シルスとフェルヴェル
日も傾き、夏の終わりに近い雲がオレンジ色に輝く。
白を基調とした街並みも夕映えに美しく染まりつつある中、通りでは今夜の花火大会を楽しみにする人達で賑わい始めていた。
そんな中、フェルヴェルは一人いつものようにフードを被り誰も気付かない影のように歩き、シルスが泊まっている宿に向かっていた。
「……あれだナ」
今朝、シルスの小指に付けた切り傷からの血の匂い。薬の匂いに紛れて薄くなってはいるが、確実にシルスはここにいる。
フェルヴェルはテュアルに『お使い』を頼まれていた。
テュアルに頼まれた『お使い』とはこうだ。
『今朝、出会ったハーフエルフを無傷で連れてくる事。もし邪魔する者がいたら……それがお駄賃と思えば楽しみだろう?』
――他のヤツら、コロシていいって言ったしナー。タノシミだナー。どんどん邪魔しにコイ!
フェルヴェルが宿に近付き、あと数十歩で到着、という所で突然、シルスが飛び出していった。
――ん?カッテに出てキタ。どこ行くンダ、チッコイの。邪魔ナシかー……つまんナイナー。
シルスの小柄な身体はそのまま人混みに紛れてしまうが、血の匂いを辿ればフェルヴェルにとって見つけるのは容易い。
人の影から影へ移動するように、フェルヴェルはシルスの後を追いかけていった。
◇
宿を飛び出して10分ほど経つだろうか。
シルスは人目の付かない路地裏の隅にうずくまって膝を抱えていた。
お祭り週間、花火大会の華やかさ、賑やかさとはまるで無縁な自分がひどく惨めに思えて泣きそうになる。
「……なんで……写真、燃えちゃったのかな……なんで……こんなことに……」
一目惚れした写真の人物。
しかし、写っているのはファルナルークではなかった。
それでも、初めて会ったファルナルークは写真の人物以上に美人で、正真正銘の一目惚れが出来た。
あの時の衝動は、今思い出しても胸が熱くなる。
一緒に旅をして、色んな思い出が出来た。楽しい夏休みの時間旅行の筈が、どこかで歯車がズレてしまった。
「一人で、帰るしかないのかな……このまま、お別れなんて、イヤだな……ファルナルークさんと……みんなと一緒に、花火……見たかったな……」
『時渡』の儀の場所と時間は判っている。
呪文詠唱は必要ないし、シェラーラの『時守』の術で守られ、未来に帰れるであろう事も判っている。
とどのつまり、一人でも帰れるのだがそれではあまりにも……
――さみしいな……ファルナルークさんに……怪しい奴って……思われちゃった……かな……
初対面時にすでにファルナルークに『怪しい奴め』と言われていた事を思い出し、これまでの自分の行動を思い返してみると、ファルナルークにとって迷惑な事しかしてこなかったように思えて情けなくなる。
ファルナルークが巻いてくれた包帯に触れると、優しく微笑んでくれた笑顔が思い浮かび涙がこぼれそうになり……
その時だった。
「ヨウ、はんぶんエルフ。ナニしてる?チッコイな、オマエ」
突然現れた黒い影。しかし、シルスはその声に聞き覚えがあった。
「え……フェルヴェル……ちゃん?」
「ホレ、寝ろ」
「え……」
フェルヴェルがシルスの目の前でトンボの目玉を回す仕草、人差し指でくるくると小さな円を描くと、シルスは3度のまばたきでパタリと倒れて眠りに落ちた。
「チョロいナ、コイツ……ん?なんでナマエ知ってンダ?」
会うのは今日二度目だが、フェルヴェルはシルスの名前を覚えていなかった。
「ほれ、タテ」
フェルヴェルがくいっと人差し指を立てると、シルスは操り人形のように立ち上がった。
フェルヴェルが『チッコイな』という割には背丈はシルスの方がやや高い。
フラフラと千鳥足だが、端から見れば自力で立っているように見える。
フェルヴェルは介助するように見せかけてシルスの隣に立ち歩き出した。
エルフ保護舎がある方へと。
◇
ルディフのスキル『察知』は、攻撃型スキルではないがSクラスに分類されている。
敵対心や殺気といった『感情』を察知し居場所を突き止める能力は、戦いの場において重要と判断されてのSクラス認定である。
