現代日本に転移したエルフ、仮想通貨で全財産を溶かす
私の目の前に、エルフが居る。
金髪に碧眼、長い耳に人間離れした体型は、漫画の世界の住人だ。
そんな空想上の存在が今、顔を溶かしていた。
大きな目と長いまつげは互いを嫌うかのように離れ、口は半開きで生気を吐き出している。
「我の……全財産が……」
彼女の目の前には複数のモニターがあった。
そのひとつに無慈悲にも映し出されていたのは、綺麗な陰線。
ローソク足(注1)と呼ばれるそのチャートは、白より黒が多く、他の画面でも赤より青が多い。
「なんで仮想通貨に手を出したのですか……」
私は仕事から帰ると、すぐにエルフの溶け顔を見つけ、呆れ混じりの溜め息を吐いた。
さて、異世界の住人である高貴なエルフが、現代日本で醜態を晒すことになった理由を語るには、少し時を遡る必要がある──
------
「なぜ下がる!? なぜ我が買った時に限って下がるのじゃ!?」
ワンルームのこじんまりとした部屋の中で、興奮気味な高い声が響く。
その声に対策するため、部屋の壁には吸音材が張られていた。
「エルフさん……ハッキリ言いますけど、向いてないですよ」
呆れた声で言うのは、この部屋の家主である、私だ。
やつれた顔にスーツ姿で自宅に帰ると、更なる受難が私を待ち受けていた。
私の名前はアタヒ。
日本という資本主義国家で元気に社会人をしている。
元気というのは嘘で、不景気の時代を必死に生き抜いているのが正しい現状だ。
「うるさいのぅ……我が人間ごときに負けるわけがないのじゃぁ……」
パソコンの前で目を血走らせ、頭を抱えているのはエルフだ。
彼女は本当にエルフである。
耳は長く尖り、人間離れした美貌にモデルのような体型。
この世界の人間でないことは確かだった。
年齢不詳、出自不明、なぜ『のじゃ』口調なのか。
そんなエルフが現代日本に転移してきたのは、一か月前のこと……
……
雪の舞い散る、ある日の深夜。
終電ギリギリで帰れた私は、寒空の下、駅から少し離れた自宅まで歩いていた。
「うう……寒すぎだろ……」
手袋を忘れた私は、指先が冷たくなる感覚に足を速める。
途中、近道のために公園に入った。
夜中は明るい通りを歩くようにしていたはずなのに、なぜか近道を選んだ。
もちろん誰もいない……はずだった。
「おい、そこの人間」
私はスルーすようとした。
最初は、あまりの寒さに、ついに幻覚が見えたのかと思っていた。
目の前に居るのは、きっと妖精の類だ。
いよいよやばくなってきたな、と帰路を急ぐ。
過労による凍死が現実味を帯びてきた。
早く帰って、温かいご飯を……
「我を無視か。その傲慢さ、気に入ったぞ」
私は幻影にぶつかる。
そう、ぶつかった。
それは、実態があるという証拠だ。
「え、本物?」
「何を言っておる。我は****、お主の名はなんじゃ?」
名前であろう部分が、全くと言っていい程聞き取れない。
この世の言葉ではないどころか、人間では発音すら無理だろう。
「いや、ちょっと整理させてください。何で、エルフがここに……」
目の前に居るのは、真冬なのに胸元を大きく開き、露出の多い鎧と呼べるかも分からない代物を着ているエルフだ。
耳が長いことが、その確かな証拠で……
……
「回想が長いのう。そうじゃ、我がまとめてやろう」
私の意識は、欠伸交じりの声で戻された。
「思考を読みました!? それは禁止だと……」
「いや、お主、声に出ていたぞ」
「本当ですか……」
「本当じゃ」
エルフが大きく頷く。
私は恥ずかしくなり、床に座り込んだ。
色々考え事が多い性格とは自覚していたが、声に出ていたとは……
そんな私にはお構いなしに、彼女は説明を始める。
「我は新たな魔法の実験に失敗し、この地球、日本という土地に飛んでしまったわけじゃ。そして、偶然にも出会ったこのアタヒという女の家で、日々マネーゲームに勤しんでおる。この世界、つまり資本主義の勝者になることが我の新たな目的じゃな」
「はあ……まあ、そういうことですね、はい……」
「この世界の空想上の存在”エルフ”に似ていることから、我は”エルフ”と呼ばれているようじゃ。魔力のないこの世界で、我が名の発音は不可能だからのう」
「ご丁寧にありがとうございます」
