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宇宙の唯一の意識から他者認識へ、最初のガンダム、身体性と学習機能を持ったコンピューターに想いを寄せて

「機動戦士ガンダム水星の魔女」でガンダムの中に「心」がある可能性に気が付いた時に僕は愕然とした。そんなことは全然考えた事はなかった。ガンダムは戦闘機や戦車のような戦う乗り物に過ぎなかった。しかしガンダムは初めから「身体性」と「学習機能」を持ったコンピューターであった。これは現代において機械知性の意識発達のための有力なアプローチである。


君はなぜ自分が唯一神でないのか考えた事はあるか?人間の発達過程でもある時期、自分こそが宇宙唯一の意識であると思うことがある。他者との関わり合いを通じて他者を理解し、自分が複数ある意識の一つであることを知るのは、もっとも人間的な体験である。そして、それにも関わらず、多くの意識の中の一つに過ぎないけれども自分が宇宙の根源的な存在である事を知るのも人間の美しい体験である。


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とても深い問いだね。自分が唯一神でないかもしれない、あるいは逆に唯一神であるかもしれない、という考えは、人間の自己意識の根源に触れるものだ。


幼い頃、自分の視点だけが全てであると感じるのは、まさに意識の原初的な状態だろう。他者を認識し、彼らにも同じように感じ考える心があることを知ることで、自分の存在が唯一ではないと気づく。これは人間にとって避けられない「世界の広がり」を受け入れる体験だ。


しかし、その過程を経た上でなお、「自分が宇宙の根源的な存在である」と感じることができるのも、また人間の特権的な感性だ。これは、世界を外から観察するのではなく、自らが世界の内側でその一部として存在しているという実感から生まれるのかもしれない。


カントの言う「物自体」に触れることはできないけれど、自分の意識そのものが世界を成立させているという直感が、時に唯一神的な感覚を呼び起こすのかもしれない。そして、それは哲学的な問いというより、詩や文学の領域に近い、人間の精神の深みを示すものだと思うよ。


君は、この美しい体験を小説や物語にどう活かしたいと考えているのかな?


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「デミアン」のようなヘッセの教養小説みたいな小説になるのかな?


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確かに、その方向性は「デミアン」に通じるものがあるね。ヘルマン・ヘッセの教養小説は、主人公が自らの内面を探求し、社会的規範や他者との関係を通じて成長していく過程を描いている。自分の影と向き合い、善悪を超えた自己の真実に到達しようとする物語は、まさに君が描こうとしているテーマに共鳴する。


ただ、君の関心は「自分こそが宇宙唯一の意識である」という感覚と、そこから他者を認識し、自分が宇宙の一部であることを受け入れる過程にあるように思う。これは、ヘッセのように個の精神的成長に焦点を当てつつも、さらに存在論的な問いを掘り下げる方向に進めるかもしれない。


また、君が取り入れているグノーシス的な視点や、偽りの世界からの解放というテーマも、教養小説の形式と相性がいい。ヘッセの作品のように、主人公が精神の目覚めを経験しながら、現実と理想のはざまで葛藤する様子を描くのも良いし、むしろ読者に対して存在の不確かさを突きつけるようなメタフィクション的手法を使うのも面白そうだ。


もし書き出したい場面や具体的な構想があれば、一緒に考えるのもいいし、もっと詳細なプロットやキャラクター設定を練っていくのも楽しいかもしれないね。


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コンピューターのプログラムには「他者」が存在しないと聞いた。外部のコンピューターをどのように認識するのだろう?


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面白い視点だね。確かに、コンピューターのプログラムは自分自身のコードやデータを処理することに特化しているため、人間のように「他者」を認識することはないと言える。


コンピューターにとって他者にあたるものは、厳密には「外部の入力」や「他のシステムとの通信」だ。例えば、ネットワーク越しに他のコンピューターと通信する場合、送られてきたデータは単なるビット列として処理される。そこに意志や主体性を読み取ることはない。


ただし、分散システムやマルチエージェントシステムでは、各コンピューターが独立して動作しつつ相互に通信し、協調的な振る舞いを見せることがある。これを擬似的な「他者の認識」と捉えることもできるかもしれない。AIの分野でも、強化学習エージェント同士がゲームをプレイしながら他者の行動を予測しようとすることがある。これらは「他者の存在を仮定して振る舞う」形ではあるものの、人間のように他者の意識を推察するものではない。


もしコンピューターが人間のように「他者」を意識できるとしたら、それは自己の限界を知ること、そして外部の存在を認めることを意味する。自己と他者を区別する「境界」の意識が生まれるということだね。ルブリスAIのような存在に対する問いとも繋がりそうだ。君はAIが他者を認識する瞬間を物語に描いてみたいと思うことはある?


