冬の王様と銀の姫
むかしむかし、人が一度滅び、再び栄え始めた時のこと。
北の北、最果ての霊峰に、冬の王様が住んでいました。
冬の王様は強大な力を持っていましたが、彼が望まなくても近寄るものをすべて凍りつかせてしまうので、生き物からも、他の王様からも嫌われていました。そのため、霊峰の頂にそれはそれは美しい氷の城を築いて、眷属たちと共に静かに暮らしていました。
しかし、それではやはり寂しいので、1年のうち少しだけ、南の方へ遊びにゆきました。
ある時、王様が玉座でうたた寝をしていると、遠くの方に冬の気配を感じました。ですが、まだ季節は巡っていません。眷属の誰かが約束を破って山を降りたのかと思って、王様は怒り、眷属たちに連れ戻すようにと命じました。
ところが、誰に行かせても、皆口を揃えて「眷属はいなかった」と言うのです。いちばん信頼できる側近に行かせても、同じでした。そうこうしているうちに季節が巡ったので、王様は自分で確かめに行くことにしました。
険しい山を降りると、王様は旅人となります。
透き通った川を辿り、モミの林を抜けると、やがて人間の国に入りました。彼が通ったあとは剣のように霜が立ち、吹雪が竜の咆哮のようにうねるので、人々は『冬が来た』と恐れ、家に閉じこもっていました。人は寒さにずっとずっと弱いのですから、仕方ありません。王様は悲しく思いながら、かすかな冬の気配を探してゆきました。
炭の大地と灰の丘を越えると、そこには人間の作った巨大な城がありました。件の気配は、ここからします。
「こんなところに、眷属がいるのだろうか」
不思議に思いながら、王様は城の門を叩きました。ところが、城の扉は全て閉ざされていて、入ることができません。しかも人間には王様の姿が見えず、声も聞こえないので、開けてもらうこともできませんでした。
あきらめて旅を続けようか、と彼が思った時、ふと、北の塔の窓が開いていることに気がつきました。
「これはよかった」
王様は氷の梯子をつくり、塔にかけました。
そうして部屋を覗き込むと、不思議なことに、部屋は王様が足を踏み入れる前から凍りついていました。か細い蝋燭を支える小さなシャンデリアからは、氷柱が垂れ下がっています。奥の方には、不格好な雪ウサギがいくつもありました。
王様が驚いていると、雪ウサギのさらに奥から「だれ?」と声がしました。
部屋の隅までよくよく見ると、そこには美しい銀の髪をもつ、人間の女の子がいました。
「ぼくはしがない旅人さ。もしかして、ぼくの声が聞こえているのかい?」
王様が恐る恐る話しかけると、銀髪の女の子は不思議そうな顔をしました。
「あなた、変なことを言うのね。当然でしょう。聞こえていなければ答えられないもの」
王様はとても驚きました。無理もありません、王様は今まで、自分の声が聞こえる人間に出会ったことがなかったのです。
ならば姿はどうか、と思い女の子の顔を見ましたが、その目はかたく閉ざされていました。
(この子は目が見えないかわりに、耳がいいのか)
優しい王様は女の子をあわれに思いました。何か贈り物をあげようと思い、そこで本来の目的を思い出しました。
「聞きたいことがあるのだけど、きみが冬をつくりだしていたの?」
女の子は「そうよ」と短く答えました。
王様は不思議に思いました。か弱い人間に、王様の眷属のような力を使えるはずがないのです。
ですが、それ以上に、言葉を交わしたことへの嬉しさがありました。王様は長い時を生きていましたが、人間と会話をしたのは初めてだったのです。
王様は嬉しくなって、女の子にあれやこれやと聞きました。人々の生活だったり、国の仕組みだったり、あの神雷からどうやって生き残ったのかまで。
ひとりぼっちの王様には、知りたいことが山ほどありました。
ところが、女の子はどんな質問にも答えられません。果てには自分の名前でさえ、「わからない」と言います。王様が理由を聞くと、女の子は泣き出してしまいました。
「わたしのほんとうの名前なんて、だれひとりとして知らないわ。みんな、わたしのことを銀の姫と呼ぶの。望んでなったわけではないのに。12人の兄弟たちのなかで、名前があるのは、ひとりだけ」
虚ろな目からぽろぽろと涙をこぼしながら、銀の姫は続けて言います。
「これは対価だから治らないって、お医者様はいうの。かわりに辺りを冬にできるんだから、目玉ぐらい安いものでしょう、って。でも、大好きな雪景色は、もう二度と見れないわ」
「だからきみは、窓を開けたままにしているの? こんなにも凍え切っているのに」
「ええ。わたしにはもう、温度しかないもの」
王様は、悲嘆にくれる銀の姫を見て、何か自分にしてやれることはないだろうか、と考えました。王様は生き物を愛しています。眷属ではなかったからと見過ごすのは、到底できませんでした。
「あっ。隠れて、だれかが来るわ」
銀の姫が言ってすぐ、扉の向こうから足音が聞こえてきました。塔に入ってきたのは、やつれた顔をした、金髪の人間の男でした。
