二話目【翼を持つ蛇】
必死に突き飛ばして逃げ出したけれども。獅堂君が手を回したのか。翌日の週刊誌に人気俳優の熱愛相手だと記載され。獅堂君は否定せず。
結婚を前提に付き合っていますと虚偽の声明を出した。相手は一般人、過度な報道はしないで欲しいと言いながらも。幼少期からの幼馴染みであることや私の学生時代の話が。とある筋からという体で流失した。
否定して逃げれば逃げるほどに私の退路は断たれていった。真綿で首を絞めるように。少しずつ少しずつ。けれども確実に追い詰められていく。
ついには身近なひとであれば獅堂君の交際相手だと分かるような情報が広まり、誰も彼もが不自然に私と獅堂君の交際を祝福するなか。私はどうにか獅堂君から逃れる為に仕事を詰め込んだ。
国外に出さえすれば逃げられると信じて逃亡資金を貯める為に。
その目標金額に達した日に私はギュゼルバハルに転移した訳だ。
逃亡資金は無駄になったけど。私はギュゼルバハルに来れて、ホッとしてる。
あれ以上歪んだ獅堂君を見ずに済んだからだ。幼馴染みの豹変になにかと図太い私でも打ちのめされていたし。恋なんてするもんじゃないと深く深く自分を戒めてはいるというのに!!
なぁんでときめいちゃうかなぁー!!と私は嘆く。ローズさんはこれ異世界転移者あるあるなのよねぇ。慣れない異世界で右も左もわからないなかで。
親身になってくれる現地人に恋をしちゃうの。私のグランパもその口だしと薔薇水で割ったシャラプというワインを飲みながらローズさんは肯定してテーブルに勢いよく突っ伏した私の頭の旋毛をツンツンと突つく。
「うふふ。なんで何時も私が好きになるひとは妻帯者なんです···?」
「逆に考えなさい。異世界転移者。可惜夜の乙女や御子相手にまったくの下心なしで親身にするような高物件が独り身な訳がないって。良い男は競争倍率が高い。うちの国は一夫多妻も一妻多夫もオッケーだけどルゥは嫌でしょ?そーいうの。」
「私、ものすごーく入れ込む質なんです。相手にも同じ質量で愛して欲しいです。余所見とかしないで私だけ見てって。我ながら重いが過ぎる。」
「あら、情熱的。アタシはそういうの好きよ。愛は重たければ重たいほど良いじゃない。ルゥが私と同い年だったらアタシが口説いてたわねぇ。」
「ローズさん、何歳?」
「ルゥ~?乙女に歳を聞くのは御法度よぉ。」
「いひゃいれふ。」
「んふふ。出来立てのロクラヴァみたいによーく伸びるほっぺたねぇ。」
ロクラヴァとはギュゼルバハル版のゆべしだ。砂糖とでんぷん粉で出来ていて砕いたジェトゥクというナッツを練り込んで四角い形をしたお餅のようにもっちりとしていて美味しいお菓子で。
そこそこカロリーがあるので美味しいからといってばくばく食べてしまうと翌日悲鳴をあげることになる危険で蠱惑的な存在だ。
そのロクラヴァを出してる菓子店の従業員にうっかり惚れたのは私です。丁寧な接客とたどたどしい日本語で話し掛けてくれてときめいた。
ちなみに六人目。閑古鳥が鳴いていた菓子店は私の福招き体質が遺憾なく発揮され、いまでは街一番の超人気店になりました。なお妻帯者。
子宝にも恵まれてものすごーく幸せの絶頂だ。是非そのまま幸せでいてくれ。諦めがつくように。
「それでルゥが惚れた十人目はどんな男だったのよ。そこまで凹むんだからとびっきり良い男だったんでしょうけど。」
「···聞いて驚いてください。隣国から留学しに来たガチもんの王子さまでした。ほら、うちの店によく来てた羊の獣人のエルバンさんです。」
「品が良さそうだったから、どこぞの御貴族さまだろうなとは思っていたけれども。」
隣国というとバルシュね。うちの国とは長年の友好関係で。向こうの王族がよく留学しに来てるとは私も知っていたけれど。
「ルゥはあの坊っちゃんのどこに惚れたの。」
「ローズさんが風邪で寝込んでたときに代打で私が厨房に立ったことがありましたよね。」
基本、補助とか。盛り付け担当で調理を任されたのはあれが初めて。緊張しすぎて焼き飯を焦がしちゃいまして。作り直すのでお時間頂けますかって謝りに行ったら。
「その焼きすぎた焼き飯で良いよ。だいじょうぶ。十分美味しいよ。可愛い女の子が作ってくれたからかなってにこにこしながら焼きすぎた焼き飯を食べてくれまして···。」
