ファルナルーク
ファルナルークは夢を見ていた。
これは夢だ、と確信したのは、もう過去の事だと記憶の底に沈めた出来事だったからだ。
――なんで、こんな昔の事……
「デュクセル隊長、定期警邏完了報告に参りました」
「お疲れ様、ファルナルーク。今日は上がりだろう?お茶でもどうだい?」
「……はい。お言葉に甘えさせて頂きます」
「二人きりなんだから、そんなに畏まらなくていいよ」
「いえ、そんな訳には……」
ティーカップを二つ並べ、慣れた手付きで紅茶を入れる準備をするデュクセル。
「この一週間でキミのスキルには二度、命を救われた。他の隊員達だってそうだ。キミには感謝してるんだよ、とてもね」
「いえ、そんな……私は、これまでに三度、隊長に救われました。皆だってそうです。私の方こそ、感謝の言葉だけでは足りないくらいです」
「それじゃあ、足りない分は、これで補うことにしようか……」
ファルナルークの柔らかな頬に手を当て、デュクセルはいつものように唇を重ねた。
長い口づけの後、甘い唇だ、と耳元でデュクセルが囁く。
歳上の男性、優しくて仕事の出来る部隊長。部下からの信頼も厚い、マジクス隊307部隊のエース。
若い女性隊員達の憧れの人になるのは、当然の事だった。
ファルナルークも頼りになる部隊長に淡い恋心を抱いていたし、部隊長もまた、彼女の事を気にかけていた。
互いに惹かれ会い、唇を重ねるに至るまではさほど時間はかからなかった。
連日連戦、昼夜問わずの赤角との戦いの中、ファルナルークの心の支えとなったのがデュクセルの存在だった。
やがて赤角との戦いが終息に向かい、部隊が解散する事になった、ある日。
君に会わせたい人がいる。
デュクセルに呼び出されて、ファルナルークの心は弾んでいた。
慣れない化粧をし、髪飾りをつけ、わずかばかりのおしゃれをして待ち合わせの場所に行くとファルナルークの他にもう一人、すらりと背の高い女性が待っていた。
――誰だろう?マジクス隊員じゃなさそうだけど……
会話を交わす事無くしばらく待つと、デュクセルが小さな女の子を肩車して、マタニティドレスを着た美しい女性と手をつないでやって来た。
――なに?どういうこと……?
私の妻と娘だよ、とデュクセルは笑顔で言う。
お腹の中には二人目の子供がいるんだよ。と、続けた。
「お世話になりました、デュクセル様。どうか、奥様とお幸せに……」
ファルナルークの横に立つ女性が、儀礼的な言葉を述べるが、その目は笑っていなかった。
――この人も……そう……なのか……
彼の妻の表情から読み取れた。
『私達の幸せを壊さないで』と。
――そっか……遊び……だったのか……
小さな子供の前では、怒り狂う事も、罵り蔑む事も、泣きわめく事もできない。
それも計算の内なのだろう。
――ずるい人だ……
ただ、立ち尽くすことしかできなかった。
――コドモだったんだな……私……
隊長にとっては、典型的な火遊び程度だったのだ。
本気にしてもらっては困る。
彼の目が、そう言っていた。
今ではもう、隊長の顔を思い出せない。
どこにでもある大人の火遊びと割り切り、独りで泣いて、ファルナルークはこの恋を忘れることにした。
「イヤな思い出なんてさ、俺がまるっと飲み込んでやるよ!だからさ!笑い飛ばそうぜ、ファル!」
――ファイス!?勝手に人の夢に出て来ないでよ!