「それで、じゃ。なぜ株式相場は暴落したのじゃ? 海外から見たら、日本市場はまだ”買い”のはずじゃ。円はまだ安いままだしのう」
エルフの質問に私は立ちあがり、彼女の横からモニターを眺める。
「ニュースを見てください。これですよ、これ。世界貿易が停滞することへの警戒感から、売りが加速したようですね」
私はマウスを使い、大手のニュースサイトを開いた。
そこには『速報:米大統領、相互課税を発表』と書いてあった。
「もちろん情報は得ておるぞ。我とて、無知のまま突っ走るほど愚かではないのじゃ。じゃがの……」
そこでエルフは首を傾げた。
どうも納得のいってない様子だ。
「たった一人の言動で、大国が、世界が動くとは思えなかったのじゃ」
「大統領選の時、あの時エルフさんはいなかったか……前からニュースで散々言われてたじゃないですか……」
私はやれやれと首を横に振る。
エルフは博識だ。
しかし、少しズレている。
思考の方向性が、人間のそれとは違うのだ。
今回も含め殆どの失敗は、彼女の傲慢な性格が寄与したものだった。
エルフという種が全員そうなのかは分からないが、彼女に関しては人間を下に見ている節がある。
それに関しては平等で、某国のトップに対してであろうと変わらない。
「じゃが、かの国は日本と同じ議会制民主主義を採用しておろう。なぜ、大統領とやらの力はそこまで強いのじゃ。あのような滅茶苦茶な要求が通るとは、とても思えん……」
エルフはまだ納得がいっていない。
彼女にはパソコンの使い方を教え──教えた結果、引きこもりエルフが誕生してしまったわけだが──捨てられず残していた学生時代の教科書などを渡した。
知識に貪欲なエルフは、すぐにこの世界の仕組みを覚えた。
集団で集団を管理するシステムに感心さえしていた。
だからこそ、今回のように一人が世界を混乱させている現状を、彼女は想定できていなかった。
きっとニュースを読んだ時も『愚かじゃ、そんな税率認められるわけなかろう』と鼻を鳴らしていたに違いない。
私は仕方なく、大統領の権限がまとめられているページを開く。
「大統領令は、議会の承認を得ず発せられるんですよ……」
「……これは我の勉強不足じゃな。そうじゃとしたら……うーむ、うむ、我はこの相場から撤退するぞ」
エルフが頷き、私は安心する。
この世界に来て、まだ一か月といったところだが、彼女の知識に対する素直さには見習うべきところがある。
しかし、無駄な行動力が問題だ。
「あの……いきなり実践といかなくても……」
私は恐る恐る聞いた。
エルフはまだこの世界の構造を理解できていないのに、株取引に挑んでいるのだ。
「我らエルフに伝わる教えじゃな。”実践あるのみ”というものじゃ」
「はあ……確かに、ここにもそういった言葉はたくさんありますが……ちなみにエルフさん、今回の損失はおいくらですか?」
「二十万くらいじゃな。途中で損切り(注2)出来て良かったぞ」
エルフは胸を張っていた。
私は泣きそうになり、膝から崩れ落ちる。
「私の、貯金が……」
私は自分のことを堅実な人間だと思っている。
資産形成の一環である投資は、老後のためだ。
そのための口座を渋々エルフに使わせていたのだが、彼女は短期的な取引で手っ取り早く成果を得たいタイプだったようで……
「待ってください! 今”損切り”って言いました!?」
「そうじゃ。我は賢い、しっかりと見極めはできるぞ」
「いや、違うんです!」
私は急いでパソコン画面を操作する。
エルフを押しのける形だったため、体に柔らかい感触が……と思ったが今はそれどころではない。
「エルフさん!? 暴落の後は必ず反発するんですよ! しかも、今回の大統領令はあまりにも極端! だから、撤回または調整がされるはずです!」
「う、うむ……」
私の圧にエルフは引いていた。
「つまり! 焦って売らなくても! いずれ! 元に! 戻るんです!」
私はエルフの肩をつかみ、揺さぶる。
別にレバレッジ(注3)をかけて、短期取引をしているわけではない。
ロスカット(注4)で強制的に退場ということもないし、ここは様子見をするべきだった。
「あのですね!? 世界経済は絶対に成長するようにできているんです! 前言いましたよね!? ガチホ(注5)こそが正義だと、言いましたよね!?」