男は、王様に気づいた様子もなく、雪が吹き込む窓をぴしゃりと閉めました。そして、銀の姫に詰め寄ると、「いいかげん、お前も王としての責務を果たせ」と叱りつけました。銀の姫は黙って、膝を抱えます。
姫が何かを言う前に、部屋の寒さに耐えかねた男は、不機嫌そうに「窓を開けるな」とだけ言い残して去っていきました。
「今のは誰だい?」
「金のおにいさまよ、とっても恐ろしい方なの。あなたが見つからなくてよかった」
そう言ってほほ笑む銀の姫は、あまりにも普通の女の子に見えました。王という肩書が似合うとは、到底思えません。
「ねえ旅人さん。あなたはきっと、色々なものを見てきたのでしょう? 旅の話を、わたしに聞かせてちょうだいな」
「いいとも。だけど、きみは姫君なんだろう? あまり長くはいられない。明日にしよう」
「わかったわ。それではまた明日、旅人さん」
その日から、王様は毎日塔に通い、色々な話をして聞かせました。
西に美しい海が広がっていること。人間が生まれるよりむかしに、大きな戦争があったこと。南の方に、巨大な竜の咆哮でできた谷があること…──。
そのどれもを、銀の姫は楽しそうに聞きました。
なかでも、姫が喜んだのは、冬の王様が住む霊峰や、氷の城についてのお話でした。りっぱな氷像やきれいな花園のことを語ってやると、姫の光のない目が、かすかに輝きを帯びるほどでした。
あまりに話をせがむので、王様はわけを問いました。すると、銀の姫はほほ笑んで、こう言いました。
「すべてが冬でできているなんて、夢みたいよ。この塔も氷でできていればいいのに。いまは見ることができないけれど、あんなに綺麗なもの、他にはないわ」
王様は、とても驚きました。人間はもちろん、生き物は冬を恐れるばかり。恐れない者はあっても、好きこのむ者は、だれもいませんでしたから。
今度はきみの話を聞かせてほしい、と王様は姫に言いましたが、残念ながら、季節が巡ってしまいました。王様が氷の城に帰らないわけにはいきません。
また来年、必ず来ると約束して、王様は北へ帰ってゆきました。
玉座に戻っても、銀の姫のことが王様の頭からどうしても離れません。次の冬が待ち遠しくて、うたた寝もできないほどでした。
そんな様子の王様を見かねた側近は、小言をこぼしました。
「偉大なる王よ。まさかあの人間に、恋をしたのですか?」
「恋? そんなわけがないだろう」
「ならば良いのです。私たちと人間が結ばれることは不可能なのですから。しかも、あなたさまは王。口づけひとつであの少女は死んでしまうでしょう。不毛な恋など、しないほうがよろしい」
側近の言葉は、なぜか、王様の耳に深く残りました。
やがて、季節が巡りました。
王様は、眷属の誰よりはやく山を駆け降りました。川を辿り林を抜け、炭の大地と灰の丘を越えてゆくと、人間の城が見えてきました。
姫の住む北の塔の扉は、あの時と同じように開いています。王様は喜んで、塔の中へと入りました。
「やあ、こんにちは銀の姫君。ごきげんはいかが?」
「とってもいいわ、旅人さん。あなたが訪ねてくれるのを待っていたの」
姫も、嬉しそうにほほ笑みます。ふたりは再会を喜んで、またあの日のように色々なことを話しはじめました。
旅人の話を聞く合間に、姫も、自分のことをぽつりぽつりと語りました。
「わたし、いつだったか、とっても高い山のふもとに住んでいたのよ。集落の中でいちばん、お山に近い家だったわ。危ないからって、柵の向こうには行かせてもらえなかったけど……窓から見た景色は、ずぅっと覚えているの。まっさらな雪だとか、透明でながーいつららだとか。とってもとっても、きれいだったわ。
あの景色のことを“銀世界”というんですって。とある書物に書いてあったの。すてきな言葉でしょう?」
王様は銀の姫の話を聞いて、霊峰のすそのあたりにむかし、人間の集落があったことを思い出しました。しかし、あの恐ろしい雷の影響で起きた雪崩によって、集落は丸ごと飲み込まれていたのでした。
ですが、それを言うのはあまりにも可哀そうですし、何より、話をする姫の顔がとても幸せそうだったので、言いませんでした。
「わたし、あなたの空気がすきよ」
姫はそうとも言いました。王様は面食らって、「どうして?」と聞きました。
「あなたの隣は冷たくて、心地がいいわ。まるで、冬そのものみたい。
できれば一年中、ずっといてほしいのだけど……旅人のあなたは行ってしまうのよね。そんなところも、冬に似てるわ」
そう言って、銀の姫はほほ笑みました。王様はちょっぴり恥ずかしくなって、その日はいつもよりはやく塔を出てしまいました。
旅人は、前に話したよりたくさんのことを姫に教えてあげました。姫も、新しいことを知るたび満面の笑顔になりました。その笑顔が見たくて、旅人はいっぱい旅のことを話しました。
ですが、楽しい時間は永遠には続きません。