これまでの『赤角』との闘いにおいても、幾度となく危機を乗り越えてきたし、マジクス隊員としても大いに貢献してきた。ただ一つの難点は、昆虫類に対してこのスキルは通用しない、という事だ。
スキルを発導し、波動を感じる場所に行ってみるとすぐにシルスの姿を見てとれた。
――おっと、シルったん発見!……んー?誰だ、あのコ……黒姫サンと一緒にいた……ダークエルフ……?なんだ、一緒に行っちゃったよ……ちょっと後つけてみるか……
シルスはどこかフラフラして足取りがおぼつかないようだった。隣に立つダークエルフが何かしらの術をかけたのでは、と想像がつく。
たどり着いた簡素な建物。丁寧に造られた看板に描かれていたのは……
――エルフ保護舎……ダークエルフが?シルったんを保護するか?ヤバいニオイしかしないな……黒姫サンとつるんでたよな……黒姫サン絡みか……関わりたくないな、マジで。
これは……見切りのチャンスだな。
「さてファイスっちは何処に行ったかなー……余計なコトしなきゃいいけど……ん?」
2分と経たずにエルフ保護舎から一頭立ての幌を被った荷馬車がゆっくりと出て行った。御者はダークエルフだ。フードを被り顔は見えないが、その姿をルディフが見間違える筈がない。荷馬車の中身など確認するまでもなく、シルスだ。
「何処かに連れてかれたな……何処に……もう、いーや、ほっとこう。自分の未来は自分で切り開くモンだよ、シルったん」
シルス本人の事は嫌いではないが、このまま一緒にいるとなんらかの事件に巻き込まれる可能性が高くなる。現に、ゴロツキ二人にからまれたし、他にもシルスに対して怪しい目を向ける連中を何人も目にしている。
そして今、目の前でダークエルフに連れ去られて行った。事件に巻き込まれた事など誰にも判る状況である。
ルディフはここが一つの見切り場だと判断していた。元々シルスとはここで別れる予定だったのだから、後の事はどうでもいい。
『今まで生きてきた中で何度か経験してきた見切り場の一つに過ぎない』
ルディフは、そう考えていた。
◇
「ん……?」
シルスが目を覚ますと、そこは知らない部屋だった。
質の良さそうなベッドからゆっくりと起き上がり周りを見渡す。
薄暗い部屋だ。生活感はあまり無いが整理整頓が行き届き、埃一つ無い。
「ここ……どこだろう……」
大きな窓が数枚並び、そこから見える濃紺の空には一等星がいくつか瞬いていた。
フラフラと立ち上がり窓に近付く。
見晴らしの良い窓から見える白い街並みは、夕映えのオレンジから夜の群青色に変わりつつあった。
「うわ……高いなあ……」
建物の4階か5階だろうか。上から下を見下ろすと、高い所が苦手なシルスは恐怖心を覚える。
「お目覚めだね。気分はどうかな?」
「っ!?」
誰もいないと思い込んでいた部屋の中。突然の人の声にシルスがびくっと身体を縮める。
「驚かせて済まないね。君はライトブレード隊に保護されたんだよ」
「テュアル……さん?保護……って」
「やあ、ハーフエルフくん。街で会って以来だね。私の名前を覚えててくれたのか。残念だが、私は君の名前を覚えていない。教えてくれるかい?」
パチン、とテュアルが指を鳴らす。
すると……
「……?」
シルスは、ふわふわゆらゆらと、まるで夢を見ているような、宙に浮いているような不思議な感覚の中にいた。
「君の名前は?」
「……わたしの名前は、シルスです」
「そうか……シルス、君はどこから来た?」
「……エドールから来ました」
「聞き方を変えようか……君は、どの時代から来た?」
「……え?」
「代わりに私が答えよう。君は、未来から来た」
「え……どうして……」
「言っただろう?君を保護する」
「え……そんな……わたし行かなきゃ……時間が……ないんです」
「興味深い事を言うね。なんの時間が無いんだい?」
「それ……は……言えないです……」
「手荒な事はしない。それは約束しよう。もっとも、君が非協力的な態度を取るのなら話は別だが……」
「なー、テュアル。サッサと始めヨウ!」
部屋の中にいたのは一人ではなかった。テュアルの背後からすっと出てきたのは、小柄なダークエルフ。