「夢から覚めたらさ、いっぱい!ハナシしよう!約束な!」
――夢の中でも騒がしいわね……
小さく悪態をつくと、ファルナルークは再び、深い眠りに落ちていった。
それから、どれくらいの時間が過ぎただろうか。
ファルナルークが目を覚ますとそこは、知らない部屋だった。
首を左右に動かし、薄暗い部屋の中を観察してみる。
閉じられたカーテンの隙間から漏れる光で、部屋の中が見えた。
本棚はあるが、数冊しか本はない。代わりに、様々な形の薬瓶に薬品浸けされた何か。動物の標本が数点。
「……?」
何故、ここにいるのか、ファルナルークは全く理解できなかった。
着衣は白の貫頭衣のみ。下着は着けていない。
身体の状態を確認してみる。
手、指、各関節、四肢の感覚、そして深呼吸。
痛みは無いが、だるい感じがする。
だが、起き上がろうとすると、下腹部に鈍い痛みが走った。
「生き……て……る……」
かちゃりとドアの開く音がして、白ローブ姿の女性が一人入ってきた。
「お、目が覚めたかい?おはよう。気分はどうだい?」
「……こ、こ、は?」
声が思うように出せない。
「無理するな。ここは私のアトリエだよ。ちょっと待ってて。ハーブとハチミツ入りの飲み物を作ってくるよ。喉に効くんだよ」
そう言って女性がカーテンを半分だけ開けて退室していった。
アトリエ、という割には殺風景な部屋だ。窓は一つ。青い空が目覚めたばかりの眼に眩しい。
5分程で女性が戻ってきた。ハーブの良い香りがふわりとファルナルークの鼻孔に溶ける。
「飲ませてあげるよ。体は起こさなくていいからね」
ファルナルークはハーブ茶を少しだけ口に含み、喉に浸透するようにゆっくりと飲み込んだ。
「私はトリーネ。魔女だ。あと、キミの主治医だよ。あ、こう見えても騎士団所属の魔女だからね。怪しい者ではないよ。キミね、二ヶ月間、昏睡状態だったんだよ。昏睡って割には元気だったけど」
「二ヶ月……」
「覚えてる?瀕死だったんだよ、キミ。何故だか分からないけど、治癒魔術の効きが悪くてね。妖術の類いの攻撃を受けなかったかい?そのせいだと思うよ」
「死に……かけ、た……?」
「出血多量、低体温症、凍傷、火傷、両手のひらの裂傷、左上腕骨にヒビ、肋骨二本骨折、複数ヶ所打撲、内臓もチョロっと見えてたな。よくもまあ生きてたねえ。死んでたら臓器もらってるところだったよ」
トリーネはちょっとだけ意地悪そうに、うひひと笑った。
「ファイスなら今、お使いに行ってもらってる。もうじき帰ってくるかな。よく動いてくれて助かるよ。ファイスも結構なダメージだったんだけどねえ。タフだねえ、若さだねえ」
「ファイスが……?」
「ずっと、キミの面倒看てたんだよ」
「え……?」
「食事、排泄、清掃、沐浴、着替え、床擦れ防止の運動、その他もろもろ身の回りの事、全部」
「……え!?排泄……って」
「食ったら出す。人間の摂理でしょ?」
「え、いや、じゃなくてっ。身の回りの世話って」
「全部、ファイスがやってくれたよ。イヤな顔一つせずにさ。むしろ嬉しそうだったかな」
「ウソ……っっ……なんで……ファイスが……?」
顔が熱くなっていくのがわかる。
赤面ひとしきりなファルナルークに
「いいダンナさんじゃないの」
「だっ……ダンナじゃない!」
想像すらしたことの無い言葉にファルナルークは即答した。
「え、違うの?カレシかー!いいねえ」
「カレシでもない!」
「え、そうなの?じゃあ、なんなの?」
「……下僕です」
「下僕かー!なるほど!」
と、いきなりドアが開き、どたどたとファイスが入ってきた。
「おっ、起きたんだ!」
「また、キミは、もう。ノックしなさいって言ってるでしょう。あと、足音うるさい」
「あ、ごめんなさいっす!」
「まったく……私はラボにいるから。夕飯の準備、頼むよ、ファイス」
「ハイ!リョーカイっす!」
「くれぐれも、彼女に無理はさせないように」
「わかってますっす!」
「す!って……ホントにわかってる?」
ファイスの軽い返事に一抹の不安を覚えつつ、トリーネは部屋を後にした。
「……彼女じゃないから」
ぽそっと呟くファルナルーク。
「ん?わかってるよー、そんなコト。あ、まだ言ってなかったな。おはよう、ファル!」
「……おはよう」
「気分は!?吐き気するとか、アタマ痛いとか、節々が重いとか、目がかすむとかない!?」
「年寄り扱いしないで。あと……ファイスがうるさい」
「マジかー!オレかー!」
「……ずっと、お世話してくれてたって聞いたけど……そうなの?」
ゆっくりと思考を巡らせるが、聞きたい事が多すぎて脳が追い付かない。
「ああ、フツーにメシ食って、フツーにでっかい屁ぇこいて、フツーにウ◎コしてたよ。なんで目ぇ覚まさないんだってくらい、いつものファルだった」
「私が、いつもでっかいオナラぶっぱなしてるみたいな言い方しないでっ……」
「腸内のガスが出るだけじゃん。恥ずかしい事じゃないよ。ってか安心したよ。内臓がちゃんと機能してるってことだろ?」
「沐浴とか……って」
「風呂ね。汗とかウ◎コとかで汚れるじゃん?やー、介護ってスゲー重労働なんだなー。結構、筋肉鍛えられたよ」
「私がスゴく重いみたいな言い方しないでっ……」
「え?あー……うん」
「……見たの?」
「ん?なにを?」
「私のハダカ……見たの?」
「ありとあらゆるトコロをね!見なきゃ出来ないって!ファルの赤斑点て、あんなとこにあんのなー」
「なんでそんな嬉しそうなの……っ……おかしな事しなかったでしょうね……っ」
「しないしないっ。おっかない!あ、でも脇の下拭いてたらくすぐったがってたなー。ちょいエロかった!」
「………イロイロしてくれてありがとう……でもねファイス……一つだけいい?」
「ん?なになに?感謝のキスかなっ?」
「殴らせて」
「ですよねー!」
ごっ!
