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【完結済】私の色は何処

作者: 七夜砕

私は5年前に鬱病になりました


私は5年前から鬱病を患いました。


患う以前から嘔吐や下痢、過食、不眠、倦怠感等といった様々な兆候はありましたが

その時の私は仕事を生きがいにしていたこともあり

今休んでしまうと自分に価値がないと

思い込んでいたこともあり

その不調を全て無視して仕事と生活を続けていたのが

不味かったと今では後悔がよぎります。


その後転勤による生活バランスの変化と

仕事でのミスが続いたことがストレスとなり

鬱病が重く発症してしまい自殺の場所探しために

行方をくらまし他県で彷徨している所を

警察に保護されその後両親と再会しその場で

初めて私への思いがあったことに気づいて号泣したのを

覚えています。

その後心療内科に通いながら

仕事に即復帰しましたが一週間も保たず

再発し彷徨している最中を

保護されそのまま保護入院に入りました。


入院の最初の一週間は特別病棟に入り

終始二十四時間監視のもと生活を始めましたが

ほとんどやる気が起きない状況が三日間ほど続きました。

ですが四日目にもなるとだいぶ心も落ち着いてきたことも

あり逆にカメラがある生活がストレスと感じるようになった

私は担当医や看護師の方にその旨を伝え

病院側も落ち着いているのを確認していただけたのか

一週間という短い期間(長い方は一年以上おられる方もいます)で

特別病棟から一般病棟へ移されることになりました。


一般病棟とは言ったものの普通の病院とは異なり外出の自由はなく、

基本的には外界との接触は面会の時のみになり

病院内だけで不思議な人間関係が形成されていきます。

私は基本的に内向的な性格なのとスマフォも使えない

(外との連絡は時間の限られた公衆電話のみ)状態だったので

最初の内は寝ているか、備え付けの古い本を読むかだったのですが

面会を数度行うと家から好みの本を持ってきてもらい

それが唯一の娯楽と呼んでも差し支えありませんでした。

人間関係は本当に必要最小限にしようとその時点では考えていたのですが

周りの患者さんがかなり癖のある方たちで何もしてなくても話しかけてくる方が多いので

いつの間にか集団の輪の中にいることが多くなっていきました。


半年もすると集団の中でもよく付き合う人も固定されてくるもので

よく話していたのはAさんという女性とBさんという男性と時事についてとか

自分たちの症状について多くの意見交換や担当医の愚痴などを語っていました。

そしてこの時期に限定的な外出の許可も出るようになりました。

具体的には最初に出たのが看護師さん付き添いでの売店までの外出で

本質的には外出でもなんでもなかったんですがそれで問題がないと

一週間ほどして時間限定で院内を一人で動き回ることができるようになり

それも問題なく過ごせるとさらに一週間ほどして時間と場所を限定して

病院の付近を歩き回れるようになりました。

短い時間でしたが半年以上も病院内だけしか自由がなかったのが

この時間だけが外を自由に出かけられスマフォも

自由に使えるのでとても楽しかった。


一年も経つと患者さんの入れ替わりもあったのですが

AさんとBさんは変わらず入院されていて仲良くさせていただいていて

さらに新しくは入ってきた男性のCさんとも関わるようになり

それ以外のあまり親しくなかった方たちとも

挨拶程度は交わすようになり集団生活もそれ程嫌では無くなってきていた。

外出に関しては延長ができるようになり

許可をもらえれば朝・夕食を病院でとることと保護者同伴を

前提に家に帰ったり買い物に出かけたり食事に行ったりと

かなりの自由が出来るようになり短い時間ながらも家族との団らんは

心が休まるのを感じていました。


三か月後には外泊の許可も出るようになり一日だけですが

家に帰れるようになり自分の状態も外に出ること自体が億劫だった

最初のころよりも外泊にも

積極的で一刻も早く退院して仕事にも復帰したいという焦りも出てきました。

それからさらに三か月後その間に外泊も数をこなして

外の生活に耐えうると判断して頂けた為

一年半という入院生活を終えることになりました。


入院生活も終わり仕事場へ復帰した最初の一年半は配置換えの結果もあり

安定的に仕事ができており充足感も得ていたのですが

その半年後にまた不安定になりしかも自分自身原因がわからず

会社の休みを取ることが多くなり最初のころに見られた

夜中にさまようという行動も現れたため

このままでは失踪という最悪な行動になると考えた

両親によって再度入院という形になりました。


今回の入院は三か月程度の短さになるのですが

このとき入った病棟は比較的軽度の症状の方が多く

よく話していたDさんも同じぐらいの入院日数で

私が退院するほぼ同じタイミングで退院していかれました。

この時の外出、外泊の許可が下りるのが早いなと印象的でした。


再度復職したのですがこの仕事が自分に向いているのか

はっきりとわからなくなってしまい

その上で反りの合わない人と仕事をしていたこともあり

休みがちになり不安定になったこともあり

自主退職を勧められ自分自身もこの会社で何ができるか分からなくなってきていたので

退職を受け入れ現在無職となっております。


現在は様々な公的サービスの手続きを行いながら

実家に身を寄せ新しい仕事を見つけようと奮闘しているのだが

今の自分がしたい仕事とできる仕事に乖離を感じ

また安定しない自分が仕事ができるのかと不安になりながら

その不安を誰にもうまく相談できずにこのコロナ禍を過ごしています。


5年以上の闘病生活の中でつくづく感じ

皆様にも考えていただきたいことがあります。


私ではないあなた方へ何の忌憚なく相談できる相手はいますか?


今の仕事は本当に天職と胸を張って言えますか?


生きるのが辛くないですか?


少しでも自分の『色』と違うことをしていませんか?


この『色』の定義は人によってバラバラだと思います。

生きがいであったり得意なことであったり夢であったりするかと思います。

でもこの『色』を間違えたまま人生を過ごしてしまうと

私のように生きる意味すら見失ってしまうかもしれません。

だからこそ私以外のあなた方へそして私自身に向けて問いかけたいと思います。


あなたの『色』はあなたの人生にあっていますか?


私の『色』は何処にありますか?


これは私の主観であり絶対的なものではありません一人の鬱患者としての思いを吐き出したものです。

皆様に何か考える一助になれば幸いと思います。


評価や感想をいただければ幸いです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 入院生活の日常が細かく描写され、とてもリアルだな、と思いました。 細かい豆知識がとても良いですね。 勉強になります(笑) 特に、「病院内だけで不思議な人間関係が形成」という部分は、へえ~と…
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