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役立たずの私はいなくなります。どうぞお幸せに

作者: Na20

 

 十五歳は成人となり大人の仲間入りを果たす。だから貴賤に関係なく十五歳の誕生日は、盛大に祝うのが慣例だ。



 今日は息子の十五回目の誕生日だった。


 会場となった自宅の庭は荒れ果てていた。


 食べ物はあちこちに食べ散らかしたまま、酒でもこぼしたのか所々に水溜まりができている。酔って騒いだのだろう。皿は割れ、椅子も壊れていた。

 家の中も悲惨な状態で、カーテンは破れ、テーブルには足跡が付き、床には誰かの吐瀉物で汚されている。



 まもなく日付が変わる時間だが、自宅にいるのは私だけ。

 主役である息子は友人たちと街へ繰り出し、夫は浮気相手の家に向かい、義母は明日の朝もいつもの時間に朝食を届けるようにと言い残し隣の自宅へと戻っていった。




 ――カチッ



 時計の針がてっぺんで重なり合う。

 それを確認した私は、三通の手紙を足跡の残るテーブルの上に置いた。果たしてこの手紙たちがいつ読まれるかはわからないが、読まれないならそれでもいいと思っている。


 事前に用意しておいた鞄を手に玄関へと向かう。玄関の扉を開き、冷めた目で家を一瞥した。



「どうぞお幸せに」



 私は一言だけ呟き、息子が成人を迎えた翌日に家を出たのだった。




 ◇◇◇




 最初に気づいたのは義母だった。


 朝食の時間を過ぎているというのに、いくら待っても嫁が来ない。きっと片付けが終わらなかったのだろう。あの荒れようでは一晩で片付けるのは無理だとわかっていたが、そんなことは自分には関係ない。だからいつも通り朝食を持ってくるように言いつけたのだ。


 義母はなんてだらしない嫁なんだと憤りながら、隣に建つ息子夫婦の家にノックも無しに入っていく。義母は片付けなどされず、荒れ果てたままの室内を目にして驚いた。それになんの臭いだろうか、とにかく臭かった。


 義母は顔をしかめながら嫁を探すも見つからない。


 本当にあの嫁は使えないなと思っていると、テーブルの上に何かが置いてあることに気がつく。

 荒れ果てた家の中で、唯一整えられ置かれていた三通の封筒。近づいてみるとその封筒には息子、孫、そして自分の名前が書かれている。

 なんだこれはと思いながら自分の名前が書かれた封筒を開けてみると、入っていたのは一枚の便箋。


 その便箋に書かれていたのはたった一文だけ。



『“役立たずの嫁”はいなくなりますので、どうぞお幸せに』



 どうやらあの嫁は家を出ていったようだ。だが義母に焦りはない。むしろこんなことをして気を引こうとするなんて、本当に役立たずな嫁だなと鼻で笑った。


 義母はその一文だけ書かれた手紙をくしゃくしゃに丸め、ポイと床へ捨てた。


 どうせ数日もすれば戻ってくるはず。その時にきつく叱りつければこれからは大人しく自分の言うことを聞くだろうと義母はほくそ笑んだ。元ではあるが、貴族が平民の自分に許しを乞う姿が見られるなど愉快でしかない。


 だからその時が来るまでは我慢して待ってやろう。


 そうして義母は何事もなかったように自宅へと戻っていったのだった。



 ◇◇◇




 次に気づいたのは息子だった。


 昨日成人を迎え、パーティーが終わるとそのまま友人たちと街へ繰り出し、帰ってきたのは朝。

 今日も学校があるので、最初の授業に間に合うギリギリの時間に帰ってきた。本当は今日くらい休みたいが、父が高い金を払ってまで通わせてくれているのだから休むわけにはいかない。それにサボったのがバレれば退学になる恐れもある。それだけは避けたいからと、友人たちも日が昇ると慌てて家へと帰っていった。


 昨日のパーティーが終わる頃にはずいぶんと家が荒れていたが、きっと片付けくらいは終わっているだろうと思い扉を開く。だが予想は外れ、家の状況は悲惨なものだった。

 あちこちに飛び散った食べ物や飲み物、それに割れた皿やグラス。とても生活ができる状態ではない。

 なぜこれくらいの片付けが終わっていないのかと激しく苛立った。家のことをするのが母親の役目なのに、それすらできない母親などただの役立たずだ。


 自分を育ててくれたのは祖母だし、金を出して学校に通わせてくれたのは父親だ。母親はただ家のことをしているだけ。

 それなのに身だしなみも疎かにしていて、とても友人たちに見せられる姿ではない。だからパーティーも準備だけしたら部屋から出てこないように伝えていたのだ。


 苛立ったまま母親の部屋へと向かう。きっとパーティーに参加させてもらえなかったから、その仕返しのつもりなのだと思った。母親は貴族の生まれだからパーティーが好きで夜な夜な遊び歩いていると、祖母から聞かされていた。


