word39 「記憶 消す」④
記憶、見た物を覚える。人間が当たり前にしていることだけど、詳細な仕組みは未だ解明されていないと聞く。
どうやって見た物や聞いた物がデータとなって、どのように脳内に蓄えられているかはっきりと分かっていないのだ。おそらくは全世界で研究されているにもかかわらず。
そして、ならば記憶を消す方法はもっと謎。
いくつか推測で理論は提唱されているけれど、その理論通りに機能して、人間に使える道具として実用的なものなんて地球にはあるはずがない。研究に研究を重ねて、いつかは開発される可能性はあるかもしれないが、きっとまだまだ先の話だ。
宇宙のどこかの星では販売されているらしいとはいえ、未知の道具を使うのに僕は抵抗があった。だって、もし使い方を間違えたら危険なものな気がするし、宇宙のどこかで作られたということは地球人用ではないということだ。
黒いパソコンに道具の安全性を尋ねてみたところでは、「安全だ」と言われた。念の為、2回検索を使って聞いてみたが、使い方を間違えたところで死ぬことは無いし、脳に大きなダメージが入ることも無いと表示された。
黒いパソコンが言うのなら本当なのだろうけど、それでも使うのが怖い。どうしても来るべきの為に、試しておこうということができなかった。軽く試そうにも、実験対象がいなかったのだ。理由なく家族に試すのも戸惑ってしまう。
だから、使う理由が欲しかった。使うのは抵抗があるけど、向こうから僕の秘密を探ってきたのであれば仕方がない。そんな状況を待っていた――。
僕は姉の疑いの表情からあまり目を離さずに、片手だけで机に付いている鍵付きの引き出しから、記憶を消す道具を取り出す。まるで登山用の酸素缶のような形状をしているその道具、硬い缶の上に円錐状のカバーがついたノズルがあって、色は全身白色。酸素缶よりは一回り小さくてスマートだ。
使い方も至ってシンプル。ただ対象にノズルを向けて、上部に付いたスイッチを押すだけ。頭に向けてスプレーを吹きかける感じだと教わった。そうすることで何か記憶を消す電波的なものが発せられるらしい。
詳しい仕組みは分かってないけど、磁場やら電波的な攻撃。受けると受けた秒数の長さによってその分直近の記憶から消えていく。いくつか種類はあったけど、今僕が持っている物な大体2秒で1時間くらいの記憶が飛ぶらしい。ちなみにそのエネルギーの補給はできない、使い切りタイプだ。
僕は待ったなしでそれを構えて、スイッチを人差し指で押す。
姉は避けようとはせず、何のつもりかと表情を曇らせるだけだった。やれるもんならやってみろという態度。僕の攻撃は当たったのだ。
果たして効果はあるのか――。
そんなことを考える暇もなく、姉の曇った表情が一瞬で無へと変わっていった――。
視覚的には何も放出されていない。音も小さく、虫が飛ぶような低く細かい音がしただけだった。それでも確かな効果を与えていることは、姉の表情を見れば分かった。
すかさずスイッチから指を離す。今回の場合長くやらなくても1時間か2時間くらいで充分である。
攻撃をやめても姉は呆けたまま、立ち尽くしていた。自分が何をされたのか分からない。きっと今自分が何故弟の部屋で立っているのかも分からない状態なのだと僕は思った。
僕もどうしていいか分からなくなった。けど、姉が何か考える前に何かしないとと思った僕は、部屋のドアを開けて、姉を部屋から押し出した。姉は無抵抗であっけなく部屋から出ていく。
ドアを閉めると……ここ最近で1番大きく心臓が動いていた。手で触れなくても分かる。胸から飛び出そうなほど脈打っている。
本当にこれで大丈夫だったのか。平和的に黒いパソコンを守れたのだろうか。
しばらくそれを考えながら、ドアに背中を預けたままその場から動けなくなった…………。
その日の夜、また姉が僕の部屋に黒いパソコンを探しに行こうという思考に至って、同じ展開になるかもなんて色々と考えたが、もう来ることは無かった…………。
「本当に効いたんだよな……?」
気になったので好奇心に任せて、自分にも使って見ることに決めた。いざやろうとすると勇気が出ず何度か躊躇ったが、僕は自分の頭にノズルを向け、ほんの一瞬だけスイッチを押した。
すると力が抜けたのか腕が少し下がり、視界に記憶を消す装置が戻ってくる。
……どうやら押せていなかったようだ。何も変わった感じがしない。僕のビビりめ。それとも不良品なのか。
「よし、勇気を出してもう一度……」
やろうとしたところで、僕は違和感を覚えて手を止める。
横を見ると、カーテンの外が明るくなっていた。