「フェルヴェルちゃん……?」
「よう、はんぶんエルフ」
フェルヴェルが姿を現すと、夢から覚めるようにふわふわした感覚から解放されて意識が戻る。
「サッサとスマセりゃイーのに」
「そうしたいのは山々なんだが私達は行かなくてはいけない。後々うるさく言われるのはイヤだろう?」
「えー、そんなモン、ムシすりゃイーのにサー。マジメか」
「戻って来たら実験しよう。楽しみはとっておくものだよ」
「実験……って……?」
ただならぬ言葉にシルスが問う。
「君から魔力含有髄液を抽出する実験だよ」
あっさりと答えが返ってきたが、聞いたことのない言葉にシルスは戸惑うしかない。
「フェルヴェルが君に術をかける。その時に生じる魔導圧力に耐える事が出来れば、実験は成功。君も命を落とさずに済む。簡単だろう?」
「圧力に耐えれば……もし、失敗したら……?」
「どろどろのグチャグチャに溶けてゲロになるんダゾー」
フェルヴェルが脅すような口振りで、コウモリのタトゥーが彫られた長い舌を出す。
「流石にここでは実験出来ないからね。私が帰ってきたら別の場所に移動する。実験は真夜中になるけど、それまでここで待っていて欲しいんだ。見晴らしは良いから花火もキレイに見える筈だよ」
テュアルの口調は優しいが、シルスは何か違和感を感じていた。
目だ。と、シルスは気付く。
目を見ているようで見ていないのだ。まるでここに自分が存在していないかのように。
テュアルの瞳に宿る冷酷さに、シルスは背筋が凍るような恐怖を覚えた。
「ライトブレード隊員は全員参加という決まりだからね。正直、面倒だ。が、仕方がない。オトナの仕事だよ」
テュアルがクローゼットを開け中に入り、パチンと指を鳴らす。
すると、ひゅうん、と風が吹くような音と共にテュアルの衣服が次々に脱がされ、ほんの数秒で全裸になり、次の衣装が着せられていく。
一枚ものの涼しげな藍色の衣装の裾部分には大小の白い花が刺繍されている。長い黒髪も美しく結い上げられ、見たことのない煌めく髪飾りで黒髪に彩りを添える。
シンプルだが、テュアルの魅力を存分に引き出す『オトナ』の色使いだ。
「ほら、フェルヴェルも」
「キュークツでイヤなんダヨナー」
ぶつぶつと文句を言うフェルヴェルを無理矢理クローゼットに入れ、同じようにパチンと指を鳴らす。
ひゅうん、と同じく風の音。フェルヴェルも数秒で衣服を脱がされ、一枚ものの衣装を着せられる。テュアルとお揃いの藍色に白い花の衣装だ。肩より少し長いだけの髪はそのままに、コウモリの形の髪飾り。
この島で夏のこの時期に好まれる衣装『浴衣』。老若男女どころか異種族にまで浸透している古い文化の一つである。
フェルヴェルはシルスと同じくらいの身長の為、若干子供っぽく見えるがそれでも充分に……
「かわいい……」
連れ去られたという恐怖心など消えてしまったかのようにシルスが呟く。
――隊員みんな浴衣……いいな……わたしも……ファルナルークさんと……お揃いの浴衣で……一緒に……花火……
テュアルとフェルヴェルの背格好は、ファルナルークとシルスに似ている。
二人の浴衣姿を見ているとそこに自分とファルナルークがいるような錯覚を覚え、胸が締め付けられ涙があふれそうになる。
浴衣姿のファルナルークと自分を想像してみる。
いくつもの花火を背景に、浴衣姿のファルナルークは、優しく微笑んでいた。
もちろん、シルス自身も。
「扉の鍵はかけさせてもらう。中では自由にしてていいよ」
「花火よりジッケンのがタノシミだナー。逃げんナヨ、はんぶんエルフ」
テュアルが言い残し、フェルヴェルと共に部屋を出ていった。
かちゃり、と鍵がかかる音を聞いた瞬間。
『何処にも逃げられない』
薄暗い部屋の中で、そうシルスは直感する。
『時渡』の瞬間は明日の夜明けである。
それまでに生きていられれば、の話だが。
シルス、軟禁状態に!
どうなるシルス!
次話『見えない何かが崩れた瞬間』
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