かくしんぼ
「ちょっと! 何をやっているんですか!」
新しく勤務することになった工場で、うずくまっている一人の作業員を十数人で囲み、大きな声で叫んでいる現場に遭遇し、思わず声を荒げてしまいました。
「ああ、佐藤さん。誤解しないで下さいね。これは、あくまでも指導の一環ですよ。別に暴力を振るったり、恫喝したりしているわけじゃないですし。『かくしんぼ』と言いましてね、仕事でミスをしたものにはこれをしなくちゃならない、ここのルールなんです。あなたも早く慣れておいた方がいいですよ」
悪びれることもなくヘラヘラと笑っている工場長。彼の説明によると、失態を犯したものが「もういいかい?」と尋ね、取り囲んでいるものたちは「まあだだよ」と答える一連の行為をひたすら繰り返すそうです。一体そんな馬鹿げた行為に陰湿な嫌がらせ以外、何の意味があるのか理解できなかったのですが……。
「おっ……ほらほら、ちょっと透けてきたのがお分かりでしょう? まあ、鈴木君は今回が初めてだから、これくらいで終わりにしておくかな」
「なっ……なんですか、これは……」
工場長の言葉通り、ガタガタと震えてうずくまっている鈴木という従業員の指先が、まるでガラス細工のように透明になっていたのです。
「だから言ったじゃないですか、かくしんぼだって。自分の存在が消えて無くなりそうになれば、誰だって真剣に、必死にがんばろうとするもんですよ。なあ、鈴木」
「は……はい!」
ふらふらと立ち上がり、再び持ち場につく彼を、私はただ見守ることしかできませんでした。下手に盾突いて首になってしまったら、知人に騙されて背負った借金を返済する手段を失うことになります。こんな怪しい工場で働くことにしたのは、それだけ私の置かれている状況も切迫しているからなのです。
しかし、何故かそれからも鈴木さんのミスは一向に減ることなく、あの儀式を繰り返す度に彼の身体は透明になっていきました。私は何かと理由をつけて参加を避けてきたのですが、彼の身体が7割ほど透けてしまった頃、一度だけ半ば強制的に輪の中に組み込まれてしまいました。
他の従業員と一緒になってかくしんぼを続けている間ずっと、卑怯で臆病な私は恐怖に染まっているであろう彼の瞳を視界に入れないよう努めていました。
そして三日前、鈴木さんは、ついに、完全に、跡形もなく姿を消してしまったのです。
それなのに誰一人そのことを悲しんだり、憤ったりすることもなく、それまで通りの業務が行われています。平然と振る舞いながら、次は自分の番ではないかと内心恐れおののいているのでしょうか。あるいは、そんな感情は既に皆麻痺してしまっているのかもしれません。
私は台風が直撃した後のように荒れ放題な心のまま、仕事を続けていました。目の前を通過する商品に不備を見つけ、回収しようと伸ばした手が何かにがしりと力強く掴まれました。
「っ!?」
まさか……鈴木さん!? ……どうして……中途半端な正義感を振りかざしたくせに、何もできなかった私を恨んでいるの?
いつかの彼のように従業員に囲まれて「もういいかい?」と繰り返し呟きながら、私はうっすらと涙を浮かべ自問自答していました。
身体の半分が透き通ってしまった頃、私はようやく気が付いたのです。
そうか、なんて愚かで失礼な勘違いをしていたんだろう。彼は私を救おうとしてくれていたんだ。見えない手で私を掴み、このどうしようもない地獄から引き摺りあげてくれようとしているのだと。
きっと彼はこう私の手を引きながらこう言っているに違いないのです。
「もういいんだよ」と。