4 過失致傷? いいえ、殺人未遂です。
ぱかっと口を開けて水森君の顔を見る、私。
「えーっと、さっぱり訳わからないんだけど」
「優花が突き落とされたところを見たって言っただろう?」
「……見間違いの可能性がない訳じゃ──」
「俺、視力、両眼とも2.0」
「…………」
何も言えないで口を結ぶ私の顔をちらっと見た後、水森君は小さなため息をついた。
「実感ないかもしれないが、落ち着いて聞いてほしい」
そう前置きした内容は、なんというか本当に現実味があまりないものだった。
「階段の近くでもみ合ったことと、何かのはずみで突き飛ばしたこと。結果、突き飛ばされた相手が階段から落ちて怪我した場合は、過失致傷。勢いや事故であって、害意は……多少あるかもしれないが、殺意はない。だが、突き飛ばしたのが二回なら死んでもかまわないと考えた可能性が高くなり、殺意があったと受け取られる。つまり、殺人未遂。……待った。何も言わないで最後まで聞いてからにしてくれ」
反論しようとした私を遮って、水森君が続ける。
「あそこの階段は結構長いし急傾斜だ。下手をすれば死んでいたかもしれない。相手にとって予想外だったことは、俺が居たこと。病院でも言った通り、逆光で俺からは誰か分からなかったが、犯人からすれば街灯で俺の顔まで良く見えたはずだ。……そして、犯人は優花が記憶を失ったことをまだ知らない」
「……何が言いたいか分かんない」
「故意にしろ偶然にしろ、第三者に大怪我をさせたなら……そして、救助もせずに逃げたのなら、罪に問われてもおかしくない。被害者だって、それなりの対応をするだろう。入院するような酷い怪我で意識が戻っていなかったら、警察沙汰になるかもしれない。逮捕されたら大々的──かどうかは分からないが、未成年でない限り実名報道はされるだろう。……ところが、報道はされない上に加害者に何の接触もしてこないとなったら、どうする?」
ますます何が言いたいか分からなくて首を傾げる私に、水森君は私の手をそっと握った。
「しばらくは大人しくしていると思う。伝手を頼って状況を確認させるかもしれないが、結局、自分の目で確認しないと落ち着かないと思う。何がどうなったか、優花がどうなったのか、確かめるために。俺だったらそうする。なんで連絡がないのか、怪我は大したことがなかったのか、とか。……そして、優花の記憶がないことが分かったら──下手すると更に危害を加えられるかもしれない。記憶が戻らないのなら、戻る前にいっその事、って考える可能性がある」
「……………」
えーっと、この手は安心させようとしてる? 危害を加えるって、誰かが私を殺そうとでも言うの?
そう考えたら、なんだかおかしくなってきてしまった。ドラマを見ているみたい、と思ったけどなんか荒唐無稽すぎて、とても水森君の言う事は信じられなかった。
くすくすと笑い出した私に、水森君が「冗談だと思ってる?」と怒ったような声を出したけど、うん、その通り。
「だって……いくらなんでもドラマの見すぎじゃない? あ、あの刑事二人が主人公のドラマ、私も好きだよ」
ちょっとした出来事から事件をほじくり出して解決するって話があったから、それっぽい。
「それで警察に行ったりしたら、本当に笑われるか、怒られるんじゃないの? 私、そんな事で警察に目を付けられるの、嫌だよ。ああ、笑うとビミョーに頭に響く」
おかしくておかしくて、笑いすぎて涙出てきちゃったよ、と目を擦った。
荒唐無稽だというのもあるけど、そんな簡単に人を殺そうなんて思えないもの。本当に突き飛ばされたとしても、その時は多分頭に血がのぼっていたとか、咄嗟の勢いだったで納得できる。でも、その後の証拠隠滅のための殺人って、よっぽど追い詰められていないと無理じゃない?
ほら、自殺しようとしても、思い切るのは難しいでしょ。それと同じ。
「……だから、相談するのは俺で、優花は付いて来てくれればいい。事件の目撃者として警察に相談しに行くから」
ああ、拗ねたな、と声でわかった。
水森君は普段、年相応には決して見えなかったけど、今はそんなに年寄りに見えない。……あ、この感想も失礼だね。普通の男の子に見える、が正しい。いや、子供っぽいの方がいいかな?
「水森君の付き添いって言ってたもんね」
笑い交じりにそう言ったら、ますますふてくされた。こっちを見ないで頷くだけの彼の様子を見ていたら、ふっと視線が合わされた。何かの感情に彩られた眼差しに、ドキッとする。
「また子供っぽいって思っているだろう」
「……えーっと」
肯定したらもっと怒るんじゃないかなと言葉を濁したけど、あんまり意味はなかったかも。ちゃんと否定しなかったら、否定の反対は肯定だもの。……って、あれ?
「『また』ってなに?」
私が首を傾げると、水森君は一瞬考えて、
「──ああ、そうか。優花にとっては初めてなのかもしれないが、俺にとっては二回目なんだ」
分かっていたけど、やっぱり記憶喪失なんだよな、と続けた。
テスト第一日目の帰り道、帰る方向が同じなので、なんとなく一緒に歩いていた。テストの出来はどうだったから始まった雑談で、寒いからテスト期間中に雪が降らないといいね、と寒いのが苦手だという話をしているうちに、
「実家では宇佐美君と武田君と一緒に寝ることが多かったから、寒さが堪える」
と私が言い出し、頭の中が真っ白になったらしい。
宇佐美君と武田君。
え、それって家族公認の3Pってことなのか?
