差し出された対価‐関口孝明と湯島誠との会話2‐
時計の針は十二時を回ってしばし。昼休みはまだ三十分近く残っていた。
談話室の一番奥。この時期は日差しが強く、誰も好んで座らない奥まった窓際の席に湯島を促すと、僕はゆっくりと口を開いた。
「ここなら、よほどの大声じゃない限り周りに話を聞かれることはないよ」
僕の話をよそに、きょろきょろと物珍しそうに周囲を見渡す湯島。
「おぉ、確かに。こりゃ、そういう話向きな場所だ」
そういう話。そう、これから僕は、湯島とあまり人に聞かれたくない類の話をするのだ。
「で?」
湯島はひとしきり周囲を見渡すと、僕の方に向き直る。机に肘をつき、交差させた手は口許へ。指の隙間から覗く笑顔には、やはりなにか仄暗いものを感じる。
僕が心中に抱いた不気味さを知ってか知らずか、湯島は楽しそうに続けた。
「教えてくれるんだろう? 合言葉」
その不気味さに呑まれることの無いよう、僕は気を引き締める。湯島は、「その気は無い」と言っていたが、面と向かっての腹のさぐり合いで僕は湯島に勝てる気がしないからだ。
「言っただろう、条件があるって」
意識してゆっくり、値踏みをするかのごとく、話す。
「結論からいうと、僕は合言葉を知っている。それも多分最新のをね。さらに言えば、その合言葉はまだ誰にも教えてないものだ」
顔の下半分を重ねた手で覆い、表情を窺いづらい湯島だが、その柳眉がピクリと動いたのを僕は見逃さなかった。なにか不味いことを口にしたか。一瞬猜疑に駆られ、口を噤む。
湯島が表情を動かしたのも、それきり。無言のままこちらを見つめ、先を促す態度を崩さない。僕はその沈黙に居心地の悪さを感じるが、己が好奇心の欲望を優先し、説明を続けた。
「もっとも、合言葉の真偽の方は実際に使ってみないとわからないけどね。それでもいいというのなら……」
語尾を濁しながら、今度は僕が黙し、湯島を見つめる。
「いいよ、それで」
肘にかけていた体重を逃し、身を起こすと、頭を掻きながら応えてくる湯島。
「で? 条件ってのは?」
「聞かせて欲しいんだ」
「は?」
間髪入れずに応えた僕の反応に、一瞬だけ戸惑いを見せる湯島。すかさず、僕は説明を続けた。
「聞かせてほしんだよ。なんでその合言葉が聞きたいのか」
「……」
「その合言葉で……なにをするのかを、さ」
「それが条件。お前が望むことなのか?」
「……そうだよ」
僕は大げさに頷いてみせた。
その様子を湯島はどう受け取ったか。再び、手を口許に添え、俯いてなにやら考えている。
僕と湯島の間に流れる沈黙を切り裂くように談話室の喧騒が微かに響く。嬌声を上げる女子生徒たちだ。
側に備え付けられた大きな置き時計の時間を刻む音が、賑やかさの向こう側に追いやられ、時間の間隔が薄れた。
しばらく黙り込んだ末に、湯島は俯いたまま口を開いた。
「仮に……」
「うん?」
「仮に、だ。俺が話したとして、それがお前が聞きたいと思ってる話じゃないかもしれないぞ」
僕の出した条件を明らかに訝しんでいる湯島。と言うよりはさっきまでの僕と同じか。真意をつかめずに困惑してるのかもしれない。
そんなことしてどうなるのか、と。
僕はその答えを明かす事にした。変に警戒されて方便に逃げられても困るからだ。
今までにも偽りの身の上を話してきた自殺志願者が居なかったわけではない。しかし、わかるのだ、そういった嘘は。
自殺に踏み切ろうかという人間の心中など、そうそう偽ることの出来るものじゃない。そういった嘘は有り体に言えば薄っぺらだった。リアリティがなかった。救いを願う悲痛さに欠けていた。
そう、そこには死の臭いがしなかったのだ。
多くの自殺志願者の話を聞いてきて、僕にはそういった嘘を見抜くことが出来るようになっていた。やっかいなのは、だからといって僕にはどうする事も出来ないことだ。
わかったからといってどうこうできるものでもない。嘘だ、と糾弾したところで、本当だよ、と開き直られればそれでおしまいだ。相手の心の奥底など一度閉じられてしまえば暴きようもないのだから。
「話の内容は湯島君が気にすることじゃないよ。僕が求める対価は話してくれることだけだ。その内容がどんなものであれ、僕は合言葉を教えることを渋ったりはしない。……例え、それが、嘘、であってもだ」
先の先で釘を刺す。湯島に本当に話す気がないのなら、こんな牽制なんの役にも立たないが、しないよりはましだろう。
依然湯島は俯いたまま顔を上げない。
「話した内容は、他人には、」
「もちろん口外しない!……これも僕を信用して貰うほか無いけど」
「…………」
「…………」
まるでジリジリと空気が音を立ててるかのような焦燥感を覚える。遠くの喧噪をBGMに僕らの間に浮かぶ沈黙は、やがて、ぽつりと口を開いた湯島によって破られる。
「もしかしたら、こんな話、お前が聞きたいものとは違うかもだけどな。俺はさ、金が欲しいんだ」