それ以来私が厨房に立つ日には焼き飯を注文してくれて。うん、上手になった。また美味しくなってるって褒めてくれてたんです。まあ、普通にときめきましたよね。
「あ、このひとの優しさが好きって自覚した日に重い病気だった婚約者が突然快癒したから国に戻って結婚するって嬉しそうに話しくれまして。うふふ、好きになった途端にこれですよ!末長く婚約者さんとお幸せにおなりあそばせ!!」
「そこで恨み言を吐いたり。婚約者から略奪してやるってならないところがルゥらしいわよね。」
「···だって一方的に片想いしてたってだけですもの。想いを伝えることすらしてないのに相手を恨むのも。なんの落ち度もない婚約者さんから略奪するのも筋違いってもんです。言葉を選ばずに言えばダサいです。」
「よく言った──!あんたはきっと良い女になるわよ、ルゥ。だからこそ口惜しくなるわね。ルゥほど、素敵な女の子は居ないのに。だーれも気づかないってことがね。」
「私、役立たずの可惜夜の乙女ですもんね。」
「まだルゥをからかう輩が居るのね。···可惜夜の乙女や御子と言っても特別な知識や力があるとは限らない。大多数は普通の人間だわ。だというのに。そうした可惜夜の乙女や御子を役立たずと呼ぶ連中は私たちからしても頭が痛いわ。」
そうは言っても私は確かに役立たずの可惜夜の乙女なのだと果実水の入ったコップに視線を落とした。私が福招き体質であることを知っているのはほんの一握り。
自分から誰かに明かしたことは殆どなく。知られたあとが怖いから隠していることもあって私は役に立つ知識は持っていないし。すごい特殊能力も持たないハズレの可惜夜の乙女だと言う人たちが居る。
私と同時期にギュゼルバハルに転移してきた人たちが物理学の博士、料理研究家、弁護士、アイドルと個性豊かで各分野のエキスパートであり。
転移した直後から精力的に自分の知識や経験を広めているのに反して、なにも出来ない私は役立たずだと言われてしまった。
まあ、福招き体質以外は平凡な人間なので。その評価は正しいですよとへにょりと眉を下げて笑えばローズさんに頬をまた引っ張られる。
「ルゥが役立たずなものですか。慣れない異世界生活。辛いこともあるだろうにそれをぐっと飲み込み。ギュゼルバハルの文化を学び、受け入れて私たちと分かりあおうと頑張っている。」
それを私たちはよく理解しているわ。湯屋のマダムも私もそんなルゥに助けられたことが何度もあるんですもの。ルゥ。あんたのその順応性と忍耐強さは褒められるべき立派な力だわ。
「ルゥはそれを誇っていいの。誰がくちさがなく貶しても。このギュゼルバハルに根を張って生きようとしているあんたは絶対に役立たずの可惜夜の乙女じゃないわ。」
「···うん。ありがとう、ローズさん。この世界に来れてよかったことが私には沢山ある。ローズさんに会えたこともそうだよ。私、ローズさんみたいな強くて綺麗なおねえちゃんが出来てすごく、すごく。嬉しい。」
「~~~ほんっと良い子なんだから!!早くルゥの魅力に気付けって言い回りたいけど!こんな良い子をそう簡単に渡してなるものかって気持ちがアタシのなかで常に殴りあってるわ···!!」
「えへへ。ローズさんに褒められると嬉しい。」
「───私、記憶はないけどルゥを産んだような気がしてきたわ。つまりルゥは私の娘だった?」
「ローズさん正気に戻って。」
私は恵まれている。多くの出会いがあり。理解者と言える気心が知れたひとに支えられて。この異世界、ギュゼルバハルで根を張り。どうにか生きていけている。
元の世界で読んだような異世界転移と言えばな胸踊るような冒険とはまったくの無縁だけど。私はそれで良い。この世界、ギュゼルバハルの穏やかな日常を私は愛している。不満なんてない。それでもふと思ってしまうのだ。恋がしてみたいと────。
普通の女の子のように誰かに、唯一無二と言えるそんな相手に巡りあってみたい。けれども私の厄介な体質がある限り、私の望みが叶う見込みは少ないのだ。ローズさんと別れ。酒場《小竜公》のある大通りを出て、入り組んだ路地を通り自宅に向かう。
箱のような形をした白い土壁と木材の住宅が連なった路地。目と鼻の先には関わり深い公衆浴場がある。この路地は住宅地で耳を澄ませば賑やかで力強い営みの音がする。
心地よいそれに寂しさを覚えてしまうのは私に肩を寄せあって団欒を共にする相手が居ないからだ。