 母親の部屋の扉をノックすることなく勢いよく開けた。しかし部屋には誰もいない。またどこか遊び歩いているのだろうと思うと腹が立つが、母親に文句を言うのを諦め、ひとまず学校に行く準備に取りかかることにした。


 急いで準備を終え、家を出ようとした時にテーブルの上に二通の封筒が置かれていることに気がついた。その封筒には父親と自分の名前が書かれている。

 不思議に思い自分の名前が書かれた封筒を開けると、その封筒には手紙が入っていた。


 一文だけの手紙が。



『“役立たずの母親”はいなくなりますので、どうぞお幸せに』



 この字は間違いなく母親の字だ。いなくなるとはどういうことだと疑問に思ったが、どうせ大したことではないだろう。


 あの母親は何もできない役立たずなのだから。


 そうこうしているうちにまもなく最初の授業の時間になろうとしていることに気づいた。とりあえず手紙を鞄の中に押し込み、急いで家を出たのだった。




 ◇◇◇




 最後は夫だった。


 日も完全に昇り街中に活気にが溢れ始めた頃、家に帰宅した。

 昨日は家で息子の誕生パーティーが開かれていた。商会の跡継ぎである息子の誕生日を祝うために商会の人間も何名か参加していたが、自分の浮気相手も参加していて、パーティーがお開きになる前にまずは浮気相手の若い女性が、それから少しして自分がパーティーから姿を消した。その後、浮気相手の家で熱い夜を過ごしたのだ。

 夫はいい気分で家に帰ったが、すぐに気分は悪くなる。その原因は当然荒れ果てた家だ。

 なぜこんな状況なのか夫には理解できなかったし、たかが片付けくらいできない女が自分の妻であることに怒りを覚えた。


 女としても魅力もなく、家事も育児もできない役立たずな妻。


 妻は貴族令嬢だったので、初めの頃は家事ができなくても大目に見ていた。だがすでに結婚して十五年以上経つのに未だに要領が悪く、朝から晩までかかっても家事は終わっていない。

 それにこっちは仕事で疲れているというのに出てくる料理はまずい。だから最近はもっぱら浮気相手の家で過ごしている。


 見た目も昔はまだ見られたものの、今ではとても抱く気にはなれない。浮気相手が鮮やかな花であれば妻は萎びた雑草だ。


 それに妻は兄と不仲らしく、実家である男爵家とは疎遠だ。商会の妻としても何の役にも立っていない。


 妻にこの怒りを伝えなければ気が済まないが、家中探しても見当たらない。この状況を放置して遊びに出掛けたのかと思うとさらに怒りが増した。

 帰ってきたらどうしてやろうかと考えていると、ふとテーブルの上に何かが置いてあることに気がついた。あれはなにかと思い近づくと、それは自分の名前が記された一通の封筒。夫はなんだこれはと思いながらも封を開け、一通の便箋を取り出し広げた。


 するとそこには見覚えのある文字でこう書かれていた。



『“役立たずの妻”はいなくなりますので、どうぞお幸せに』



 どうやら妻はこの手紙を置いて家を出たようだ。しかし意味がわからない。

 妻がこの生活に不満を抱いているわけはないし、何もできず見た目も劣っている女を妻としてこの家に置いてやっているのだから、むしろ感謝しているはずだ。


 そう考えたところで夫は理解した。ああ、女の嫉妬は醜いなと。


 きっと息子の誕生日に浮気相手の家に泊まったことが気に入らなかったのだろう。だから自分の気を引くために、こんな意味のわからない手紙を置いていったのだと思えば納得できた。


 なんせ妻は自分を愛しているから。


 仕方がない。どうせすぐに戻ってくるだろうから、キスのひとつでもしてやれば機嫌は戻るだろう。


 妻と離婚するつもりはない。なぜなら離婚は印象が悪いからだ。

 妻の男爵家からの援助はないが、妻の友人たちがうちの商会を贔屓にしている。だからもしも妻と離婚すれば、貴族家との繋がりが絶たれてしまうかもしれない。それだけは避けたい。


 だから離婚は絶対にしないのだ。今のこの生活を手放さないために。


 妻はそのための大切な犠牲だ。


 夫は手紙を適当に放り投げた。とりあえずはこの家をどうにかしなければ生活ができない。仕方がないので人を雇うことにして、その費用は後で妻に支払ってもらうことにする。そうすれば二度とこんな愚かなことはしないはずだ。


 夫は乱れた身だしなみを整えてから、人を雇うために家を出たのだった。




 ◇◇◇




 それから三日後、三人の元に一通の封筒が届く。その中身は離婚証明書だった。


 三人はすぐに戻ってくると思っていた予想が外れたことに驚き、怒り、戸惑った。


 なぜだ、と。


 嫁の、母親の、妻の幸せはここにあるのではないのかと。



『“役立たずの私”はいなくなります。どうぞお幸せに』



 封筒には妻からの最後の手紙も添えられていた。

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