突如語られた湯島の告白は今まで耳にしてきた自殺志願者の告白とは、少し毛色の異なるものだった。
突如現れた、金、という単語と自殺とがすぐには結びつかずに混乱してしまう。説明の続きを待つが、湯島は再び口を噤んでしまう。
疑問を宙ぶらりんにされた僕は、少し頭をひねる。金が欲しいから死ぬ。
まもなく、一見繋がらないように見える二つの事柄を結びつけるキーワードに思い至った。
臓器売買。
この世界は、聖職者や政治家やロビイストが謳うような平等さを、残念ながら備えてはいない。その最たるものが命だろう。
貧しい物は命を全うすることを許されず、富を持つ物は不必要なまでに贅を尽くす。
日本で衣食住に困ること無い僕が言うのもなんだが、貧困による飢えと先進諸国の飽食ですら、その歪つさは苛烈を極める。金と命を天秤に乗せる行為に至っては凄惨の極北だ。
生きている人間の健康な臓器を不健康な金持ちが買う。こうして金を媒介に命の灯火が譲渡される。一方的な強弱の関係の基に。
フィクションの世界で見聞きはしていた。そういう世界も現実にあるのだろう。
しかし、現実感がなかった。湯島がこれから足を踏み入れるのはそういう世界なのか。
意外で、そして僕の範疇を越えた世界の存在に驚きながら、わずかに残った冷静さが異論を唱えた。
自殺ネットが行ってくれる自殺は投身自殺だ。死体の損傷も激しいし、警察の目にも触れやすい。臓器売買といった類に利用する死に方としては適さないのではないか。
沈黙を守る、湯島に思い切って質問をぶつける。
「あのさ、えっと、それってさ。わざと死んで、死体をお金に換えるとか、そういうこと?」
体を横に向け俯いていた湯島の体がピクンと動くと、ゆっくり顔があがる。黙ったままこちらを見つめる湯島。
悠に数秒の間を置き、再び俯くと、口を開く。
「そうだよ。お前だって聞いたことあるだろう、映画やらで。人身売買とか臓器売買って言われてる奴さ」
やっぱりか。予想が的中したことに反して、僕の心は沈んでだままだ。すかさず、反論が口をついた。
「でも! 自殺ネットは投身自殺だ! 死体の損壊も激しいし、これまでも遺体はすべて回収されてるって聞いてる! 遺体から臓器が抜き取られてるなんて話は聞いたこ、」
「今回初めてやるんだから、そりゃ聞いたことないだろう」
「そんな……ことって」
「死体の損壊も大した問題じゃないし、警察の検死も問題ない。必要なのは肉体の一部だからな。ダミーを混ぜておけばバレやしない」
「一部?」
「眼球だよ」
そう言いながら、湯島は僕の目を視線で射抜いた。
思わず僕は目を反らしてしまう。
「気分の悪い話だろ。やめるか?」
湯島の言うとおり激しく胸くその悪くなる話だ。そして、なんで、そんな事を平然と言ってのけるのだろう。この目の前の男は。
僕は、食い下がる。狼狽えている事に対して虚勢を張りたいせいもあるし、もっと事の微細に突っ込みたいという好奇心もあった。
「いや、続けてくれ」
そう言うのが精一杯で、僕はもう湯島の目を見ることができなかった。訥々と湯島の口から語られる残忍な話をただ受け止めるのみだ。
「眼球はかなり需要がある。でもな、それは有名な角膜移植なんかの話じゃない。眼球、って言うか視神経って奴は実にデリケートでな。素人がそいつを傷つけない用にちょいちょいと引っこ抜くなんて芸当は、まぁ当然だけど、できない」
「闇医者とか、そういうのか?」
「そんなんじゃないさ。って言うよりもそんなレベルの高度な医療技術を持った闇医者なんていない」
湯島は饒舌に続ける。
「現代の医療は機械の医療だ。様々な医療機械が困難な施術を可能にするわけだが、闇医者はそんな上等な医療機械を手に入れることはできない。術式の情報のフィードバックとか、医師の情報管理とかまぁ目的は色々あるわけなんだけど、現代の医療機械にはその精密さや値段等を勘案した等級が付けられてて、一定以上の等級の物に関しては購入者から使用履歴まですべてが、厚労省を中心とした文科省経産省なんかの複省出向機関ですべて管理されてる」
「……」
「闇医者はMRIどころか、レントゲンだって持てやしない。おっと、話が逸れたな。そんな訳で抉りだした眼球は医療用になんか使えない。そんな眼球もって病院に行ったら即お縄さ」
「じゃあ、一体な、」
「飾るんだよ」
「そんな!!」
「ありえないか? でもそう言った腐れた趣味を持つ輩はごまんと居るぜ。しかもこぞって金持ちと来てる。俺はそう言う奴らに、」
「売るのか? 金のために命を投げ打ってまで!!」
「……は?」
「そんなことして何になる! それともなにか、そうまでして返さなきゃいけない借金でもあるって言うのか!」
僕は声を荒げていた。遠くでおしゃべりに興じる女子生徒達が、話を止めこちらの様子を伺っているのが、横目に見えたが、それでも止まらない。
自殺は。自殺ネットは金とか人身売買だとか、そんなくだらない物に使われていいようなものじゃない。
あれは、もっと。もっと。