word58 「夢 叶え方」⑧
とりあえず僕が変に音程も外すことなく歌い切れたことに、ほっと胸を撫で下ろす暇もない。早鐘を打つ心臓は休憩無しで走り続ける。
折原は対面のソファに座っていた。だから、あの映像と全く同じ視点。今度は映像じゃなくて現実で――折原が口元にマイクを持っていった――。
そうすると折原が真剣な表情になって、僕は見とれた。
「あなたのーいつもの嘘にー……何も感じなくなったわ」
映像と違って体全体が気持ち良く震える。響く歌声は僕を貫いて、背中の向こうまで伸びていく感覚があった。
呼吸をするのすらもったいなくなる。全神経を目と耳に注いで彼女の歌を聞いた。それしかできなくなった――。
「あの夜よりも確かなーそんな一瞬を探しているのー」
折原はずっとモニターのほうを見て歌っていた。サビになっても姿勢を変えず、背筋を伸ばしたままだった。
けれど、サビが終わって間奏に入るタイミングで僕の方を見た――。聞き入ってしまっていたので固まった僕――。彼女は口元が緩んだので、それを止めるように手で押さえた――。
「す、すっげえ……。何だこれ……」
笑われた僕はようやく自分が今、カラオケ店の個室で折原と向かい合っていることを思い出した。何か、何か言わなければと考えて、咄嗟に出てきたのは語彙力が低い誉め言葉だった。
「ふふ……ありがと……」
折原はマイクを通さずに言って、またモニターのほうを向いた。
そこからも折原は絶大な歌唱力を惜しみなく発揮して、歌い続けた。僕はまた固まってしまわないように注意しながら、特等席で歌声を堪能した。
誰かの真似をした上手く聞こえるような歌い方じゃなくって、本物の歌声。そう表現したくなる。透き通っているようで……その透明感でぶん殴れているかのように……力強い。
映像を見た時にも感じたことを桁違いの度合いで感じた。
「あの夜よりも確かなーそんな一瞬を探しているのー」
折原が歌い終わった時にはスタンディングオベーションで称えた。僕が生み出す言葉なんかじゃなくて何より相応しいと思ったからだ。
折原は溢れるのが抑えられないという風に微笑んだ。よほど自分の歌に満足がいったのだろう。僕もこんなに気持ちよく声を出せて、拍手で褒めて貰えたらこうなる。
「まさか折原さんがこんなに歌が上手いと思わなかったよ。思わず立っちゃった。歌聞いてここまで感動したのなんて初めてだよ」
「言ってなかったけど、実は歌にはかなり自信あったんだよね」
「いやあ……本当に上手かった。日本一とか世界一とか、そういうレベルに俺は聞こえた」
言ってて恥ずかしくなるような言葉も思わず口にしてしまう。勢いで告白してしまいそうなほどハイになっていた。
「次はまた君が歌って」
「ええ、でもあんな歌聞いちゃうと俺歌いづらいよ。もっと折原さんの歌が聞きたい」
「君が歌ったら私も歌うから。そっちのほうが楽しいでしょ」
「どうしよ……じゃあ次は何歌おうかな」
2人だけのカラオケルーム。僕と折原だけの夢の世界で、僕たちはまたお互いに3曲ずつ歌った――。




