第22話 流動
大上家が、たかが新興宗教と侮っていた組織に金を積むのも、ヴァンパイア達が彼らを脅威と認識するのにも、理由があった。
「異形から人間を守る」……という、荒唐無稽な「暁十字の会」の理念が、奇しくも1980年代の時流にピタリと合致したのだ。
1970年代より始まった空前のオカルトブームは、1980年代においても陽岬に観光客を呼び込む要因となる。
陽岬を拠点とした「暁十字の会」は着実に信者を増やし、力をつけていた。
新たな信仰により土着の神は追いやられ、変わらぬ業により人ならざる生命はまたしても行き場をなくした。
時代の流れだと言うなれば、それだけの話だ。
***
「ロベくん、どうしたのかな。……わざわざ眩しいところに行くなんて」
校庭の方に向かった少年の影は、既に死角の方へと入ってしまった。姉としては心配だが、こっそりついて行くのも気が引ける。
美和と奈緒は気にせず弁当を食べている。いっそ、堂々と見に行こうか……と、逡巡していると、
「シャルちゃん、ちょっとおいで」
……教室の入口の方から声がかかる。顔を向ければ、晃一の姿がそこにあった。
晃一は無言で廊下を進んでいく。ちら、と窓の外を見るが、雲の流れが怪しい。……夕刻には、また、雨になるだろうか。
廊下に立つ生徒がまばらになり、やがて、途絶える。
「あんまり言いたくないことかもだけどさ」
そこで、晃一はようやく切り出した。
「シャルちゃん、ヴァンパイア達の中で……どんな立場?」
冷たい声音だった。……そして、その根底には燃え滾る「何か」がある。
シャルロットは、ためらいがちに口を開く。……晃一はあくまでヴァンパイアにとっては敵だ。それは、恩があろうと何一つ変わらない。
下手に話すのは、情報を売るのと同義だ。……されど、不穏の種を撒いたままにもしておけない。「正義の鉄槌」という口実を与えるわけにもいかないのだ。
だから、こう前置きした。
「晃一さんは……「暁十字の会」に何も言わないって、信じてます」
ぴたり、と前を歩く晃一の足が止まる。
「信じて……話そうと、思います」
ずるい方法だと理解していた。
……けれど、それが最善だとも判断した。ダメ押しのように、「恐怖」の能力がじわりと滲む。
信じる……という言葉が、より深く、より重く、晃一の枷になるように。
「わたしが産まれたのは研究所でした。そして、研究所から連れ出してくれたのが父でした。……ヴァンパイアと人間との混血は、科学に頼らなければ成し遂げられないものだったんです。だから……わたしの扱いには、みな困りました」
ヴァンパイアでもあり、ヒトでもある存在。……そして、ヴァンパイアでもなく、人間でもない存在。それがシャルロットだ。
新たな地に根を張ろうとしているヴァンパイア達にとって、悪意も善意も「向ける暇がない」。……そんな、立場とも言えた。
同情した者も少なからずいた。……切り捨てるべきと主張した者もいた。
そして父・セザールは、全てに背を向けた。
セザールが愛したのは、一族でもシャルロットでもなく、久住ゆかり、たった1人だった。……彼にとっては、それだけが世界だったのだ。
「……なるほどね。それを話しちゃえば、どれだけ向こうが切羽詰まってるかバレちゃうよねぇ、確かに」
晃一は目を細め、くるりとシャルロットの方を向いた。ちょうど階段の影になる位置。……歩きながら誘導した、死角。
「シャルちゃん、悪い子になるの下手だねぇ」
すっと、焦げ茶色の瞳が三日月状に弧を描く。そのまま一歩踏み出し、栗色の巻き毛に無骨な指を絡める。
「そういう時はね、『晃一さんはわたしを助けてくれるって信じてます』……って、言えばいいのにね」
甘くて低い声が、シャルロットの耳元をくすぐった。ぽんぽんと肩を叩く手があまりにも優しくて、涙腺がじわりと緩む。
「授業始まっちゃうから、早く教室帰りなよ。俺も準備あるし」
朗らかな笑顔が背中を押す。……それでも、シャルロットはその場から動かなかった。
誘惑を振り払うように、叫ぶ。
「違います。わたしのことは、良いんです。……良いんですよ、晃一さん」
自分と、数多の命を天秤にかければ、どちらが重いかなど分かっている。
シャルロットを救うほどの余裕はヴァンパイア一族にはなく、切り捨てられた先に救いが存在し得ないとして、……その代わりに誰かが犠牲になるなどまっぴらだ。
そうやって生き延びたとして、もしそうやって幸福を得たとして、胸を張って笑える自信は、シャルロットにはなかった。
「……へぇ」
晃一の声色が、静かに明度を落とした。
「ってことはアレか。本気で言ってんのね。このまま苦しくてもいいし、人質みたいな扱いでもいいから、自分を見捨てた奴らの不利になることを言うなって」
抑えた感情が、言葉の端々を波立たせる。
「じゃあさ、もしだよ?言わないからエッチなことしていい?……って、俺が言ったらどうすんの?」
答えはわかり切っていた。……共に過ごして、もう、嫌というほど理解していた。
「……そうなっても……仕方ないと、思います」
シャルロットが「そういう子」であることを、晃一はよくよく認識していた。
震える脚を隠しきれないまま、腕で身をかき抱いて、シャルロットはそう告げた。
拳が壁を打つ音が、静まり返った廊下に響く。その献身を喜べるほど、晃一は非情になれなかった。
……それだけ、心を動かされつつあった。
「……安心しな、シャル。こいつがどんだけ口が軽かろうが、上に伝えるなんてことにゃならねぇ」
階段の上から、怜悧な声音が降ってくる。
「後始末は俺がしてやるよ。……仇も討ってやる。それでいいだろ?」
一つに束ねた銀髪が揺れる。クロードの赤い視線は、容赦なく晃一を見据えていた。





