第10話 仮面
大上の家に双子が生まれることは、さほど珍しくはなかった。
……とはいえ、それまでは二卵性双生児であることがほとんどで、一卵性ともなるとむしろ珍しい。
人の目には見えざるものを視る「神眼」と、人の力ではなし得ぬ動作を生む「神力」……かつてはどの世代だろうと、別個の肉体が有していた2つの権能は、太郎右近、次郎左近どちらの肉体にも等しい強さで宿った。
……ゆえに、太郎が死ぬ時は、次郎がその役目を負うことになる。
兄は守るために鬼の面を被り……弟は、忘れるために笑顔の仮面を被った。
学生時代は、次郎にのみ存在する。毒に蝕まれた太郎の肉体は通学に耐えうるものではなく、互いに仕方の無いことと分かっていた。
せわしない日々の中、次郎はやがて、変わっていく兄の背を追うことを諦める。
趣味で生物学にのめり込み、趣味にかける費用は家庭教師のアルバイトで賄った。肌を頑なに見せない教え子は紗和という名で、次郎とさほど変わらない年頃の娘だった。
次郎はアルバイトでのみ、かつての兄の仮面を被った。……その方が、よほどコミュニケーションを取りやすかったのだ。
その仮面に恋をしたのが紗和の妹……美和だったと、彼には知る由もない。
***
「血が…………血が…………」
うわ言のように血を欲し、男は黄ばんだ仮面を外す。……ぼこぼこと隆起し、赤黒く変色した肌、ひきつれてひび割れた唇……原型を留めない顔面があらわになった。
男は仮面から滴る血を舐め、啜り、飲み下す。くつくつと漏れる笑いは、生命の根源ともいえる欲……食欲を満たし、恍惚と響いているようにすら思える。
すかさず太郎が刀を払い、首を薙ぐ。
男は寸前で避けるが、バランスを崩した。そのまま異形は階段を転げ落ち、後を追うようにカラカラと仮面が音を立てた。
はぁ、はぁと息をつきながら、口に残った血液を吐き出し、太郎は石段を降りていく。……が、立ち止まる。
再び男の能力が、感覚を狂わせていく。……止めを刺さねば。殺さなければ。そう思えば思うほど、肉体の抵抗は増していく。
「……」
瞼を閉じる。心を無にし、凍てつかせ──斬る。脳内に映像が浮かび上がれば、あとは造作もない。
……ただ、斬り捨てるのみ。
一息に石段を駆け下りる。仰向けに倒れた吸血鬼に刃を突き立て、そのまま押し込んだ。
牙を剥き、金の眼がぎらりと光る。斬ってはすぐに治癒し、ぐちゅりと絡みつく肉が断ち切れていく抵抗も、腕を黒獣のごとく変化させれば大したことではない。
……だが、
「……まさか」
男は死なない。……いや……その肉体は、とうに死んでいる。
「……血を……」
ただただ命を繋ぎ止める糧を欲しがり、男の喉が鳴る。
……自我すらとうに失せ、屍となってなお、彼の本能は糧を求めていた。
***
「……セザールさん……?」
シャルロットは殺人鬼の正体を父だと語ったが……まさか、「彼」のはずがない。
否定を飲み込み、晃一は思案を巡らせる。……それを口に出せば、彼女を悲しませることだけは確かだった。
──晃一さん、僕、あの殺人鬼が欲しいです。
生き残るため、彼は血を啜るしかなかった。
生き延びるため、彼は人を殺すしかなかった。
……おそらくは自らにそう言い聞かせ、彼は人を殺め続けた。
その報いだと言えば、簡単だ。
──実は、いい考えがありまして……
まだ10代の始めとは思えないほど、少年の笑顔はいびつに輝いて見えた。……矢嶋源三郎の孫、亮太は天才児だともっぱらの噂であり、時には神童とすら謳われた。
けれど晃一は、端正で落ち着いた仮面の奥に潜んだ、残虐非道な素顔を見たことがある。
──死なないように気を付けます。じいさまに怒られたくありませんから。
吸血鬼の「死」は、すべての機能が停止し、その身体が灰となること。人より頑強で、寿命もわずかに長い彼らは死の定義もわずかにヒトと異なる。
生きるために人を殺し続けた男は、生きるために血を啜り続けた男は、
歪んだ欲に囚われ、死ぬことすら許されなくなったのだ。
「……晃一さん?」
シャルロットが心配そうに見上げている。……セザールではない、そのはずはないと告げるのは簡単だ。……だが、確証はない。
それに、伝えることは……手を染めてきた汚れを開示することと同義だった。
「……ああ、ごめん。もしセザールさんだったら……ショックだよなぁって」
「あ……! すみません。お友達……でしたよね」
「友達……よりは……」
尊敬する師とも、頼れる兄貴分とも呼べるような人だった。
その言葉すらも飲み込み、晃一は、全てを隠して飄々と笑った。