私は本気で誰かを愛してみたい。けれども私が愛してしまうことで獅堂君のように歪んでしまうかもしれない。それが怖くて。誰かを好きになっても溢れ出そうな想いを飲み込んできた。不用意にひとを好きになってはいけないと戒めて。
けれども誰かを好ましく思う気持ちは、心は自分では止められなくて。想いを寄せたひとが自分ではない誰かと幸せだと笑う姿を何度も見ることになる。
その度に自分に言い聞かせる。好きなひとが幸せなら良いじゃないかと。でも、本当は幸せだと好きなひとが笑うとき。その隣に居るのは私でありたかった。
空を見上げる。満点の星空は元の世界で見ていたものより、美しい。流れ星が見える。ギュゼルバハルでも流れ星に願い事を託すという。だから思わず願う、恋がしてみたいと。
流れ星、消えないな。というより近づいてきてないか···!?真っ直ぐに私目掛けて小さな流れ星が迫ってきている。あわあわと狼狽え。とにかく逃げた方が良いと気づくよりも早く流れ星は私の足先に墜落した。
凄まじい土煙が晴れたとき、衝撃で出来た穴のなかに居たのは不思議な生き物だった。
それは全身が白銀色の羽毛に覆われた蛇。背中には羽毛と同じ色の皮膜ある翼。穴のなかで首をもたげて蛇は私を見た。
綺麗な柘榴色の瞳。私は膝を屈めて蛇と目線をあわせる。ギュゼルバハルには元の世界には絶対に居ないような生き物が沢山いる。この時期、渡り鳥ならぬ渡り蛇が頻繁に出る。
文字通り翼を持った空を飛ぶ蛇だ。何度か私も見たことがある。蛇はひとに懐かないというけれどもギュゼルバハルの蛇はひとに懐くし。警戒心が薄い。じっと私を見詰める渡り蛇らしき蛇に。そっと手を伸ばす。
パチリ、蛇は瞬いた。目蓋があるらしい。蛇は私の手に身体を寄せ。まじまじと私を眺めたあとにぽてりと穴のなかに落下した。
思わず両手で蛇を受け止める。ふわふわとした羽毛の感触。
蛇は冷たいイメージがあったが。この蛇は温かい。羽毛があるからだろうか。閉じられた目蓋は開かない。寝ているらしい。渡り蛇は群れで飛ぶ。空を見上げるが渡り蛇の群れはないということはこの蛇は群れからはぐれてしまったのだろうか。
手のなかで眠る蛇をそっと胸の辺りで抱え直して歩き出す。取り合えず連れて帰ろう。群れからはぐれた渡り蛇は生存率が低い。
このまま放っておくと野犬に食われてしまうかもしれないから保護しよう。すぐ近くの貸家に、自宅に戻り蓋付きの籠に柔らかいクッションを詰めて蛇を寝かせる。
寝室で夜着に着替え。寝支度を済ませて寝台に横たわる。その夜、夢を見た。豪奢で荘厳な。けれども虚しさが募る暗い玉座に座る恐ろしく美しい男のひとの夢を。
鐘楼の鐘の音で目を覚ます。寝起きでぽやぽやしながら身体を起こすと胸元からずさーっとなにかが落ちる。居間に置いた籠で寝てた筈の蛇が私の膝で目をぱちぱちさせていた。
あらま。君、籠から抜け出して来ちゃったのと翼の下に手を差し込んで持ち上げる。蛇は首をもたげて。尾を緩く揺らす。
改めて見ると奇妙な蛇だ。ふっかふかの羽毛、羽ばたく翼。蛇というより龍のようだ。本当に渡り蛇なのだろうか。
「おはよう、蛇さん。朝ごはんにしようか。渡り蛇は雑食だって言うけれど。人間の食べ物って食べさせて良いのかな?」
《ニャー》
「···蛇って鳴くんだね。しかも猫みたい。」
この蛇。ニャーって鳴いたぞ。蛇には声帯がない筈なのに。ベッドから降りて着替えると蛇は翼を動かして私の肩に着地して首に緩く巻き付き、髪の合間からニョキッと顔を出す。
蛇をそのまま巻き付けて台所に行く。目玉焼きとサラダを作ろうと考えながら電力ではなく精霊石という四代元素の力を蓄えた鉱石で動く冷蔵庫を開けて、見事に空っぽだったので額を覆う。
うん、予定変更だ。朝ごはんは店で食べよう。髪を結い。刺繍が施されたヴェールの着いた帽子を被る。
戸締まりを済ませて、お財布を持ったら《微睡みの薔薇亭》に行くことにした。至るところで炊事をしたり、露店で買い物をするひとたちの合間を縫い。時々、顔馴染みのひとたちと挨拶し。店に着けばローズさんが看板を出したところで。
おはようございますと声を掛ければ。ローズさんは随分と早い出勤だねぇと笑う。私は冷蔵庫の中身が空っぽだったんですとお腹を擦って今日は客として来ましたと笑い返した。
《三話目に続く》