元はと言えば、私が悪い。
エルフにマネーゲームを教えた、というより見られたのが元凶だ。
彼女がここまでハマるとは思わなかったが、ガチホの重要性だけは何度も教えていた。
だから今回も『下がったかー』くらいにしか、私は思っていなかった。
現に今までは上がったり下がったりで、許容範囲内のマイナスでしかなかった。
最初はだれでも失敗する。
そこから学んでくれれば、と優しい目で見守っていた。
「私が買っていた銘柄まで……成行(注6)で買い戻すか……間に合うか……」
私は眉間に皺を寄せて、思考する。
しかし、今の相場は読めない。
暴落と暴騰を繰り返すはずだから、どこかで……
「アタヒよ、そんなに焦ることはなかろう。何なら我が大統領に直接……」
「それはダメです」
急に突飛なことを言われ、私の脳内は冷静になった。
このエルフ、下手したら本当にやりかねない。
「エルフさんは、迎えが来るまでおとなしくしていてください」
とりあえず情報を集めながら、私はエルフを牽制した。
彼女には、この世界の混乱を防ぐため、目立つ行為を控えてもらっている。
外に出るときは、長い耳を隠し、ダボダボのスウェットを着るなどして人間離れした体型を隠させる。
その他も対策はしっかりさせていた。
それも全て、空想上の存在になぜか気に入られてしまった私の平穏を守るためだ。
「明日は反発するはず……ただ、間に合わない。なら……」
私はブツブツと独り言を言っている。
自室内で思考する時の癖みたいなものだ。
今の時間は午後八時。
とっくに取引は終わっている。
明日も仕事、早朝の取引には参加できない。
「そもそも今の時点で予約取引などは行われているだろうし、始値は……指値(注7)は……よし、こんなものだろう」
私は翌日の注文終え、息を吐いた。
エルフが勝手に売った値段から考えると損失は免れないが、それでもやらないよりはマシだ。
「ふむ、この値段で買い直すのじゃな……」
エルフは私が操作した画面を興味深く見つめていた。
私は自分がスーツ姿のままだったことに気がつき、着替えを始める。
正直に言って、私には今の相場が分からない。
不確定要素が多すぎて、私みたいな一般人からするとついていけないのだ。
だからこそ、比較的安値になっていた大企業の株に買い注文を入れ、後は気絶したいと思っている。
部屋着に着替え、私はキッチンへと向かう。
今日は豆腐にしよう。
安く済まし、少しでも損失を減らすのだ。
「なんじゃ、今日はこれだけか」
豆腐を切り、調味料で簡易的な麻婆豆腐を作ろうとした私の隣にエルフは立っていた。
「我慢してください。一般社会人の二十万がどれだけ大変か、エルフさんも知るべきです」
「金に縛られるとは、人間は愚かじゃ」
エルフは鼻で笑い、パソコンの前に戻ろうとする。
私はため息をつきながらも、冷凍してあった白米を取り出すため、冷凍庫を開けた。
「エルフさん」
私の声は低い。
「ぎくっ……」
エルフは固まった。
「アイス、食べましたね?」
冷凍庫の中に入れてあったアイスクリームが全て無くなっていた。
甘党な私の、数少ない楽しみだった。
「一日一個って、約束しましたよね?」
夕食後に少し高価なアイスクリームで一日を労わるのが、幸せだった。
「別によかろう。一個三百円程じゃぞ? 安いではないか」
エルフは逃げられないと悟ったのか、胸を張ってふんぞり返る。
「はあ……」
私は諦め、無言で机に二人分の夕食を並べた。
そのまま両手を合わせ、黙々とご飯を食べる。
「う、うむ……我も悪かったと思っているのじゃ。何なら、我が買いに行ってもいいんじゃぞ? エルフを使うなんて、名誉なことじゃ。うむ、アタヒには許そう」
流石にこの空気はまずいと思ったのか、エルフはぎこちない笑みで私に媚びを売った。
「そのお金は、誰のですか?」
「うっ……確かにそうじゃが……」
私はエルフに小遣いまで渡していた。
多少は好きな物を買える程には、だ
だが、この傲慢エルフは毎日コンビニで散財し、あまつさえ私の楽しみまで奪った。
そもそも、数分長く歩けば安いスーパーがあるというのに、それすら面倒臭がるのだ。
無言の中、食事は続く。
私は自分の夕食を食べ終え、キッチンへと向かった。
