監督決定
新田のGM就任が、発表されると新田は早速組織の編成に取り組んだ。現監督の青木は、成績不振の責任を取るかたちで解任された。またそれに伴い1軍の全コーチも解任された。組織を勝利させる為には、ある程度の痛みを伴わなければならないことは新田は重々承知していた。
そしてプロ野球のチームにとって最も大事な監督の問題は、新田はGM就任当時からすでに意中の人間がいた。その人間とは矢田のことである。矢田は、大学卒業後東京シャークスに入団し、甘いマスクと守備の名手として、東京シャークスの主力選手として活躍した。矢田は13年間の現役生活を東京シャークスで終えたが、その後10年間一度もユニフォームを着るこのなく、その活動の場をTVキャスターに移していた。容姿端麗な矢田にとってTVキャスターは、適任な仕事柄であった。その間数チームからのコーチ就任の依頼があったが全て断っていた。その理由は、独自すぎる野球感が時にチームメイトと衝突することがあったので、矢田は自身で「俺は組織には合わないな」と自己認識すればしていた。
しかしその独自の野球感を認めていたのが、新田であった。ゆえに矢田以外に監督を妖精する気はなかった。
矢田も現役時代劇の新田の野球感には興味を抱いていたので、新田からの監督就任要請の連絡を受けた時は、過去全てのコーチ就任を断っていてはすをなのに快諾した。新田もGM就任を快諾し、さらに矢田も監督就任を快諾する。人生は本当に不思議だが、「強い思い」は多くを語らずとも伝わるものである。そしてここに「静岡の奇跡」と呼ばれる日本プロ野球史上最も成功した球団再生が始まった、