とうとう、冬の終わりの時期がきてしまいました。加えて、この年はたくさんの人間が凍え死んだので、いつもよりはやく帰らねばなりません。王様は「また来るよ」と約束して、泣く泣く別れをいいました。
氷の城に帰っても、王様は、姫のことが忘れられません。あの美しい銀髪を、可愛らしい笑顔を思い浮かべるだけで、凍りついた心臓が脈打つような気さえします。
「きっとぼくは、あの子に恋をしているのだろうな」
その時、側近の言葉がよみがえりました。王様が口づけるだけで、あの子は死んでしまうのです。口づけさえしなければよいのですが、銀の姫を愛しく思う気持ちは大きく、耐えられそうにありません。
王様はどうしようか、と頭を悩ませました。
長いようで短いような、そんな不思議な年が過ぎてゆきました。
季節が巡って、眷属たちはみんな山を降りました。王様だけはまだ城に残って、ひとり、氷の玉座に腰かけていました。しばらくそこに座って、城のすみずみまで眺めたあと、王様は何かを決心したかのように立ち上がりました。
神様から授かった王冠に、手をのばします。それを頭から持ち上げて、コトリと玉座に置きました。
その隣に、次の王は側近の彼女にするように、と書き残します。
「もし気が変わったら、いちばんに帰ってまたここに座ればいいのさ」
そう言い聞かせて、王様は氷の城を出ました。
人間の国に着くと、王様は寄り道せずにまっすぐ城に向かいました。また氷の梯子をつくって、塔を登ってゆきました。
しかしどうしたことか、中からはすすり泣く声が聞こえます。急いで塔に入ると、目を真っ赤に泣きはらした銀の姫が顔を上げました。
「旅人さん。わたし、わたし、結婚が決まってしまったの。お相手はまったく知らないかたよ、ああいやだ。
でも、でもね旅人さん。あなたが遊びに来てくれるなら、どんなお方でも耐えられるわ」
銀の姫はそう言って、旅人のほうを向きました。
「わたしがお嫁にいっても、またこうして来てくださる?」
王様は、はげしく動揺しました。震える声で、姫に事情を伝えます。
「すまない、姫君。ぼくは、だれかの妻となったひとのところへは、訪ねることを許されていないのです。破れば、おそろしい炎で焼き殺されてしまう。
でも、きみが望むなら、ぼくはかならず会いに行く。きみのためなら、この命なんて惜しくはない」
「そんなのだめよ。ああ、なんてこと。あなたが結婚相手だったら、どんなによかったか……」
それを聞いた王様は、姫に尋ねます。
「もし、ぼくがきみと結婚したいと言ったら、この城から逃げ出して、一緒に来てくれるかい」
「ええ、行くわ。どこへだって。でも、目の見えないわたしは足手まとい。きっとすぐにつかまって、連れ戻されてしまうわ」
だったら、と王様は言いました。
「ぼくの目玉を片方、もらっておくれ。そうすれば、きみと逃げられる」
「……ほんとう?」
銀の姫が聞き返します。姫の涙はいつの間にか止まっていて、その表情は希望の光に満ちあふれていました。
「ほんとうだとも」
王様が言います。
「でも、そのかわり、ぼくの姿を見ても怖がらないでくれるかい」
姫の頬にかたく冷たい手がそっと触れました。すこし、怖がったような声音でした。
銀の姫は、霜におかされるのもお構いなしに、王様の手を握り返して答えました。
「もちろん、約束するわ。わたしは、あなたが、だいすきだもの」
ありがとう、とつぶやいて、王様は自分の目玉をあげるために、その尖った指の先で姫の左目を貫きました。それから自分の目をくり抜いて、姫の眼窩に嵌めてあげます。
そして、血に濡れた頬にそっと口づけをしました。
姫の左目に、光が宿ります。
そこから、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちました。
「見えるわ。あなたのお顔も、雪景色も。ぜんぶ見えるわ!
あなたはそんなお顔をしていたのね。ああ、なんてきれいな翡翠の瞳」
「きみもそうだよ、愛しい姫君。ぼくを怖がらないでくれるかい。約束通り、共に来てくれるかい?」
「ええ、喜んで!」
銀の姫はそう言って、王様の手をとりました。
──いいえ。ふたりはもう、冬の王様でも、銀の姫でもありません。ただの旅人と、女の子です。
ふたりは城を抜け出して、北へ北へと連れ立って行きました。
といっても、王冠を捨てた王様に氷の城での居場所はなく、かつて女の子が住んでいた家も、もうありません。なので、霊峰のさらに奥に、氷でできた小さなすまいを築き、そこでふたりだけの結婚式を挙げました。
姫のいなくなった城は、たいへんな大騒ぎになりました。城中の人間が銀の姫を呼んで探しますが、ただの少女となった彼女には、その声はひとつも届きません。
強大な王を失った霊峰が、その後どうなったかも、しがない旅人には関係のないことなのです。
ふたりは愛を誓い、永遠に、幸せになりましたとさ。
おしまい。
エルシリアの古いおとぎ話。作者不詳。