「アタヒ、今日は流石に悪いと思っておる。じゃから、我のやれることならなんでも……」
「なら、お金を稼いでください」
「それは、株取引で……」
「今までの損失は?」
「マイナス三十万です、じゃ……」
ほんの一か月でこの金額だ。
もう、私の口座で取引させるのはやめよう。
『聡明なエルフに任せていれば、勝手に資産が増えるかも』と考えてしまった私をぶん殴りたい。
「じゃあ、もう株は禁止です」
「だったらFX……」
「FXもです。自分のお金でやってください」
今日の私は冷たい。
この一か月で彼女の扱いについては、だいぶ慣れた。
「うう……我は勝者に……」
いつもの傲慢な様子とは打って変わり、しょんぼりとしてしまったエルフ。
私はそんな彼女を気の毒に思えてしまった。
そして、私の中に妙案が思い浮かぶ。
「そうだ、写真を撮りましょう」
私は収納の奥にしまってあった一眼レフカメラの存在を思い出した。
「写、真?」
「そう、写真です。エルフさん、ガワは美人なので、きっと売れますよ」
「ふむ、我の存在は隠すのではないのか?」
「いえいえ、どうせコスプレだとしか思われませんって」
今の世の中、インターネット上で自分の写真を売ってる人は多い。
そこには、現実離れした見た目をした者たちがたくさんいる。
木を隠すなら森の中、エルフを隠すのも森の中、だ。
「ふむ、機嫌が直ったようじゃな。よかろう、我の勇姿、この世界の民に広めようではないか」
私はエルフと固く握手を交わし、今後の予定が決定した。
そして食事が終わり、一息してから、撮影会が始まった。
「くっ、殺せ……」
「いいですよー、その調子でいきましょー」
ベッドの上で両腕を縛られているエルフを、私はカメラで撮っていく。
彼女の姿は、この世界で初めて会った時と同じ露出度の高い鎧だ。
羞恥と屈辱に悶えるエルフ。
『これは売れそうだなー』などと考えながら、私は淡々とシャッターを切る。
しまっていた照明器具まで取り出し、小さな部屋がさながら簡易的なスタジオになっていた。
これは仕事、そして私の損失を埋めるための仕返しだ。
「誇り高きエルフが、人間に捕縛されるなど、屈辱じゃ……」
「いいですねー、っと、よし、十分かな」
私は撮った写真を確認し、頷いた。
あとはストーリーが想像できるように編集し、ショップにアップロードすればいい。
最近はデジタル商品を売る場所も増えたし、以前に比べてこういった活動はやりやすくなったものだ。
「エルフさん、迫真の演技でしたよ」
「うぅ……演技ではないのじゃぁ……」
エルフは魔法を使い、捕縛されていた自分の身体を自由にする。
悔しそうに歯ぎしりまでしていた。
「高貴な存在である我が、人間にここまでいいようにされ、あまつさえ全世界に公開されるとは……同胞に見せる合わせる顔がない……」
「大丈夫ですって。どうせ、この世界にエルフさんの知り合いは居ませんよ」
「そうだといいのじゃが……」
パソコンで早速編集作業を始めた私の横で、エルフはいつものダボダボスウェットに着替えていた。
彼女の鎧は魔力で出来ているらしく、着脱自在だ。
「人間に召喚された異界のエルフが、嫌々辱しめを受ける写真集っと……」
「アタヒ、それは違うのじゃ」
エルフは長い耳をピクリと動かした。
「何がですか?」
私は無機質な声で問いかけた。
「いや、我の勇姿を……」
「三十万」
「じゃ……」
金額の大きさに、エルフはうなだれてしまった。
エルフは傲慢だが、自分の落ち度はしっかりと認めるようだ、
そこに付け込んでる私はどうなのか、という話にはなってしまうのだが、一般社会人にとっての三十万円は大きすぎる。
罪悪感を誤魔化し、彼女を利用しよう。
「個人が特定されることはない、と思いますよ……それはそうと、どれだけ売れるか楽しみですね!」
コスプレではない本物のエルフの写真集だ。
期待もしてしまう。
「ちゃんと、我の口座に振り込んでおくのじゃぞ」
エルフは着替え終わり、ベッドで横になりながらタブレットを見ていた。
切り替えが早いことには、素直に尊敬してしまう。
しかし、フードを被っている彼女は、ぐうたらした人間にしか見えない。
「無理ですね。身分が証明できないエルフさんが口座を作ることはできませんよ」