と。
「ああ、なるほど」
宇佐美君と武田君の話をした記憶は、私にはない。
誰かと言われれば家で飼っている猫の名前だ。因みに、「君」までが名前である。「君」なのにどっちもメスの三毛猫で、二匹とも私の姉が拾ってきて当時好きだった男子の名前を付けた。そのくせ世話は家族に丸投げしたので、一番懐いているのはエサをくれる母、二番目に世話をすることが多かった私だ。
寝る時も、母が父と一緒でなければ宇佐美君と武田君もそちらに行っただろうけど、父のいびきがうるさいのに我慢が出来ないらしく、いつも私と一緒だった。冬は湯たんぽよりも温かい。その分、夏は地獄だけど、電気代が嵩むより猫の体調を気にする母の許しがあるので、一晩中クーラーをつけて寝ているから快適は快適だ。
水森君の驚き加減が面白かったらしい私は、その話をしながら遠慮なく大笑いした。で、出て来た台詞が、
「水森君って、思ったより子供っぽいんだね」
で、本人はとても心外だったようだ。
その後、「姉が今付き合っているのは、沢口君なんだよ」とか、「家に沢口君が来た時に、複雑そうな顔をして宇佐美君と武田君を見てて、気の毒になった」と話が盛り上がって、更に色々話しているうちに水森君が私に告白をしたようだけど……私が話をした覚えのないことを知っていたからと言って、本当に付き合っていたかは分からないよね?
……まあ、でも。これ以上考えても仕方がないし、お礼に行きたいところに付き合う位はしないと申し訳ないか。親切にしてくれた水森君への恩返しと思おう。
「分かった。それじゃあ、付き合うよ」
支払いを誰にするかでちょっと揉めたけど、お礼と感謝の気持ちだと言い張って、無事に全額私が払う事が出来た。その代わりタクシー代は受け取ってもらえなかったけど、また何かの時にお礼をしよう。
で、警察に行ったのだけど、意外や意外、邪険にもされずに親切に応対してくれた。
応対してくれたのは生活安全課の刑事さんで、どうも私や水森君が派手に怪我しました風なのが効いているみたい。同情めいたまなざしを私に向けながら、怪我の具合を尋ねられた。
派出所じゃなくて警察署に行ったのは単純に病院から最寄りの場所を検索した結果からだけど、こっちの方が人数も多くて、暇──もとい、手の空いている人員がいたからかもしれない。何年か前にあったストーカー殺人事件以来、民事不介入の原則はあるけど、相談事には丁寧に応じるようになった、というのはニュースかネットで見た記憶がある。今は何かあったらすぐにネットに情報が流れる時代なので、その辺りにも応対が丁寧な秘密がありそうだ。
あくまでも水森君が見た事という立場で刑事さんに話を聞いてもらったけど、やっぱり被害者本人である私が被害届を出さない限り、事件にすることは難しいらしい。
「ちなみに、携帯に呼び出しなどの履歴は何もなかったんでしょうか?」
刑事さんにそう言われて初めて携帯を全く見ていなかったって気が付いたんだけど、私が中身を確認する前に水森君が首を横に振った。
「残念ながら、それらしいものはありませんでした」
え。
何で水森君がそんな事知ってるの? って、そういえば朝、私のスマホを持ってた! もしかして私が寝ている間に指紋認証でロックを外して勝手に中身見た?
じろっと横目で水森君を睨んだけど、本人は気が付いているのかいないのか、平然とした顔をしたまま続けた。
「……相手が本当に顔見知りだったら、昨日がテストの最終日だったので、その場で約束したか、以前からの約束だったのかもしれません」
「……分かりました。とにかく事情が事情ですので、二人の自宅周辺のパトロールを強化しましょう。それから、緊急連絡先をお知らせしますから、何かあったらご連絡ください」
と、大真面目に言う刑事さんから名刺を貰ってしまった。110番はセンターに繋がってから最寄り警察署に連絡が行くシステムだから、実は署の固定電話に直接連絡した方が早いんだって。
いや、刑事さん。水森君の設定を信じるの? 殺人未遂事件?(笑)だよ!
「私は別に──」
「ありがとうございます。本人の記憶が戻らないと被害届を出せないのは残念ですが、診断書は既に医師に依頼してありますので、何か進展があった時はよろしくお願いします」
「分かりました。特に城島さんは独り暮らしなんでしょう? なるべく誰かと一緒にいた方が安心安全ですから、彼氏の水森さんの家に避難して、明後日、病院で診察して貰ったらすぐ帰省した方がいいかもしれませんよ」
名刺はいらないと断ろうとした私を遮る水森君に、更に刑事さんから畳みかけられた。彼氏じゃないと否定する間もなく水森君が頷く。
「本当はそうした方がいいんでしょうけど、彼女が落ち着かないので。頭を打っているから、帰省するのも医師の許可を貰ってからの方がいいでしょうし、とにかく病院に行くまでは付き添います」
「そうですか。分かりました」
優しい彼氏で良かったですね、とこれまた病院で貰った台詞と似た様なことを言われ、空気を読んで彼氏発言はへらっと笑うだけに留めた。
貰った名刺は、一応お財布の中に入れておいたけど使わないだろうなーと思っていた。
──私の家に帰るまでは。
自宅の部屋の扉に「ブス」「ビッチ」「キエロ」などの暴言が太いマジックで大きく書かれているのを見て、驚きで固まってしまったのだった。