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四話目【私は私の意志で誰かを好きになっても良いんだ】

《───君に好かれる努力はしよう。だが私は私を好きになれと強要はしない。なにかを他者から押し付けられること。その疎ましさを私はよく理解しているからな。》


己がされて嫌なことを君に強いるつもりはない。安心してくれ。善ならざる神とて嘘はつかぬさ。


《不安ならば名に誓おう。》


その言葉に。その無機質でありながら真っ直ぐな眼差しに心が震えた。アジ・ダハーグさんの身体に。綿毛のような光が降り注ぐ。目をパチリと瞬かせ。艶がよくなった羽毛を不思議がり。


首をもたげ。待ってくれ。どこに私を好きになる要素があったと。ぎこちなくアジ・ダハーグさんは私に問い。声もなく号泣する私におろおろとする。


どうした、何故君は泣いているのだと。上下に頭を上げたり下げたり。落ち着かない様子のアジ・ダハーグさんに。好きになれって。誰かに強要されてばかりだったからと袖口で涙を乱雑に拭う。


だから、私は私の意志で誰かを好きになっても良いんだと。あなたに言って貰えたことが嬉しくて泣いちゃいましたと眉を下げて笑う。


アジ・ダハーグさんは首を伸ばし。ぴとりと私の額に自分の額をあわせたあと。嗚呼、君と私は似た者同士であったのだなと僅かに声を曇らせ。君も、私も。己には過ぎたる力で難儀するなと私の額に口付けた。


瞬間、顔を真っ赤に染めて狼狽える私に口付けは親愛の証であると君の記憶を読んで学習したのだが。違うのかとアジ・ダハーグさんは不思議そうに問うので。


間違ってはいないけれども。なぜ、いま。このタイミングで口付けをと問うとアジ・ダハーグさんは首を傾げて。何故だろうな。私もなぜ君に口付けたのかわからないのだと尻尾の先を忙しなく左右に揺らしたかと思えばピンっと立てた。


《··“笑った顔がみたかったからだ。君はよく笑う。人と話すとき、食事をするとき。君は自然に微笑んでいる。邪神だと正体を明かした私にすら、君は微笑む。》


元の世界では私に媚びへつらう者しか私に笑みを向けなかった。故に私にとって他者が浮かべる笑みは不快なものだったのだが君の笑みは。その、なんと表したものだろうか。


《不快、ではない。心地が良いのだ。伽藍堂である筈のこの胸が温もる。だから私は君に笑っていて欲しい。邪神である私がそう思うのは少しばかりおかしな話ではあるが。》


綿毛のような光が数を増す。アジ・ダハーグさんは君は些か素直が過ぎるなと。尻尾の先で私の目元に溜まる涙を拭う。うん、私もそう思う。


私に好意を抱かせる為の言葉と態度だとしても胸に抱え続けた澱みを取り払ってくれた。それは十分にアジ・ダハーグさんを好きになる理由になる。


とは言えこんなに簡単に好意を抱いてしまう自分は。ちょっと。いや、かなり素直過ぎるのかもしれない。テーブルに頭を突っ伏して。


あ、でもアジ・ダハーグさん的には助かるかもですねと顔をあげると。確かに私としては助かるが。


私以外にもその素直さが発揮されるのは頂けないなと顔を近づけて。私以外の男にどうか好意を抱いてくれるなと頬に頭を寄せる。


《我ながら狭量が過ぎるとは思うのだが。君が私ではない誰かにその笑みを向けるのは胸が酷くざわついて落ち着かないのだ。腹立たしい。いや妬ましいと言うべきか。上手く言語化出来ないのだが、愉快ではないな。》


きっとこの言葉に深い意味はない。


早く力を取り戻したいから。好意が分散されることを避けたかった。ただそれだけなのだと頭ではわかっているのに。ものすごーくときめきましたと顔を両手で覆った。誰か単純な私を叱ってくれないだろうか···!!