「じゃったら、我はこの世界の金融システムに入れないではないか」
「それはそうですよ。違法なお金のやり取りを警戒してか、最近は更に厳しくなりましたから」
私はパソコンを操作しながら、ゴロゴロしているエルフと会話をしていた。
ここ一か月で当たり前となった我が家の光景だ。
「我は誇り高きエルフぞ。それでもダメなのか?」
「誇り高……はあ、当たり前ですよ。そもそも身分証はあるんですか?」
「こうなったら、魔法で操……」
「それはダメです」
エルフが最初に出会ったのが私で良かった。
彼女は事あるごとに魔法で解決しようとする。
魔法とは本来、この世界には存在していない現象だ。
そんなものを易々と使われたら、どんな混乱が待ち受けているのか想像もしたくない。
結果、半分無理やりに家に住まわれることになった私は、穏便にこの世界から去ってもらうため、ある程度のワガママを許容することになっているわけだが……
「これからは、売上分”は”私の口座から自由に使って良いですよ。ほら、ここに表示されている分ですね」
私は、登録した創作者向けマーケットプレイスのマイページを見せる。
そこには、今後入ってくるはずの売り上げが載っていた。
「負けに負けて、売り上げの全額をエルフさんの取り分にしていいです。これがエルフさんの財産ということで、今後はお金を稼ぐ大変さを知ってください」
「ふん、我の美貌ぞ。数十万くらい、すぐじゃ」
エルフは勝ち誇った顔をし、タブレットでのネットサーフィンを再開した。
最近は猫が可笑しな動きをする動画にハマっているらしい。
「それは、否定できないです、ね……」
私はため息をつき、編集作業を再開した。
何のトラブルも起きず、この”迷いエルフ”を元の世界に帰すことが私の使命だ。
そう思ってしまうのは、彼女が危なっかしいからだろうか……
「がははは、この世界の動物は面白いのー」
「はあ……」
今日の失敗と先ほどの屈辱を忘れてゲラゲラと笑う高貴()なエルフに、私はもう一度大きな溜め息をついた。
睡眠時間を削り、奪われた私のベッドでだらしなく寝るエルフを横目にデジタル写真集を完成させる。
使うことがないと思っていた編集技術が、今になって役に立った。
ワンルームの床で雑魚寝をして、数時間後に迫った出勤に備え体を休める。
少しでも寝るのと寝ないのとでは、脳の働きが全然違う。
自分の家でベッドに寝れない謎に対しては、もう諦めた。
早朝六時、目覚まし時計が鳴る前に脳が覚醒する。
訓練された社畜は、自動的に起きてしまうのだ。
私は出社の準備を終え、まだ寝ているエルフを起こす。
いつ見ても清々しい程のアホ面だ。
「エルフさーん、私、行きますからねー。写真集は本日正午に販売予約をしてありますのでー、売れるまでマネーゲームはお預けですー」
エルフは『ふぁーい』と気の抜けた返しをしてくる。
私はやれやれと笑い、机の上に千円札を置いた。
昼食とおやつ代……
「私はあんたの母親か!」
「な、なんじゃ!?」
急に大声を出した私に、エルフは飛び起きた。
「あ、エルフさん。おはようございます。では、また夜に……」
「う、うむ……」
良く分からない空気が流れ、その場はお開きとなった。
それから私は、満員電車に揺られ、会社へと向かう。
”社会の歯車”という表現が社会人にはしばし用いられるが、それは正しいだろう。
仕事というのは、どれだけ自分を殺せるかが大切だ。
ただ、そんな生きてるのか死んでいるのか分からない日々も、この一か月だけは違っていた。
異世界からエルフが転移してくるという非日常は、日々に刺激を与えてくれる。
とうの昔に忘れていた夢を、昨日はエルフで見ることができた。
昨日は少し冷たくしすぎちゃったな。
帰りに、彼女の分までアイスを買ってあげよう。
そう思うと、今日もなんとかやり遂げられそうだ。
無心で仕事を終え、夜。
残業も少なく早めに帰ることができた私は、近所のスーパーに寄って自宅へと帰る。
「ただいまー」
「おかえりなのじゃー」
以前は虚空に流していた挨拶も、今では誰かに受け止められる。
それは少し、嬉しい。
エルフの第一声が叫び声にも似た悲鳴ではない、それだけで嬉しい……
「今日は機嫌がいいですね」
