仮面の下の悪意‐関口孝明と湯島誠との会話3‐
僕の中で憤懣が暴れる。
今でも覚えている、連続投身自殺事件の裏に自殺ネットの存在があることを知った時の興奮。この先きっと忘れることはないだろうあの感動。僕はその時こんな前向きで健気な仕組みは他にないと思った。
自分でも何と言っているのかわからない。誰に伝えていいのかもわからない。そんな絶望を鮮やかに表現できる最高のツール。そう確信した。
「自殺ネットは、自殺ネットで死ぬことはテロなんだ! 生きる意味も与えられず、死ぬ権利も与えられない人間達が! 誰かに、社会に、国に、この世界がこんなにも歪んでるんだって、大きな声で叫ぶためのメディアなんだ」
「お、おい」
僕はもう黙っていられなかった。湯島の目を見て、僕は内心をぶちまける。
自殺ネットを調べてきたのはその行為が導き出す意味に共感してきたからだ。僕自身、死にたくなるほど、周りのなにもかもに辟易してて、でも、恨み方も、敵の見つけ方も教わってこなかったからどうしたらいいかわからず。生きるのは楽しくないのに、死ぬ勇気も与えてもらえずに。
そんな日々にあって、自殺ネットは明確な意志を持っていた。確実に、システマチックに死ぬ、という明確な意志。生の否定、死への渇望。それが自殺ネットには感じられた。それは僕がのどから手がでるほど欲しくて、でも手にする方法がわからなかったものだ。
「僕は、そのメディアで、自らの命を懸けて叫ぶ人たちを支えてきたんだ! 今まで死を望んだ人たちは、死へと追いやられた人たちは、それぞれ考えはあったけど、皆一様に生と死に正面から向き合っていた人たちだった。それなのに、君は! 眼球で一個で幾らになる? セットで幾らだ! 借金なんて自己破産でも何でもすればいいじゃないか! 自殺は極地なんだ。生と死の狭間をたゆたった人間が最後に着くところでなければいけない!」
僕がまくし立ててる間、湯島はずっとこっちを見ていた。僕も湯島から目を反らさない。
「おいってば! 関口! さっきから勘違いしてるぞ、お前。俺は自殺なんかしないし、当然目も売らない。合言葉を使って自殺者をおびき寄せるだけだ」
今までで一番意味が分からなかった。こいつは何を言っているんだ。。
「お前が小難しくご大層なことを考えてるのはよーくわかった。でもな、そんなこと俺は知ったこっちゃない。金が欲しくて、金になるものを持ってる奴が居て、で、そいつがそれを捨てるって言うんだ。拾って何が悪い」
なにも口にできない。反感はわいてくるのに、それを表す言葉がでてこなかった。僕らの想いを踏みにじる禿鷹みたいな奴を前にして、何も言い返せないのがひたすらに悔しかった。
「君が、やっているのは営利殺人だぞ」
ようやく口を付いてでたのはそんな情けない糾弾だった。
「違うね。自殺だよ。自殺したい奴が自らの意志で自殺に臨むんだ。それが自殺でなくて何だって言うんだ! そこに誰かの意志や思惑が介在するのが悪いなら、自殺ネットの存在だって悪だ。死ぬことを知りながら合言葉を教えてるお前だって悪だ!」
「違う! 僕には大義がある!」
「俺にもあるさ」
黙れ。
「無い! 君にあるのはただ薄汚い欲望だろう!!」
「お前のがそうじゃないと何故言える! 自殺した奴には、自分の死にそんな大義名分をかぶせて欲しくなかった奴だっているかもしれないぞ」
頼むから黙れ。その薄汚い口をそれ以上開くな。
「そんなことはない! 間違ってるんだ! 高校生が、僕ら若者が死にたくなる世の中なんて!」
「俺は死にたくなんかないぞ。世の中が間違っているなんて思ったこともない。友達と、三宅や伏見とバスケして、彼女とデートして、テストでそこそこ言い点取って鼻高々になって、毎日楽しくてしょうがないね! そんな俺の世の中までお前に勝手に否定される筋合いはない! お前は、お前等はただ、巧くいかないことを誰かの所為にして、責任逃れをしてるだけだ!」
卑しい魂が垂れ流す、その呪詛を何とかしろ。ガサガサに鱗だった舌で無遠慮に人を舐め回すような、そのおぞましい言葉の数々を全部飲み込んで内蔵を腐らせてしまえ。僕の生に、僕らの生に意味なんて与えられなかった。僕とお前とで何が違ったって言うんだ。男がいて女がいて、そこに愛があって、それで人は世代を紡ぐんじゃないのか。何故持つ者と持たざる者が生まれんだ。僕が笑えないんだから、それはつまりこの世界がクソッタレだってことに決まってるじゃないか。
「自分が正しいから、僕が間違ってるっていうのか!」
「お前がそれを言うのか! 俺は、俺からは一度もお前の考えを否定なんてしちゃいない。テロ結構。世直し結構。俺はただ、知ったことか、と言っただけだ。お前が大義の前に自殺ネット上でどんなに暗躍しようと構わない。死にたくなるくらいこの世界に嫌気がさして居る奴がわんさかいようが、そいつらが勝手に死に踏み切ろうが一向に結構。お前等が好きにして、俺が好きにする。ただそれだけだ」
自殺は生の誇りを掛けた尊い営みだ。死者の魂を生者に刻むのだ、決して拭えぬ刻印として。全身全霊を込めて生き、そして死へ踏み出した持たざる僕らの心意気を、意志を、意味を墓標に変えて、社会に突き立てるのだ。
違うんだ。違うんだよ湯島。お前は何もわかってない。何も見えてない。
数千の文字で紡いだ百を超える文章が大音量で脳内に響く。しかし、それは声帯を震わせることはなく、言葉になり損ねたまま、脳裏で消える。
僕はついに湯島に何も言えなかった。拳を固く握って俯くことしかできなかった。
ガタリ、と音がした。湯島が席を立ったのだろう。僕は仕方なく、ゆっくり顔を上げる。
「話はここまでだな。もうこれ以上聞きたいこともないだろ」
湯島は財布からレシートの切れ端を取り出すと、談話室の机に転がっているボールペンでなにやらそこに書き込み、僕に差し出してきた。
「興奮して悪かったな。合言葉教えてくれる気があるなら、ここに頼む」
僕はそれを受け取らない。それどころではなかったから。崩れさった僕の中の何かの欠片を集めて組み直さなければ。
僕は情けないことに涙をこらえるのに必死で顔を上げていることすら辛かった。
メモを受け取らずに居ると、湯島は机にそれを残して背を向ける。
「もう昼休み終わるぞ。五限遅れちまう」
その言葉を最後に、湯島は談話室を跡にした。
僕がそこから動けずにいた。今一度、自分の思い、信念に、問いかける。自殺とは何か。
帰ってきた答えは自信あふれる思いでなく、昼休みの終りを告げるチャイムだった。
僕は、どうやら携帯のアドレスが書いてあるらしいメモ書きを眺めながら、そのチャイムをぼんやりと聴いていた。