理性など、なんの役にも立たない無慈悲な心の暴力の世界に、僕はすぐさま屈したのだ。


「あ、合言葉は“サイトカイン”だ! 教えた! 教えたぞ! は、離してくれ!」


 肩の激痛が消える。湯島は胡乱な眼を僕の視線から外すと、どこかへと去っていく。


「サイトカ……。ゆるさ…い。ひじ……か…き。ころ…。こ……してやる!!」


 何事か呪詛のようにうわ言を言いながら、憤怒と憎悪の化け物が図書館前の広場に通じる階段を下りて行き、ようやく僕の視界から消えた。


 膝から崩れるようにしてその場にへたり込む。涙を拭くことも忘れ、ただただ僕は縮み上がっていた。日常に、僕らの生きる世界に、僕らの生きた世界の人間だった存在に、あんなにも狂気の感情は宿るものなのか。


 以前の時から何があったのか僕は知らない。判っているのは唯一つ、自殺ネットが絡んでいるという事だけだった。

 

 ジリジリと焦けるアスファルトの上。蒼穹に浮かぶ入道雲の下。僕はノートパソコンを抱えて呆然とする事しかできなかった。

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