「うむうむ。我は今、自己肯定感が上がっているのじゃ」
「どこで覚えたんですか、そんな言葉……」
私はパソコンの前でふんぞり返っているエルフを横目に、買った食品を冷蔵庫に入れる。
彼女は聞いてほしそうにしているが、アイスが溶けてしまうから、仕方がない。
やることを終え、私がパソコンの画面を見るまで、エルフはずっと胸を張っていた。
「ほう……ほうほう。いや、すごいですね。さすがはエルフさんです」
「反応が薄いのう……」
画面に映し出されていたのは、デジタル写真集を販売していたサイトのマイページ。
そこには、ギリギリ六桁に届いた売り上げが記録されていた。
「いえいえ、普通に感心しているんです。知名度のない状態で200部以上売り上げるなんて、すごいですよ! しかも初日で!」
「そうじゃろう、そうじゃろう。我も不安になって調べてしまったぞ。がっはっは」
「そうです、そうです。あはははは……ちっ」
「なんで今、舌打ちしたのじゃ!?」
私は自分の顔が険しくなっていることを理解していた。
この感情は、嫉妬以外のなにものでもない。
「他意はありません。本当におめでとうございます」
「なんなのじゃ……我、悪いことしたのか?」
エルフの不安そうな目から逃げるように、私はキッチンへと向かい、夕食の準備をする。
「なんなのじゃ……分からぬやつじゃ。まあよい、にしてもこの一眼レフというものは凄いのう……うむ? なんじゃ、これは……なぜ、我以外の写真が入っておる」
「ああ!」
私は思い出した。
いつもの癖で、メモリカードを本体に戻していた。
そして、そこにはかつて撮った写真も……
「見ないでください!」
私は急いでエルフに飛びつき、カメラを奪おうとする。
彼女はヒョイとカメラを上に上げ、私を体で受け止めた。
くんずほぐれつ、身体同士が重なる。
「なぜ隠すのじゃ」
エルフは澄ました顔で、かつての私、コスプレをしてポーズをとっている私の写真を見ていた。
「それは……」
顔が熱くなるのを感じる。
自分の中では、すでに黒歴史と化していたものだ。
「あー、もう! エルフさんはいいですよね!? 顔は小さい身体は細いのに、出るとこはちゃんと出ているし! 私なんて、私なんて……」
私はベッドに寝転がり、大の字で天井を見上げた。
自分がみじめに感じてしまう。
好きなことと向いていることは、必ずしも一致しない。
それを理解し、諦めてしまった自分……
「アタヒはどうだったの?」
「なにがですか……」
エルフがベッドに座り、初めて聞く優しい口調で語り掛けてきた。
「この時はどう感じたの?」
私に見せられたのは、カメラの液晶画面に映った”昔の私”。
「それは……楽しかったです……」
化粧を学び、慣れないカラコンを付け、ウィッグで決める。
似合っていないと分かっていながらも、フリフリの衣装は私を別人にさせてくれた。
その瞬間に対して嘘はつけない。
「それが一番だよ」
エルフはそう言って、私の頭を撫でてくれた。
彼女の顔はとても凛々しく、誇り高きエルフという言葉がピッタリだった。
「それに、我は可愛いと思うぞ」
エルフは立ちあがり、手に持っていたカメラをベッドに置いた。
「だったら、一緒に……」
私の言葉から自然と漏れてしまった言葉。
彼女と一緒に好きを追求したい、そう思った。
「嫌、じゃ」
私の言葉が終わる前に、綺麗なウインクと共にエルフに断られた。
「はあ……そこは、良い話で締めましょうよ」
私は、変わらない彼女に笑ってしまう。
「あんな辱め、もうこりごりじゃ。我はこの金を元手に、資本主義を攻略してやるのじゃ!」
エルフは喜々としてパソコンに向かった。
その画面には、数々のチャートが映し出されている。
「ほどほどにしてくださいよー」
私はキッチンへと向かい、夕食の準備をする。
彼女の様に、私も好きなことに全力でいられるだろうか──
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そして時は現在に戻り、私の目の前には顔の溶けたエルフがいる。
写真集は売り上げを伸ばし、謎の美エルフとして少し話題になった結果、最終的には七桁の金額にまで辿り着いた。
彼女の現実離れした姿に『どうせ加工だろ』という感想が溢れてしまったが、それは想定通り。