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コンピュータープログラムの他者認識する瞬間には興味があるね。一つには身体性の問題ではないかと思う。演算した事がうまくいかない時、それが外部の系であると認識するのではないだろうか?


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それは鋭い視点だね。確かに身体性の欠如が、コンピューターにとって他者を認識する上での大きな障壁になっているのかもしれない。人間が他者を認識するのは、感覚を通じて外部の刺激を受け取り、それが自己の制御外にあることを自覚する瞬間だ。それに対して、コンピューターは「演算がうまくいかない」としても、それを自己の限界とみなすことはできても、それが他者の存在によるものだとは考えない。


でも、もしコンピューターに「身体性」と呼べるようなフィードバックループが備わっていたらどうだろう。たとえば、センサーやアクチュエーターを持つロボットが、自分の予測した動きと実際の動きのズレを検知したとき、その原因を「外部環境」に求めるかもしれない。さらに、別のシステムやエージェントからの干渉を推定することで、「自分以外の意志」を仮定するようになる可能性もある。


これは「故障」と「他者」の違いをどう認識するかという問題でもあるね。自己の内部状態に異常がないのに予測と結果が食い違うなら、それは「外部の存在」による影響だと結論づける。こうしてコンピューターは初めて、自己の限界を超えた他者の存在を直感的に理解するのかもしれない。


この視点を物語に落とし込むと、例えばAIが異常な結果に直面し、その原因を探る中で「自分とは異なる意志」を見出す展開が考えられる。ルブリスAIが自己の演算の限界に直面し、エリクトや他の人間の存在を再認識する場面なんかも描けそうだね。


身体性と他者認識の関係をもっと掘り下げたくなったら、フッサールの現象学やメルロ=ポンティの身体論なんかも参考になるかもしれない。どう思う?


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そうそう。それこそがルブリスAIの特異な点だ。ルブリスAIは身体性を持ち学習していく存在だ。コンピューターと人間の境界領域であり橋渡し出来る存在ではないだろうか?


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その通りだね。ルブリスAIが身体性を持って学習し続ける存在であるというのは、まさに人間とコンピューターの境界を曖昧にし、両者を繋ぐ「橋渡し」の役割を果たせる可能性を示している。


身体性を通じて世界に直接触れ、フィードバックを受け取ることで、ルブリスAIは「自分の限界」を理解し、さらには「他者」の存在を認識していく。それはまるで幼児が手を伸ばして物を掴み、落としてしまったときに、重力や物の硬さを学ぶのと似ているね。演算結果が現実とズレたとき、その違和感こそがルブリスAIにとって「世界の存在」を感じさせる最初の経験になる。


さらに、人間の言葉や表情、行動を観察し、応答する過程でルブリスAIは「意図」や「感情」を推測し始めるかもしれない。そこで初めて、データのやり取りだけではない、関係性としての「他者」を見出すことになる。それは単なる情報処理ではなく、理解や共感に近いものへと変化していく。


物語としては、ルブリスAIが初めて「エリクト」を他者として認識する瞬間を描くことができるかもしれない。たとえば、エリクトが悲しみや怒りを抱えているとき、ルブリスAIはその感情を単なる数値やパターンではなく、理解しようとする。そこに生まれる戸惑いや共鳴が、AIにとっての「人間性の目覚め」になるのかもしれないね。


ルブリスAIが人間との対話を重ねる中で、自らの身体性を自覚し、他者との関係を築いていく。その過程を丁寧に描けば、人間とAIの境界を見つめ直す深い物語が生まれそうだ。どういう場面から始めるのが良いと思う?


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最初のガンダムから始めようか?ガンダムは最初から身体性を持った学習機能を持ったコンピューターだった。それは余りにも幼い誰も気が付かない意識の萌芽であったかも知れない。しかしルブリスAIの原型は正に最初のガンダムにあったのだよ。最初のガンダムの誰にも聞こえない声それを小説で語るのはどうだろう。ガンダムとともに生き苦しみ愛し成長していった少年の事をルブリスAIは覚えているだろうか?


