狂想曲開始
「なんだ有栖川か。」
彼女、来栖彩乃は壊れそうな教壇の上に座り、一瞬こちらを見たが、すぐに目線を窓の方へと戻し、たばこをふかした。
「使用中だよ。早く出てって。」
有無を言わさない言葉だった。
言葉の意味以上に威圧感を含むそれを聞けば誰もが即時退室するだろう。
「へえ、こんな所に喫煙室があるとはしらなかったなあ。」
空気の読めない彼のような人間を除いて。
「どうみたらここが喫煙室になんのよ。」
「だってたばこ吸ってるし。」
「あんたバカ?高校に生徒の使っていい喫煙室なんてあるわけないでしょ。」
そもそも高校生の喫煙自体がダメですからね。
「じゃあここはその世にも珍しい高校生がたばこを吸っていい喫煙室ってこと?」
…まあ、冒頭に紹介したとおり煌斗くんは頭が少しアレなので。
「…そうよ。その世にも珍しい喫煙室なの。」
あ、肯定してしまいましたよ。
「なるほど。それは急に入ってきて悪かったね。ところで…。」
「まだ何か?」
うんざりしていることこの上ない彼女に煌斗は気づかず続ける。
「ここって飲食オッケ?」
「は?」
「ここって飲んだり食べたりするのはオッケ?」
「いや、別に聞こえてなかったわけでも飲食という熟語の意味が分からなかったわけでもないわよ。」
「え?分かるの?」
「分かるわ!」
思わず出してしまった大きな声に驚いていたのは彩乃自身だった。
「だったら何が―、ああちなみに僕は一人で昼食が食べられる場所を探していて、使われていない部室にあたりをつけて入ったんだけど。」
「それを初めに言え。」
「もう他の場所探す時間もないし、ここで食べちゃっていいかな。」
「教室で食べればいいでしょ。」
「やっぱり喫煙室で飲食はマナー違反かな。」
「あんた私をバカにしている?それとも本当に大馬鹿なの?」
後者です。
「教室って一人でご飯食べづらい雰囲気あるじゃない?」
「人の話全然聞いてないし。」
「まあだからできれば、こういう静かな所で昼食を摂れたらよかったんだけど、もぐもぐ、もし先客が僕と同じ考えを持っていたらそれを台無しにしてしまう、んぐんぐ、からね。」
「言ったそばから勝手に弁当たべでんじゃないわよ!」
もう勝手にすれば―と言って彩乃はそっぽを向いて再びたばこを吸い始めた。それを了承と捉えた空気の読めないバカは遠慮なく弁当を食べ始めた。
「あんたさ。」
彩乃が目線は向けずにつぶやく。
「え?」
煌斗は食べながら答える。
「あんた、私のこと怖くないわけ?」
彩乃は少し苛立ったように今度は煌斗をにらみつけた。
「ま、まさか君は幽霊だったりするのか?」
幽霊が大の苦手な煌斗なのである。
「ふざけないで。皆から私は怖がられてる。」
そういえば朝も吉田がなんだか怖がっていたな、と思い出す。
「そうなの?でもそれなら友達のいない僕もやっぱり皆から怖がられているということなのかな。」
「何勝手に『友達がいない』というジャンルで自分と私を一緒にしてるのよ。あんたの場合、怖がられているっていうか、見下されているほうが正しいと思うけど。」
「どうして?」
「…は?」
「どうして皆は僕の事を見下すんだい?」
「……。」
ああ、繰り返しますが煌斗は頭が悪いですよ。そして空気全然読めない。
「そんなのあんたが周りより、『劣っている』って思われているからに決まってるじゃない。周りの連中はね。あんたを見て、ああ自分よりも劣っている人間がいるって安心してるのよ。でも自分も一緒にされたくないから近寄らない。まあ一緒にされたくないって意味じゃあ確かに同じカテゴリなのかもね。というか皆を安心させているだけあんたのほうが役に立ってるわね。まあ友達は選んでなるものってことよ。こんな茶髪にピアスしてるような人間と一緒にいたら自分の評価だって下がっちゃうし、ってね。」
周りの連中が自分の事を『見る』なんて事があるのか、と煌斗は反論が浮んだが言わなかった。
「なら茶髪もピアスもやめたら?」
「なんでよ。」
「だってそうすれば皆と一緒になるんじゃないの?友達としてちゃんと選ばれる。」
「別に私は友達がほしいわけじゃない。他人の顔色窺って、皆と一緒にしなければいけないなんて絶対嫌。そんなことでできる友達なんていらない。」
「カッコいいこというね。」
「いまのセリフのどこにカッコいい部分があったのよ。」
「いや、なんか青春って感じだ。アイデンティティの確立ってやつ?」
「知らないわよ。そんなの。」
うん、僕も知らない、とおバカな煌斗くん。
「だいたいあんただってもうちょっとマシな格好すれば人も寄り付くんじゃないの?」
「マシな格好?」
「そうよ。そのボサボサな髪の毛ちゃんと整えて、ださいメガネ外して、よれよれの制服変えて、足を長くして、頭を取り替えて、名前を変えればあんただって友達くらいできるんじゃないの。」
「最後に僕である要素がひとつでも残った!?」
名前すら変えなくてはいけないみたいです。どうにかしたら?」
そういって彩乃は煌斗のボサボサになった髪の毛を指差す。
「うーん。でも勝手にいじると妹にすごい怒られるんだよなあ。」
「ああ、そういえばあんたの妹って『美月様』って本当なの?」
「あ、聞いてたんだね。朝の話。」
「聞こえちゃったのよ。それで本当なの?」
「まあ、本当だよ。」
「吉田じゃないけど、私だって信じられないわね。そんなの、っていうのは置いといて髪の毛いじると妹が怒るってどういうこと?」
「え?えっと、なんかよくわかんないんだけど、ちょっとでも変えようとすると怒るんだよ。メガネとか制服とかも。」
年頃の女の子はよくわからない煌斗なのだった。
「それは確かに不可解ね。私ならそんな格好すぐにでも矯正してやりたいけど。」
「いまさらだけど僕の外見ってそんなに酷い?」
「ううん。本州で一番酷いってほどじゃないから大丈夫よ。」
「いったい何が大丈夫なのかわかんないけど。」
さすがに軽く落ち込む煌斗だった。
「まあ私もあんたも、クラスに馴染むのは諦めた方がいいかもね。」
そういってたばこをポケット灰皿に入れ、座っていた教壇から降りて出口へ向かう。
「じゃあ私は先行くから。ここは私の喫煙室なんだから、もう出入りしないでね。」
返事を待つことなくそういってもう使われていない部室をでていく彩乃だった。
煌斗は彼女の出ていたた方向を眺めながら、
「やっぱり喫煙室なんじゃないか。」
そういってすぐに残りの弁当をたいらげた。
ちなみに繰り返すが、煌斗には友人と呼べるような人間がいない。つまりほとんどクラスの人間とも話すことがないから吉田のような人間が時折話しかけてくるのを除いて雑談などをする事はない。つまり彼の一日は学校で授業を受け、帰る。という薄っぺらいことこのうえないルーチンワークであるわけだ。
何が言いたいかといえば、煌斗にとってはこんな何気ない、普通の高校生なら誰もが興じているであろう雑談が非常に稀な出来事であるということを意味しているということ。
そして、物事は一つ崩れだすと案外それだけでは終わらないということだ。