こういうのは謎のままの方が、人々の関心を呼べる。
この売り上げ全てを使ってエルフがおこなったのは、株、FX、そして仮想通貨……
そう、株とFXで惨敗した彼女は、急に『時代は仮想通貨じゃ』と言い始めたのだ。
下手に資金があり、尚且つ売り上げで損失を補えたからこその愚行だと言える。
そもそも冷静で客観的な判断が必要とされる投資の世界で、傲慢で短絡的な性格は不向きだ。
その結果、ご覧の惨状が生まれてしまったというわけである。
「あのですね、仮想通貨は相場範囲が決められていないので、値動きが激しいことぐらい……はあ……それで、何を買ったのですか? もしかしたら、今後も上がる可能性が……」
私はボケーっとしているエルフの横から、取引画面を見る。
「はあ……」
そして、今までで一番の溜め息をついた。
エルフが見ていたチャートには、見たことも聞いたこともないような名前の通貨が示されていた。
「ミームコイン(注8)に手を出すとは……でも、しっかり有名どころも……って、エルフさん!? これ全部、ロスカットされているじゃないですか!?」
画面を切り替え、取引所のマイページを見た私は、声を荒げてしまった。
「なんで信用取引(注9)をしたんですか!? 約束しましたよね!? 絶対に現物(注10)でやるって!」
エルフの肩を揺さぶるが、反応はない。
「しかも……」
私は嫌な予感がして、自分の口座残高を確認した。
予想は的中だ。
エルフは彼女のだけではなく、”私のお金”まで使っていたのだ。
「追証(注11)、私のお金使いましたね?」
私の声は魔法を使っていないにも関わらず、氷の様に冷たい。
エルフが震えながら私を見てくる。
「ごめんなのじゃぁ……最初は上手くいってたんじゃぁ……」
縋りつくような声に私はニッコリと笑い、カメラを取り出した。
「写真、撮りましょうか?」
そして、シャッターを切る。
──誇り高きエルフの泣きそうな顔は、私にとってのプライスレス(注12)だ。
注1)ローソク足とは、一本で設定した時間内の始値、安値、高値、終値を表す線である。陰線である黒や青などの線の場合、終値が始値より低かったことが分かる。
注2)損切りとは、損をすることを承知の上、値下がりした商品を売ることで損失分を確定させることである。損失の拡大を防ぎ、次の投資に資金を回せるなど、適切なタイミングでの損切りは非常に重要である。
注3)レバレッジとは、担保として預けた証拠金の何倍もの金額を使う取引を可能とする仕組みである。
注4)ロスカットとは、投資家が自ら行う損切りとは違い、取引業者が取引を強制終了させる仕組みである。信用取引において設定される。場合によっては、預けた証拠金以上の損失が発生する場合もある。
注5)ガチホとは、ガチでホールドするの略で、投資対象を長期間保持し続けることである。長期的に見ると、世界経済は成長し続ける予想のため、有効的な取引手法である。
注6)成行とは、成行注文のことで、価格を指定せずに、その時点の市場で一番安い売り注文と売買取引を成立させることである。早く確実に取引を成立させられるというメリットがある。
注7)指値とは、指値注文のことで、希望値段の範囲を指定して、自分の希望する価格で取引を成立させることである。指定価格に届かず、取引機会を逃す可能性がある。
注8)ミームコインとは、インタネット上のユーモアから生まれた仮想通貨である。実用性よりも話題性で価格が変動する傾向がある。
注9)信用取引とは、レバレッジをかけた取引のことである。
注10)現物とは、現物取引の略称で、自己資金の範囲内で行う取引のことである。
注11)追証とは、追加証拠金の略称で、預けた保証金が一定水準を下回り、取引業者に追加で保証金を差し入れなければならない状態のことである。信用取引において発生し、追加の保証金を支払えない場合、取引を続けることが不可能になる。
注12)プライスレスとは、お金に換えられないほどの価値がある、ということである。
*投資は自分自身の余力資金を使い、生活に支障をきたさない範囲で行うことをお勧めします。
趣味と実益、そして経験から生み出された作品です。
またいつか、どこかでお会いできれば幸いです。
シエドリ