第7話 étoiles
「星は、太陽の輝きを反射してるらしい」
それは、いつかの新月の夜。
伝えてきたのはクロードだったか、また、別のヴァンパイアだったか……
「遠くから見れば綺麗でも、近くから見ればただの岩の塊ってこと」
幼いシャルロットはそれを聞いて、多少なりとも落胆したのを覚えている。
「……悲しいですね」
「……そうかな。ごつごつした岩石の塊だって、あんなふうに綺麗に輝ける。それはきっと……」
希望……って、言うんだよ。
そう語った青年の瞳も、星のようにきらきらと輝いていた。
***
「ん……、く……」
美和と奈緒を帰らせ、太郎は石段へとロベールを手招きした。
ふらつく足取りを、金の瞳が捉える。
……不足した養分を与えると、先に言い出したのは太郎だった。
「は……」
石段に腰掛けた太郎の首筋から、牙が離れる。青白い肌についた傷痕は、すぐに塞がった。
鳥居は超えない。……その先で、血を流すわけにはいかない。
途中に張られた魔の物に対する結界を、ロベールの身体は事も無げに通り抜けていた。……やはり、人に近いか……と呟いた言葉は、聞こえていたかどうか。
「……美味いか?」
「……もっと……」
熱に浮かされたように、ロベールの瞳が輝く。ちろりと、赤い舌が舌なめずりをする。
「酔うておるな。……無理もない。ヒトの血よりも精はつこう」
はだけた着物を正し、太郎はロベールの手を引いて立たせる。
「……あの毒は、効いていないか。何よりだ」
先程よりさらに千鳥足になったロベールに、その言葉は聞こえなかっただろう。
煌めく夜空のもと、風がざわめく。ためらいがちに、近づく足音。
……やがて、金の視線が交わる。
「……兄さん」
「……次郎か。ちょうど良いところに来た」
ぴしりと整えられた黒い羽織と、チョークの粉まみれの白衣が、初夏の生ぬるい風に揺れる。
「身体は大丈夫なのか?」
「……何。おまえが気にすることではあるまいて」
ひょい、と、細身の身体が少年を小脇に抱え、悠然と石段を降りる。
「……!この子も吸血鬼か」
「ああ」
「……寝てる間にDNAを採取しても?」
「……」
「ごめんって! 無言で怒るのやめてくれ!」
ロベールの瞳がぼんやりと、2人の影を捉える。わずかに首を傾げ、そのまま彼はいびきをかいて眠り出した。
「……盛大よの」
呆れたように溜息をつき、太郎は、次郎にその身柄を差し出した。
「送り届けるにも、縄張りを知られたくはなかろう。……おまえの家ならば、空きはある」
「えっ、今は床も見えないぞ」
「……先日、仁左衛門が片付けたと聞いたが……?」
「あっ……ま、まあ、ぱぱっと片付く範囲だな!!問題ない!!」
どっこいしょ、とロベールを肩に担ぎ、白衣の青年は再び兄を見る。
「ところで兄さん。俺……恋をしてしまったかもしれない」
きりりとした眼差しが、引き結んだ口元が、真剣であることを伝えてくる。
激しい好奇心と恋心の境目がどこにあるのか……次郎には、まだわかっていない。……いや、今後もわかることはないのかもしれない。
「……左様か」
弟のそういった性質を、太郎は誰より理解していた。
***
「ここからは、星がよく見えますね」
錆び付いたベランダから顔を覗かせ、シャルロットは口元を綻ばせた。
「やっぱり女の子はそういうの好き?」
「わたしは好きですよ。小さくて、かわいいものは大好きです」
「……星って、近くで見たらでかくない?」
「ち、近くでは見れないじゃないですか……っ」
カップ麺を2つ分乗せたトレイをちゃぶ台に置き、晃一はテレビをつける。いつもなら床の空き缶をいくつか蹴り飛ばしていたところだが、最近、そういうことはほとんど無くなっていた。
「またゴキちゃん出たら、今度は飼ってもいいですか?」
「うん、俺は出て欲しくないな! あと、飼わないで外に逃がしてあげようね!」
ズルルルとカップ麺を啜りながら、シャルロットの様子を見る。……顔色は悪くないように見えるが、無理に日中連れ出していることに変わりはない。
吸血鬼にとっての日光は、人間にとっての放射性物質や、発ガン性物質のようなものだ。すぐに影響がある訳でもないし、少量ならば問題はない。……しかし、大量に受け続けることで、確かに毒になる。
「……いたっ」
「ん?どした」
「い、いえ、なんでもないです」
隠すように縮こまるが、首の後ろを気にしているのはすぐにわかる。
「……あー……焼けちゃった?」
「……はい……」
「待ってて、確か軟膏あったから」
生傷の耐えない仕事柄、そういった薬を絶やしたことはない。
「明日、学校行ける?」
「……行きたいです」
「じゃ、多めに塗っとこうね。制服も擦れちゃう位置だから」
薬を持ってくると、シャルロットは既に上着を脱ぎ、胸の前で握りしめていた。
露わになったうなじに、思わず息を呑む。……いやいや、何考えてんの、と自分を諌めつつ、赤くなった肌に触れる。軟膏のたっぷり乗った指が触れ、シャルロットの肩が震えた。
「……っ」
「……痛かった?」
「い、いえ……大丈夫です……」
心底やりにくさを感じながら、晃一は丁寧に薬を塗り込んでいく。ゆっくりと、塗り残しのないように。
やましい気持ちが無いわけではないが、その滑らかな肌が爛れてしまうことが、何より厭わしく思えた。
「……優しいですね」
「俺、いつも優しいって評判よ。特に女の子には」
「あはは。騙されませんよ。泣かせちゃう方でしょう?」
「……。そゆとこ変に賢いよなぁ。シャルちゃん……」
……名前も、姿も随分と忘れてしまったが、夜空に煌めく光を「希望」と読んだ青年は、今頃、どうしているだろうか。
器用なようで不器用な指先から触れる温もり。むず痒いような心地よさを感じながら、シャルロットは束の間の希望に心身を預けた。