第三百五十四話
もう何十年も前だというのに今でも鮮明に憶えている。
燃えさかる屋敷。
両親兄妹、一族郎党が斬首され晒されたあの日。
子どもは赤子に至るまでプローンの餌にされた。
下卑た笑いを浮かべる武官どもの顔を思い出すたび憎悪があふれてくる。
宮廷の内部闘争で父が負けた。
ただそれだけなのに。
宦官だったこのやつがれ、このイーエンズまでもが最後の抵抗と武器を取った。
流れ弾に耳をそぎ落とされ、背中へ何発も撃たれたあの痛み。
あの痛みだけは忘れない。
堀に落ちたことで生き恥をさらした自分の姿。
太極国を滅ぼすと同志たちと誓った。
海賊に身を落とし、生き残った少数のものと泥をすすって生きてきた。
いつしか5大人とまで呼ばれるまでになったが、所詮は海賊でしかない。
我らは社会の寄生虫。
宿主に勝てるはずもない。
太極国はあまりに強く、あまりに強大だった。
海賊如きに崩すスキを与えてはくれなかった。
涙は涸れ、感情は死に絶えた。
あれから熟睡できることはなかった。
欠けた耳は今でも痛みが走る。
心因性のものだ。
この痛みがある限り、やつがれは憎悪の炎を燃やすのだろう。
だがとうとう転機が訪れた。
銀河帝国という新参者が出現した。
ゾークと祖を同じくする国家だ。
当初は海賊ギルドと屍食鬼のカモと思われていたが……。
まともに戦いもせずにプローンを滅ぼしたことで評価が変わった。
レオ・カミシロ。
つい先日まで軍師と思われていた男だ。
帝国皇帝の夫にして軍人上がりの外務卿。
軍人という肩書きも帝国皇帝の配偶者への箔つけだろう。
みんなそう思っていた。
その根拠は外交官としての優秀さだろう。
猪武者ばかりの鬼神国ばかりか、あの偏屈な高利貸しと悪名高いラターニアを丸め込んだことに周辺国……いや太極国まで名を轟かせた。
ラターニアの複雑怪奇極まりない法律を理解できた……だと?
しかもあのラターニア人から悪い評判を聞かない。
おそらくよほどの政略の天才なのだろう。
なあに、それならば殺してしまえばいい。
どこぞの愚か者が殺し屋を雇った。
噂は聞いていたが、わざと放置していた。
教える義理はない。
我らはレオ・カミシロどうなろうともかまわない。
小国への対処法は同じだ。
いつものように周辺から崩していき国を腐らせる。
腐ったら屍食鬼に始末させればいい。
だが……噂は根本から間違っていた。
逆だ。まったく逆だったのだ。
レオ・カミシロとその部下たちは……武官だった。
帝国軍最強……。
それは嘘偽りのない情報だったのだ。
伝説の暗殺者と名高いイズォ。
人斬りサニーと並ぶ……いやイズォの方が悪名では上だ。
顔も手口も知られてないが、その存在だけは有名。
一種の都市伝説ともいえる存在だ。
それが赤子の手をひねるように……いやそれ以前の問題だ。
攻撃する前に発見され、レオ・カミシロに一方的に倒された。
それも素手で生け捕りされたのだ。
運? それはありえない。
考えられるのは本当に帝国最強でありながら政略までできる化け物だということだ。
笑いがこみあげた。
とうとうだ。永い永い時を待ち続けた。
とうとう太極国を滅ぼせる逸材を見つけたのだ。
だがどう利用すればいい?
レオ・カミシロは……いや銀河帝国は【話せばわかる】。
それは暗殺されそうになった当人がたんたんと話をしたことからもわかる。
鬼神国なら生きるか死ぬかの瀬戸際になるだろう。
とてもゾークと同じ祖を持つとは思えない。
ゾークはもっと簡単な相手だった。
このままでは太極国や他の文明とも外交関係を樹立してしまうかもしれない。
なにせあのプローンとすら交渉を成立させ、ただ交渉だけで滅亡させたのだ。
穏健派で、交渉上手で、暴力をも交渉の延長にある。この銀河に存在しなかった文明だ。
弱点が思いつかない。
ならば海賊ギルドを手に入れてしまおう。
他の大人に押しつけ……いや……気づかれるな。
レオ・カミシロの勘の良さは異常だ。
まずは信用させねばならない。
それにプローンを滅ぼした恩がある。
例え自分たちが将来裏切るとしてもだ。
今は礼を尽くす。
「サニーいるか?」
人斬りサニーを呼び出す。
「大人、控えております」
気の利く男でよかった。
「今回の件、なるべく正確に調べ上げろ。わからなければわからないと正直に書くのだ」
「は!」
半日もすると報告書が上がってくる。
今度は秘匿回線でラターニア側に接触する。
買収した外務担当の役人だ。
「どうした? 私は忙しいのだよ!」
不機嫌を隠そうともしない。
「今から送る文書は我らで先日の暗殺事件を調べたものです。レオ大使にお渡しするもののコピーにございます」
「ほう……今度はなにを企んでいる?」
「なにも。ただレオ・カミシロ閣下を敵に回すのは自殺行為と判断いたしました」
「我が国も銀河帝国とは友好関係を維持しようと思っている。」
役人はふんぞり返っていた。
ラターニアからすれば最大級の賛辞だろう。
だがこの役人は納得してないのだろう。
口にするのも悔しいといった様子だ。
「この文書は預かっておく」
それでいい。
別に恩に着せるつもりはない。
ラターニアは貸しも借りもない関係が一番安全だ。
乱暴に通信を切断される。
「さて……どうしたものか?」
ラターニアと太極国の全面戦争。
それを長い間夢見て工作を繰り返した。
だがここに別の勢力が現われた。
ラターニアに気に入られるほど義理堅く、鬼神国や少数勢力に肩入れするほど慈悲深い仁の国。
徳の高い人々を危険に晒すのは地獄行きの罪だろう。
だがこれしかない。
復讐の機がとうとうやってきたのだから。
タイマーが投薬の時間を知らせる。
もう自分は長くない。
あと持ち時間は数年……あるかないかだろう。
耳の傷を隠す樹脂のカバーがなぜか痛む。
父上、母上、兄上……かわいそうな我が妹……シーユン……やつがれはとうとう復讐できるかもしれませぬ。
太極国に死を……。