「あ、湯屋の割引きクーポン券が入ってた。」


アジ・ダハーグさんと暮らすようになって二ヶ月が経つ頃。アジ・ダハーグさんの言動にときめくことにも慣れ。これは必要なことなのだとある意味開き直っていた。


開き直ってアジ・ダハーグさんを好きになろうと決めたのだ。私が好きになれば好きになるほど。アジ・ダハーグさんは助かるし。愛しすぎて歪んでしまうという懸念をしなくても良い訳で。


私は素直にアジ・ダハーグさんに好意を注いだ。そんな私にアジ・ダハーグさんは最初こそかなり戸惑っていた。邪神である自分が愛されるとは思っていなかったらしい。


けれども二ヶ月も過ぎれば愛されることに自信を持つようになっていた。具体的に言うと好かれるにはスキンシップからだと私の頬に頭を擦り付けたり首に巻き付いたり。


私の膝で丸くなって寝たり、私の鼻唄にあわせて身体を揺らしたりする度に。そんなアジ・ダハーグさんも大変キュートです。大好きと告げるとかなり戸惑っていたけれども。


今はそうだろうと得意気な顔をする。愛されまくって愛されることを疑わない飼い猫のような言動と態度。だがそこが良い。


すごく好きと窓辺で日向ぼっこしているアジ・ダハーグさんを眺めながら新聞を捲っていると新聞の間に湯屋。公衆浴場のクーポン券付きのチラシが入っていた。


最近、顔だしてなかったし。湯屋の女将さんと会いたいな。となれば早速湯屋に行こう。半分、夢のなかなアジ・ダハーグさんを首に巻き付け。歩いて十分も掛からないところにある公衆浴場ハマムに向かう。


ギュゼルバハルの公衆浴場は浴場とは言うけれども日本のような湯船がある訳ではなく。温めた大理石の床に座ったり、寝そべったりして身体を温め。浴場のなかに居る専任の垢擦り師に身体を洗って貰ったりする。


ちなみに最後にシャワーで汗を流す。湯屋に着けば。恰幅のよい女将さんが直ぐに気付いて、ルゥ!!いらっしゃいと私を抱き締め。きちんと食べてるかい?と健康チェック。


会う度に健康かどうか確かめられるので私も慣れたもの。一日三食、オヤツも食べてます。元気元気と笑って抱き締め返した。


湯屋の女将、オルキデさんはルゥは相変わらずちいさいねぇと微笑むので私の身長はもう伸びませんと口を尖らせる。ギュゼルバハルのひとたちは男女共に背丈は高め。


日本人体型の私はどう頑張っても子供に見られてしまう。まあ、私の場合ギュゼルバハルに来たら若返っていたので。子供扱いは致し方ないのだけれども。


オルキデさんはくすくす笑い。ルゥが元気そうで安心したと頬と頬を寄せ。ギュゼルバハル流の挨拶をしたあとに入っていくかい?と浴場の入り口に視線を向けたのでもちろんと笑って返す。


貴重品をオルキデさんに預けて。着替え室で湯屋に入る時の専用の服。湯文字を着たら浴場に入ったところでアジ・ダハーグさんの挙動が可笑しくなった。


目蓋を閉じ。解いた髪のなかに頭をいれたまま動かない。どうかしましたかと問うと慎みを持ってくれ···!!と尻尾でべしべしと私の肩を強めに叩き。


そう簡単に肌を見せるべきではない!!と何故か怒る。ドーム型の天井の嵌め込み窓から差し込む陽射しが当たる場所に腰を据え。頑なに目蓋を開かないアジ・ダハーグさんをそっと温かな床に降ろす。


君はなぜ平然としているんだと動揺するアジ・ダハーグさんに。だってアジ・ダハーグさん。蛇ですしと。

とぐろを巻いて頭を隠すアジ・ダハーグさんに答えると。ガバッと頭を上げ。私は確かに凶つ竜であるし。この姿も偽らざる己の姿に相違はないのだが···!!


私は人間の姿も持ち得ているのだぞ!!と私を見上げて目を丸くする。湯文字は腰に巻く布のこと。上半身を隠すものはない。だから晒された胸やお腹を視界に納めたアジ・ダハーグさんはバビュンッと着替え室に飛んでいった。


【尾張のうつけと】お悩み相談室(ギュゼルバハル新入り向け)【金柑頭の】part1582


350 座敷わらしがお悩み相談中です。


その日からアジ・ダハーグさんが籠のなかに引き籠って出てきてくれなくなったんですがどーしたら良いですかね。


351 好きな屋台飯はトルネードポテトな尾張のうつけがお悩みにお答えします。


いや邪神の癖に初心すぎぬか。裸で照れるとか。


352 好きな屋台飯は焼き鳥な金柑頭がお悩みにお答えします。


確かに初心ですが問題はそこではなく。わらしさん。これまでの言動から推測するにアジ・ダハーグ殿は人間と同じ感性をお持ちです。


つまり女性の裸を見れば興奮すると考えてよいでしょう。ましてや少なからず好意を抱く相手の裸。さぞや動揺なされたでしょうね。


353 一般人がお悩みにお答えします。


ガッツリ見ちゃったみたいだしね。

わらしちゃんの裸というか。胸を。


354 好きな屋台飯は鮎焼きな天才☆陰陽師がお悩みにお答えします。


わらしちゃん。相手は見た目、蛇だけどね。

中身もそうとは限らないの。


355 一般人がお悩みにお答えします。


人間の姿にもなれるって本人も言ってるし。これ興奮しちゃったんだろうな。座敷わらしちゃんの裸に。···ヤバくね?


