word58 「夢 叶え方」㉗
「さよなら」を言われても涙は込み上げてこなかった。そう言われることが分かっていた。
付き合えないと黒いパソコンにもはっきり言われていたし――。
なにより、僕も同じ答えだったから――。
「俺もそうなんだ。好きだから……本当に好きだから、付き合ったりはしたくない」
僕は笑顔で言った。言い始めた瞬間から胸に詰まっていたものがすっと消えていく感覚があったから、自然と頬が緩んだ。
「え、君もこれでいいの?」
「うん。これがいい」
「私色んなことしてもらってさ、今日のライブも君がいなきゃ絶対やってなかったから凄く感謝してて、それでもやっぱり出ていきたいからちゃんと話して謝んなきゃなって……」
折原は深刻そうな顔をしていた。微笑んだ僕と目が合った時は分かりやすく目を逸らした。
「本当にいいから」
「本当に?結局私は勢いのままステージの上であんなこと言っちゃったし、付き合いたくないなんて言ったら絶対悲しむと思ったのに」
「今はもう君と付き合いたいじゃなくて、君に成功してほしいとしか思ってない。ほら、何食べる?」
僕はまた俯いた折原にメニューを近づけた。
「私はこれかな。辛そうだし……」
「じゃあ、俺もそれにしよ――」
それから僕たちは辛さ10倍と銘打たれた、何を基準に10倍か分からないラーメンとヨーグルトドリンクを注文して――。
運ばれてくるのを待つ間は絶対に人前ではできない会話をした。
「ねえ、聞いていい?」
「ん?」
「どうして私のこと好きになったの?」
「えっと、一目惚れかな」
「ええ、嘘だ。じゃあ1年生の頃から好きだったってこと?」
「いや、2年になってから」
「じゃ一目惚れじゃないじゃん」
「笑顔を見た時にかわいいなって思ったんだよね」
「へー……そうなんだ」
「折原さんは何で俺のこと好きになってくれたの?」
「私はけっこうマメな人が好きで、色々計画とか立ててくれる人がいいなって思ってたし、私がずぼらだから」
「それだけ?」
「あとはやっぱ話しやすかったから、一緒にいて楽しかったから気づけばみたいな」
僕も今までで1番折原に対して強気な態度を取れた。こんなに胸の中を曝け出したのは初めての経験だったけれど、何だか1度扉を開いてしまえば次々と素直になれた。
前に食べたジョロキアラーメンとの違いが分からない激辛ラーメンが運ばれてきてからは口数を減らした。
笑って話している余裕がないから、麺を咳き込まないようにすすることへ神経を注いだ。
激辛料理はストレス解消に効果があるとも聞く。確かに全身から出てくる汗が何もかもを浄化していくような――そんな感覚もあった――。
「あー辛かったーおいしかったー」
「ごほっごほっ、辛すぎた。前のジョロキアラーメンと変わんなかったことない?」
「汗の量は同じくらいだね」
「うん……ああ、ベロが痛い」
僕は舌に浴びせるように勢いよく空気を吸い込んだ。
「あのさ、最後にもう1つ聞いてもいい?」
「いいよ」
「この1ヵ月さ私の為に何かしてた?」
「え?」
「君に悩みを打ち明けてからの1ヵ月はなんか怖いくらいに上手くいったから、もしかしたら人の姿をした神様なんじゃないかなって」
冗談を言うように笑いながら、折原は言った。半分本気で言っているのは目が笑っていないから分かった。
「何もしてないよ……でも……」
「でも?」
「あ、いや動画をSNSで拡散したりはしたかな」
「…………」
折原は僕の顔を覗き込むように目を大きくした。
「……うーん、折原さんにはいつか言ってもいい……かも」
「何それ?どういうこと?」
「……いや、やっぱダメだ。絶対言えない」
瞬時に折原が謎の機械に自分の夢を叶えてもらったと聞いた時に、どういう気持ちになるかが頭を回った。
「ええ、何かあるの?隠さずに話してよ」
「大したことじゃないんだ。今の言葉は、忘れて。話せないから」
「……まあいいや、じゃあ最後にありがとうだけ言わせて。君が私にとって幸運なのは確かだから、ありがとう」
「……うん」
「いやあ、それにしても今日は本当に最高だったなー。今すぐもう1回やらせてくれないかな」
折原はスイッチが切り替わったようにはしゃぎだして、手を組んで祈るような仕草をした。
知らなくていい――知らなくていい――知ってしまうと辛いこともあるから――。
僕たちはまた会う約束をしてから店を出た。離れていても連絡は取り合おうと折原が言ってくれたから、僕は「もちろん」と答えた。
この先もずっと友達……それで良かった。なんなら、1番良い結末だったと今は思う。
僕とは釣り合わないと感じてしまったから、付き合ったって胸を張って隣を歩くことはできなかっただろう。両思いだけど、付き合わないというのが一番納得がいくし……幸せだ……。
今は、まだ――。でも、いつか――。
暮れゆく夕日、ひとけのない小さな駅前西口広場。別れ際に2人して手を振って、彼女の影すら届かなくなった時、視界が滲んだのはきっと――。
僕にとって今日が、瞬きを忘れるほど美しかったから――。




