8.待叶草 ~(7)
唯花の氷のように冷たく鋭い目が俺を睨む。
俺はその瞳に捕らわれて動けなくなった。
その眼差しはどこかで見覚えがあった。
昔というものではない。もっと、もっと前だ・・・・・。
「唯花ちゃん。何を・・・・・言ってるの?」
「どうして帰ってきてくれなかったの?」
周りの音が聞こえなくなる。
「何? 意味が分からないよ」
俺の脳裏の奥深くから記憶の欠片が沸き上がる。
森の中に流れる沢の横。そして赤紅色との花が咲いている。
「約束したのに、帰って来るって・・・・・」
石階段の踊り場で唯花が俺に迫る。
身体が縛られたように動かない。
悠馬がズルズルと後退る。
「もしかして怪談の続き? だったら冗談やめようよ」
俺の額から一滴の汗が垂れる。
「ずっと、待ってたんだよ」
深い記憶の底から赤紅色の着物を纏った女の姿が呼び起こされる。
まさか、あの話に出てきた男は俺の前世?
俺の身体はだんだんと階段の端へと追いやられる。
全身の毛が逆立つ。
逃げたいのに身体が言うことをきかない。
すると、唯花の目がすっと意地悪い笑顔に変わった。
「ふふっ」
唯花が噴き出すように笑い出す。
「え?」
「ハハハ。松田くん、冗談だよ、冗談。信じちゃった?」
「はあ?」
俺はどっと肩を撫でおろした。
「かんべんしてよ、唯花ちゃん。びっくりしたなあ」
「なんだあ、松田くんもけっこう怖がりじゃん。かわいい!」
いやあ、本当にびっくりした。
どうやら唯花にしてやられたようだ。
気がつくと俺の全身は汗でぐっしょりになっていた。
しかし唯花は演技力はハンパない。
「ごめんね、脅かして。じゃあ、ごはん食べに行こう」
「うん」
気を取り直して階段を昇ろうとしたその時、足元に滴れた俺の汗に足を滑らせた。
「え?」
身体が後方に吸い込まれる。
唯花の顔がだんだんと小さくなる。
――何? 何が起きている?
大きな衝撃音と共に頭に激痛が走る。
どうやら足を滑らせ階段から落ちたようだ。
花壇に落ちたのだろうか、まわりをにはたくさんの花が咲いていた。
頭に手をやると、血でぐっしょり濡れていた。
――ヤバい。俺、死ぬのかな・・・・・。
もうろうとする意識の中、人影が目に映った。
唯花だった。
彼女は不気味な薄笑いを浮かべて立っていた。
「唯花ちゃん、助けて。動けないよ」
「もう、動かなくていいんだよ・・・・・」
――え?
「あなたは私と一緒にずっとここにいるのだから・・・・・この土に根を生やして」
「どういう意味?」
「あなたは枯れてしまった雄草の代わりに死ぬまでここにいるの。あなたが雄草になるのよ」
ふと横を見ると、目の前に見たこともない赤紅色の花が咲いていた。
――もしかして、これは待叶草の雌草・・・・・。
「ごめん。許してよ。謝るから」
「もう遅いよ・・・・・」
だんだんと意識が遠退いていく中で、俺は気づいた。
――そうだ、救いの言葉だ! それを唱えれば・・・・・。
俺は叫んだ! 救いの言葉を!
「〇〇〇〇〇〇!」
俺はそのまま意識を失った。
気がつくと、俺は医務室のようなところのベッドで寝ていた。
看護のスタッフらしき人が机に座っているのがぼんやり見えた。
「あ、気が付かれました? ご気分はどうですか?」
「あの、俺、生きてます?」
「え? 貧血くらいで大袈裟ですよ」
「貧血?」
頭を触ってみる。
ケガはしてなさそうだ。
確かに血でドロドロになったはずなのに、キズも痛みも全く無くなっていた。
どういうことだろう。俺は確かに階段から落ちて怪我をしたはず・・・・・。
――そうだ、唯花は?
「あの、連れの女の子がいたんですけど、どこにいるか分かりますか?」
「いいえ。お客様はおひとりのようでしたが・・・・・。通りがかりの他のお客様が知らせて下さって、ここに運ばれたんですよ」
「え?」
じゃあ先にひとりで帰っちゃったのかな?
でも、やっぱり不思議だ。
明日、唯花に聞いてみよう。