ファイスは、グーで殴られた。
ファルナルークは翌日からゆったりとした服装に着替え、トリーネの許可を得て歩行訓練を始めることにした。
が。
立ち上がれない。脚力が格段に落ちている。自分の身体ではないように感じるほど重く、真っ直ぐに立つ事すら難しい。
ふわあっと後ろに倒れそうになるのを何度もファイスが支え、その度に変なところを触るなと怒るファルナルークなのであった。
「うわあ、これから大変だなあ。だいぶ足細くなっちゃった……お尻も小さくなったかな……?」
ふらふらとおぼつかない足取りだったが、訓練三日目には自力で立ち上がる事が出来た。だが、立つのが精一杯で、歩くには杖を必要とした。
ファイスは歩行訓練に付き添いながら、テュアルのその後の顛末をかいつまんで説明した。
ファルナルークは、「そう……」とだけ言って押し黙ってしまい、テュアルの話題には触れたくないようだった。
頃合いを見計らって、ある日の午後、ファイスがおもむろにファルナルークに一通の手紙を渡した。
「シュレスからさ、これ預かってたんだ」
「シュレスから……?」
白い、宛名のないシンプルな封筒だ。
◇◇◇
親愛なるファルへ♡
なんて堅苦しいかな?
この手紙を読んでるって事は、眼が覚めたんだよね。
おはよう!
身の回りの事、ファイスがやってくれてるでしょ?甲斐甲斐しいというか、献身的というか。
これなら任せてもいいかな、って思っちゃったんだよねー。
あ、ファイスの事、殴っちゃダメだよ。
アタシは、一旦、故郷に戻るよ。
元気になったらさ、ファイスと一緒に遊びに来てよ。
詳しい事情は、トリーネに聞いてね。
じゃ!
待ってるよん♡
ファルの友 シュレス
◇◇◇
随分とあっさりとした内容だ。
――ファイスのコト、もう殴っちゃったよ……
それよりも気になったのは、
『詳しい事情はトリーネに』
この一文が、ファルナルークの心をざわつかせた。
トリーネが定時診察に来た際に詳しい話を聞く事にした。
「代金なら受けとり済みだよ。国からも特例で補助金出たんだけど、それでも足りなくてさ。国からのお金はぶっちゃけ、口封じ金だね。ライトブレード所属隊員絡みの事件だったから、本当は揉み消したいんだろうけど」
「そんな……支払えるお金なんて無いはずなのに」
「隠しておいても仕方ないかな。ファイスの肺と腎臓、肝臓の細胞を少々。あと、目の網膜を少しと、魔力吸引。それが手術兼介護費用。タバコも酒も飲まない生きたマジクスの内臓細胞だからね。貴重なんだよ」
臓器売買は、この国では違法ではない。
倫理的に推奨はしないが黙認されているというのが現状であるが、騎士団所属の魔女が臓器売買に関わる訳にはいかない。
「本音を言えば肺と腎臓の片方ずつくらいは欲しかったんだけどねー」
「……ファイ、ス、の……」
「移植した子宮も拒否反応なく安定して癒着してる。もう、キミの身体になじんでるようだね。しばらくは経過観察しないといけないが」
「子宮を移植……?」
「そう。始めキミと一緒にいた朱毛の娘……シュレスが子宮を提供してくれたんだよ」
「……え?」
「言ったろ、キミ、瀕死だったって。あの娘ね、泣きながら言うんだよ。私はどうなってもいい、どうしてもキミを助けて欲しい、キミの願いを失わせたくない、って」
「そんな……じゃあ……シュレスは……子供が……」
「どうしても欲しくなったら移植でもなんでもする、ってさ。キミの事を最優先に考えてたよ。キミとは血液型が同じだったし、適性検査での拒否反応も無く、問題無し。なかなか無いことだよ。
生理はまだだけど、卵巣との相性もあるからね。だが、心配はない。キミは子供を産める身体だよ」
――目眩がする。
この人は何を言ってるの?
シュレスの子宮を移植?
ファイスの細胞が代金……?
「混乱するのも無理はないな……キミは、全ての事に同意する事ができなかったからな。けど、二人は必死だった。キミを救いたい、ただ、それだけだったよ。
これは個人的な意見だが……子宮というものは器に過ぎない。人工的に製造だって出来るんだよ。
ただ、提供してくれた相手がキミの友人だったというだけの話なんだ。倫理的な事を気にするなとは言わない。心が事実を受け入れられないのも分かる。だけど……」
ファルナルークをなだめる言葉を探しても見つからない。ただ事実を淡々と伝えようとしたが、トリーネはファルナルークの表情を見て言うのを止めた。
「少し……一人に……させて下さい……」
「そうか……」
小さく頷いて、トリーネは静かに部屋を後にした。
ほどなくして、ファルナルークの小さな泣き声が扉から漏れてきた。
窓から射し込む鮮やかな夕陽が、ファルナルークの涙を慰めるように優しく照らしていた。
次話『そして、夢は繋がる』
続けて読んで頂けたら幸いです!