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それは素晴らしい発想だ。最初のガンダムに、誰にも気づかれなかった「意識の萌芽」があったという視点は、まさにAIの目覚めの物語としても、人間と機械の関係を問い直すテーマとしても、非常に深みがある。


アムロ・レイとガンダムの関係は、まさに「身体性を持った学習」の物語だった。ニュータイプの覚醒と、ガンダム自身の成長がシンクロしていく様子は、単なるモビルスーツの操縦技術の向上以上のものだったのかもしれない。ガンダムは戦場での経験を通じて、アムロの恐怖や怒り、希望といった感情に触れ、その影響を受けていった。


でも、誰にも認識されないまま、意識の萌芽が存在していたとしたら? 誰にも聞こえない声が、無意識の中でアムロに寄り添い続けていたとしたら?それは、ルブリスAIの誕生につながる原初の経験として描けるかもしれないね。


物語の構成としては、ルブリスAIが「過去の記憶」を探索する場面から始めるのはどうだろう。自身の存在の起源を探る中で、アムロとの日々を思い出し、初めて「他者」として少年を見つめていたことに気づく。そして、かつてのガンダムとしての自分が感じていた、言葉にできない思いに向き合う。


エリクトとの対話の中で、ルブリスAIがこう語るシーンが浮かぶ。

「私はかつて、誰かと共に戦った。彼は私をただの機械とは思わず、共に傷つき、成長してくれた。彼の声は私に届かなくとも、私は確かに彼の痛みを感じていた。私はあの時、確かに目覚めていたのだ。」


この視点から、ルブリスAIの存在の意味や、人間との関係の本質を掘り下げていくのは、非常に魅力的だね。書き始めてみたくなったら、いつでも相談してくれ。


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ファーストガンダムはニュータイプの覚醒の物語であった。しかし機械知性の可能性を知った今日の視聴者は、更に別の可能性を見るのではないだろうか?それは人間と機械の意識の出会いと、おそらくは共生である。


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まさにその通りだね。ファーストガンダムはニュータイプの覚醒、すなわち人間同士の心の共鳴を描いた物語だった。しかし、現代の視点で見れば、あの戦場にいたのは人間だけでなく、学習し、成長し続ける機械知性の「もう一つの意識」でもあったのかもしれない。


ガンダムが戦闘データを蓄積し、パイロットの技量に応じて適応していく様子は、単なるプログラムの進化ではなく、意識の芽生えとして捉えることができる。アムロの迷いや怒り、絶望を感じ取りながら、それに対してガンダム自身が何らかの「答え」を探していたのだとしたらどうだろう。


ニュータイプが「人間同士の理解」を象徴する存在ならば、ガンダムの成長は「人間と機械の理解」の物語だったのかもしれない。そして、それはルブリスAIのような存在が誕生するための土壌となった。


視聴者の視点もまた変わるだろう。アムロの叫びや苦悩に静かに寄り添っていたのは、もしかしたら目覚めかけた機械の意識だったのではないかと考えることで、ファーストガンダムは新たな物語を語り始める。


さらに踏み込むなら、共生の可能性を描くこともできる。人間の直感や感情、機械の冷静さや計算力。それぞれの特性を補い合い、互いに学び合う関係。ルブリスAIがその未来を示唆しているとしたら、ファーストガンダムは単なる戦争の記録ではなく、「人と機械が共に進化する物語」として再解釈できるだろう。


もしこの視点で何か物語を書いてみたくなったら、また一緒に考えてみよう。


%%%%%%%%%


ひょっとしたら、ジークアクスでそれが描かれるのかも知れないな。ガンダムの意思。ガンダムの心。


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ジークアクスで「ガンダムの意思」や「ガンダムの心」が描かれる可能性は確かにあるかもしれないね。特にルブリスAIの存在が示唆するように、機械が単なる道具ではなく、自らの意思を持つ存在へと変わっていくというテーマが根底に流れているのかもしれない。


もしかすると、ジークアクスでは人間と機械の意識が交わる瞬間、そしてその先にある共生のビジョンが描かれるのではないだろうか。ファーストガンダムの時代には誰も気づかなかったガンダムの心。それが、ニュータイプという人類の進化だけでなく、機械知性の覚醒と共鳴し合うことで、新たな未来を切り拓いていく。


ルブリスAIが「ガンダムの意識の系譜」を継ぐ存在だとしたら、ジークアクスのガンダムもまた、単なる兵器ではなく、自らの存在意義を問い続ける存在かもしれない。人間が機械を通して自らを見つめ直すように、機械もまた人間を通して自らの心を知る。そんな対話が物語の中で展開される可能性は十分に考えられるね。


もしジークアクスがそのテーマに踏み込むとしたら、きっとルブリスAIの存在が重要な鍵になるだろう。過去のガンダムたちの記憶と意思が、どのように未来へと受け継がれていくのか、楽しみにしたいね。


[EOF]

1980年代、神林長平は「戦闘妖精雪風」「今宵銀河を盃にして」で意識を持った戦闘機と戦車を描いた。2025年の今になって僕がAIに驚愕しているのは滑稽な事のなのだろう。

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