356 座敷わらしがお悩み相談中です。


ヤバいというと?


357 一般人がお悩みにお答えします。


わらしちゃん襲われたりしないかなーって。


358 好きな屋台飯はトルネードポテトな尾張のうつけがお悩みにお答えします。


まあ、ありえん話ではないな。


359 一般人がお悩みにお答えします。


いや、でも蛇だぞ。


360 好きな屋台飯は御座候な凄腕♯陰陽法師がお悩みにお答えします。


お若いの。異類婚姻譚を御存知かな?


361 一般人がお悩みにお答えします。


わぁい。そーいうお伽噺よんだことあるなー!!


362 好きな屋台飯は焼き鳥な金柑頭がお悩みにお答えします。


これまでの言動を見るとアジ・ダハーグ殿は理性的な方なようですが邪神ですからねぇ。反道徳的な行動に躊躇いがない場合、危険ではあります。




「とは言われたけれども心配はしてないと言いますか。アジ・ダハーグさんならそんなことしないだろうなって。信用も信頼もしてるんですよ。」


居間の床に置かれた籠から蓋を押し上げて頭だけを出し。どこか恨めしげな目で見るアジ・ダハーグさんは。異性と認識されていないということだろうかと悄気た声で問うので。


よいせっと籠から引きずり出し。異性として認識しているかって言われたら。

まあ、難しいところだけれども。そうではなくてアジ・ダハーグさんは私が嫌がることはしないでしょと笑う。


自分がされて嫌なことはしない。初めて言葉を交わしたときにあなたはそう言った。そんなあなたを私は信頼しています。


「それに私の裸なんかでアジ・ダハーグさんが興奮すると思えないし。」


ギュゼルバハルの民族衣装の上から起伏に乏しい自分の身体を眺める。貧相で。魅力に乏しい身体であるという哀しい自負がある。うん、私の裸なんかで興奮する訳がないと。一人、頷くと。


肩を押されて床に背中がついた。なにが起きたのかと顔を上げた先。凄まじい美丈夫が微かに眉をしかめ私を見下ろしていた。


背を覆う程に長い白銀の髪、龍蛇のように裂けた瞳孔の柘榴石の瞳。檜肌の肌。その相貌は極めて秀麗。


更に銀糸で複雑な刺繍が施されたくるぶし丈の黒い衣。幅広の革のベルトの上からでも分かる凄絶なまでに鍛えられて、引き絞られた肉体も相俟って偉丈夫と呼ぶのが相応しい。


そんなひとが目の前に居た。私に覆い被さる、さっきまではいなかった男のひとは聞き慣れた声で確かに己がされて嫌なことはしないと言ったが。


かくも無防備であると喰らいたくなると投げ出す形になった手に指をからめて握り締め、顔を寄せる。このひとはアジ・ダハーグさんだ。思わずまじまじと眺めていると。ふっと目元を緩めて君は本当に危機感がないなと笑う。


「···自分でも不思議なんですが押し倒されてる状態でもやっぱり怖いとは思えないんです。」


「君はそうだろうな。凶つ竜であると正体を告げても怯まぬ君ならば。だが私の本性を知れば君とて私を嫌悪しよう。」


「でもアジ・ダハーグさんは私に本性を見せる気はないですよね。私に嫌われない為に。早く力を取り戻したいからだと理解していますが。苦心して、私に優しくしようとしてくれている。」


邪神ならば心を操ることなんて容易いのに。真っ当なやり方で私に好かれようとしている。あなたは不器用だけど真っ直ぐなひとです。


「そんなあなたを好きになることはあっても嫌いになることはありません。だからそんな風に寂しい顔をしないでください。」


「寂しい···?」


「うん。苦しそうで辛そうな顔だ。嫌われても仕方がないって言いながらもあなたはそれを怖がっているように見える。」


「···私になにかを恐れる心などない。そも私に心と呼ぶべきものがあるとは思えん。」


君が見ている私は君に好意を抱かれるように。君の記憶から汲み取って君に好ましく思われる言動と態度をとっているに過ぎないのだ。一日でも早く力を取り戻す為に。


「君に優しくするのは全て打算だ。」


《五話目に続く》

 

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