第25話 baisse
「っ、てて……派手に折りやがって、あの野郎……」
激しく痛む胸を抑えつつ、クロードは日陰に座り込んだ。
ヴァンパイアの回復力は高い。……が、今回は少しばかり折られた本数が多かった。待てども痛みは引かず、息をする度にズキズキと思考を蝕んでくる。
がくりと膝をつき、はぁ、はぁと荒い息を整える。伝七と落ち合う時間までに、どうにか見かけだけは繕っておきたかった。
「……シャル……」
晃一が少なからずシャルロットを大切にしているのだと、クロードとて理解していた。
……けれど、安心して送り出せる相手には程遠い。晃一が翻意して協力関係になったとして、99パーセント信用などできない。
クロードは、ロベールもシャルロットも我が子のように慈しんできた。……選ぶ立場になってようやく、亡きセザールへの共感が生まれてくる。彼も、天秤の傾きを直視できずに壊れていったのだろうか。
「……だが……俺は認めねぇ……。逃げたあんたと同じになんか、なってたまるかよ」
気に食わない相手だった。目障りで、どうしようもなく鼻につく相手だった。
……いつか、見返してやろうと誓った先達でもあった。
降り出した雨がクロードのスーツを濡らしていく。
霞んだ視界の向こうに、「その影」は現れた。
「……あんたは……」
懐かしい匂いだった。
密かに憧れ、目標とした青年の姿が脳裏に浮かぶ。
セザールが息絶えた日、忽然と姿を消したもう1人の俊英がそこにいた。
「……はは。どうしたよ、その仮面……」
あの殺人鬼はセザールだ……と、ロベールには吐き捨てた。……それが自棄の混じった虚言だと知っていた。クロードには、真実すらとっくにわかっていたはずだった。
目のない仮面が静かに佇む。何も語らず、何も示さず、仮面はただただそこにいる。
「まさか、本当に落ちぶれてたとはなぁ……。……随分と変わっちまいましたね、アランさま」
ざあざあと、雨足が強まる。
雲は日を覆い隠し、感傷は五感を塗り潰し、苛立ちは視野を狭めた。
刻限が来たのだと、クロードだけが気付かなかった。
「……ッ、おい、なんか言え……って……」
一瞬で、状況は流転した。
クロードの心臓を、男の素手が貫いた。……彼らにとって心臓は主要な器官ではあるが、致命的な急所ではない。それを知ってなお、男はその塊を握り潰した。
先刻とは比べ物にならない量の血液が、ダラダラと顎を伝う。
「あ、らん……さま……?」
仮面は何も語らない。
ずるりと手を引き抜き、何か、背後に合図をした。
まるで、「やれ」とでも言うように。
倒れ込んだクロードの下で、水溜まりが音を鳴らした。……鮮血が、瞬く間に一帯を染め上げていく。
「あが……ッ、ぐ、う……、ぎぃあぁぁぁあッ」
喰われていく。体内の臓物が、得体の知れない影に喰い荒らされていく。
蠢く影は胸を引き裂き、腹を割り開き、命を食い尽くす。……視界に躍り出た一匹を見て、クロードは息を飲んだ。
「……ッ、こ、の影……、い、犬……!?」
ヒタヒタと、血溜まりにもうひとつの足音が響く。……術を仕掛けた男が、肩を震わせて立っている。
「すみません、こっちにも理由ってモンがあるんです。……どうか、俺のことなら存分に恨んでくだせぇ」
顔を片手で覆い隠したまま、伝七は告げる。
仮面は、まだ、何も語らない。
「あ、ぐ……ッ、アラン、さま……っ」
輝いていた金髪は真っ白になり、活き活きとした瞳は仮面に隠れ、華やかな立ち居振る舞いは見る影もなく……
それでも、仮面の男はアランだった。……懐かしい親愛が、抗う気力すら削いでいく。
「…………畜生がぁッ」
クロードの叫びは、雨音に溶け、掻き消えた。
アランはじっと見下ろしたまま、ようやく言葉を紡いだ。
「悪ぃな」
意味を問いただす暇もなく、クロードの意識は闇に沈んでいく。
今際の寸前に、小さな悲鳴を聞いた。……約束の反故を詫びながら、銀髪のヴァンパイアは指先から灰へと変わっていった。





