番外編(最後) 「親ガチャ 僕の両親」②
偉そうに僕のことを叱るけれど、そういうあんたたちは立派に教育できているのか。何でも検索できる黒いパソコンで、僕の親のランクを調べればどちらが悪いか浮き彫りになる。
喧嘩を止める時に母の肩を持った父にも憤りを感じていた僕は、父も一緒にして検索してやることにした。
うっぷんが晴れそうな検索を思いついた僕は、気づかぬ間に速くなってしまっていた歩調を緩めた。なんだか今日の検索を思いついただけで勝った気になった。学校に着く前にイライラを無くせて良かった。
1限目の授業中はノートを取りながらも、放課後にする予定の検索でどんな結果が出るだろうか考えた。斜め前に座る同級生や、知った友達の顔を見たりして、彼らの親と比べて僕の両親はどうなんだろうって。
親ガチャという言葉は近頃よく目にするようになった言葉だ。多くの者がSNSを利用する10代20代の若者が自分の親を酷いとか嫌いとか言って、それを見た30代40代は私の頃の親はもっと酷かったみたいなことを言って広まった。僕も親ガチャという言葉がSNSのトレンドに入っているのを見て知った。
現代人なら意味は感覚で分かる。要は誰から生まれたかとその家庭環境で人生の大半が決定しちゃうよねって話だ。知能や身体能力の良し悪しは遺伝によるところが大きいし、努力で伸ばせる部分も親がどれだけサポートできるかで変わってくる。トンビから鷹が生まれる可能性は極めて低いのだ。
僕もこの教室にいる皆も同様に、親の程度から大きく掛け離れた人間には育っていないはずで、もっと外の世界にいる同年代の高校生も全員……平均すると大体親の学力と同じくらいのレベルの高校に通っているだろう。
そういえば、親が教師や医者なんていう奴で馬鹿な奴を見たことが無い。定期テストの順位はいつもトップ10だった。自分の考えがより確かさを増す。
だとしたら、そんなに悪い親でもないよな――。
板書をノートへ丸写しして、重要な項目にマーカーペンでラインを引くところまで終わる。頬杖をついて、先生が「ここからはテストには出ない話なんですけど」と言ったのを聞くと、さらに脳内での独り言は声量を増した。
だって僕はそれなりの高校に通っていて、それなりに良い子で生きてきたと自分でも思う。少なくとも学力は同年代の中では上のほうだし、生活水準もたぶん……。
そりゃ発展途上国の子供なんかと比べたらめちゃくちゃ豪華な暮らしだ。でもそんなこと言い出したらキリがなくて、論点がずれちゃう気がする。よって日本の高校生に絞って……絞ったとしても、色んな意味で平均よりは上。
じゃあ僕の親は上手く僕を育てたかというと、答えは否だと思う。
僕は今16歳でもうすぐ17歳。その年齢で僕には想像がつかないくらい活躍している人間もたくさんいる。テレビで見かける俳優やアイドルなんかもそうだし、10代でオリンピックの日本代表になってメダルを獲得した選手だっている。
僕がいくら頑張ったところで現時点でそうなれただろうか。日本中の人間が名前を知っているような人間に……いや、無理だ。よく考えなくても分かる。生まれ持った容姿や能力も足りていないし、僕の両親に有名人を目指せる環境作りはできなかっただろう。
車で20分ほどかかる場所にある塾に行くのも送り迎えが大変だからと反対されたことだってある。
うん、やっぱり当たりでもない。10代の頃から有名になる人間なんて結局親の力によるところも大きいはずだ。じゃなかったら、人生2週目だとか10歳くらいから黒いパソコンでも持ってない限り10代であんなに成功できるはずない。
僕もあんな風にもっとかっこよく逞しく生まれたかった。それなりに生きてこられたのも親のおかげというより僕がそれなりにがんばっているからだ。
僕だって生まれてくる親が違えば、今頃東京さ行ってたかもしれない――。
母親へ謝罪しないという意向が揺るがないまま、昼休みになった。僕はいつも通り同じクラスの親友と向かい合って座った。
「ききめって知ってる?」
今日初めて会話する親友は座るとすぐに口を開いた。
「ききめ?」
「利き手、右利き左利きとかの利き目」
「あー目にもあるって言うよね。右利き左利き」
「俺さ、その利き目が左だったんだよね。しかもそれって珍しいらしい」
「ははっ。なんやそれしょーもない」
「お前も調べてみ。どうせ右だから」
「そんなんいいから、漫画の話でもしよう」
親と喧嘩した話などするつもりはなかった。しても思い出してめんどくさくなるだけだから。
さっさと仲直りしていつもの関係に戻りたい気もする。もっとも僕からは謝らずに母から謝ってくるのを待つが……。
親友の話に付き合って、黒板上の時計を指さしながら目を片方ずつ閉じる。そうしながらもう片方の手で弁当を開けた。
僕の利き目が右目だと分かり親友が笑うのを聞きながら、弁当の中身を見る。
するとそこには僕が1番好きな弁当の献立があって、僕は眉をひそめた。




