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君を愛する事はない?愛されていないのは貴方の方ですよ

作者: ひよこ1号

「君を愛する事はない」


それは初夜の寝室で告げられる出古した台詞の一つ。

花嫁は、えっ?と驚いた顔をした。


「それは、何故ですの?」

「俺には愛する人がいる。男爵令嬢のメメリーナだ」


別れたと聞いていたのだけど、と花嫁のミスラは首を傾げた。


「では、わたくし騙されたのですわ」

「えっ?」


今度は夫となるエリオットが驚きの声を上げる番だった。

ミスラは困った様に告げる。


「伯爵様からはもう、手切れ金を受け取った男爵令嬢とは縁が切れたと聞いておりますの」

「は?そんな話は聞いていない、何かの間違いだろう!」


エリオットは声を荒げるが、ミスラは反対側にまた首を傾げる。


「という事は、エリオット様は複数人とお付き合いしていて、本命じゃない方の方に手切れ金を渡してしまったのですかしら?」

「複数人とは付き合っていない!俺はそんな浮気者では……」


言い訳をするエリオットをじっと見据えるミスラの視線に、段々とエリオットの声は小さくなった。

既にこれは浮気ではないのだろうか?


「つまり、伯爵様は別れてもいない男爵令嬢に手切れ金を渡したと言って、私を騙して結婚させたという事でよろしゅうございますか?」

「………そう、なのか?」


それはあまりにも外聞が悪いと気づいたエリオットの言葉が疑問形になる。

聞いていないとは言ったけれど、嘘かどうかは分からない。

けれど愛する女性が、手切れ金を受け取っておきながらのうのうと自分との関係を続けているとも思いたくないのだ。


「今エリオット様のお話を伺う限りではそうですわね。これはもう、離縁して頂くしかないかと」

「いや、待て。この結婚は政略だと分かっているか?両家の事業を立ち上げるから結ばれた縁だぞ?」

「エリオット様に言われたくはございませんけれど。政略だと分かっていらっしゃらないのはエリオット様の方ですわよね?」


ミスラに切り返されて、エリオットはぐっと答えに詰まった。

勝手に結婚を決められた事に、反抗心があったからこそ。

許されぬ恋に身を焦がし、初夜の晩に花嫁を冷遇する台詞を言ったのだ。


「しかも、真実の愛とやらで。だいたい、そこまで妻を蔑ろにする気なのに、結婚はするというのはどういう料簡なのでございましょう?周囲を説き伏せ、根回し出来ない子供の駄々でしょうか?同じ政略結婚を強いられたわたくしに八つ当たりするなど、家を継ぐ男性の態度としては如何なものでしょう?」


矢継ぎ早に告げられて、ぐさぐさとエリオットに言葉の刃が突き刺さる。

それでも淑女のミスラは声を荒げている訳では無く、ただ質問しているだけという風に。

表情も嫉妬に狂っている訳でもなく、終始穏やかだ。


「まさか、政略の相手のわたくしが、貴方を愛しているなどと、そういった勘違いをされておいででしたか?」

「………っっ!」


図星である。

婚約者として、弁えた態度でお茶会をして、時候の贈物を交換していただけだというのに。


「少なくとも婚約中に他の方に愛を語っている殿方に捧げる愛はございません。ですが、結婚するからにはきちんと夫婦として過ごしていきたいと思っておりましたのに、残念でございますわ」

「いや……愛する事はない、と言ったが夫としての責務を果たすつもりではいたのだ」

「えっ?それはわたくしを傷物にしたいと仰せです?」


結婚した相手を抱くのに、傷物?!とエリオットは目を瞠った。


「真実の愛すら貫く覚悟がなく、新婦にも愛人にも子供を産ませるなど、最低な男性でしかないのですが」


流石に嫌悪を隠さない顔で言われて、エリオットは言い訳をする。


「いや、政略なのだから、子供を作るのは当たり前だろう?」

「その政略を蔑ろにする方の子供を産むという危険は冒せません。だって愛人だか恋人のメメリーナ嬢との間にも関係がございますなら、そちらで出来た子をいずれは伯爵家の後継にという意図があるのでしょう?わたくしはともかくとして、子供を不幸にするわけには参りません」

「いや、そういうわけでは…」


そういうわけではない。

けれど、そう言い切れない。

今現在進行形で、メメリーナとの間には爛れた関係があるのだから。


「そうやって都合の悪い事から目を逸らし、自分の都合の良いところだけを享受しようとなさるなんて……まさかそこまで酷い方だとは思いませんでした。わたくしからも、明日、伯爵様にお話致します」

「な、やめろ!」


慌ててエリオットは声を荒げるが、ミスラは不思議そうにエリオットを見た。


「何故です?貴方は嫌な政略結婚をやめて、愛するメメリーナ嬢の許へと行けるのですよ。協力するところではございませんの?」

「それは、そうだが、でも……」


エリオットは父に散々反対されて来た。

身持ちの悪い男爵令嬢と罵られてもいたのだ。

メメリーナはそんな女性ではないというのに。

けれど、ミスラがこのまま結婚生活を渋って離縁してくれれば、こちらにも瑕疵がつく。

そうすればもしかしたら……。


「……そうか、それで君はどうするんだ?離縁した女など貰い手もないだろう」


心配というには傲慢な言葉に、ミスラはきょとんと目を瞬く。


「わたくしも伯爵家の他の後継者と結婚し直しますので、お気になさらないでください」

「は?いや、俺が後継で、メメリーナを妻にするのだから……」

「先ほど、政略の意味が分かっているか?と仰っていたのに……」


心底失望したと言うように、ミスラがはあとため息を吐く。


「この結婚は政略です。両家が結び付くことが大事なのであって、貴方と私の結婚が大事なのではないのですよ。結婚相手はその家の係累なら誰でも良いのです。明日、伯爵様にきちんとお話して、騙した事に関しても謝罪を要求致しますし、相手も速やかに用意して頂きます」

「ま、待て待て、俺はどうなる」


エリオットは立ち上がったミスラに焦ったように手を伸ばした。

だが、その手は空を切る。

一歩離れたミスラに難なく避けられて。


「それはご自分でお考え下さいまし。愛する事はないのですから、愛する人と正しく結ばれるのが宜しいのでは?」

「それは……」

「ええ、本当なら婚姻する前に、この結婚を辞退して後継から外れて、メメリーナ様と平民として結ばれるのが順当だったと、そう存じますけれど」


平民になりたくはない。

けれどメメリーナと別れるのも嫌だ。

そんな我儘が許されていたのは学生であったからだ。

周囲だってそうだよな、と同意してくれていた。

でも現実は違う。


「そんな、平民になど、今更」


平民の生活が大変だという事は知っている。

領地経営は習ってきたが、仕官する系統の勉強まではしていない。

武官にも文官にもなるのは難しいのだ。

収入源がなければ立ち行かない。


「さあ、それは、わたくしには関係ございません。貴方が選んだ道なのですから」


言い訳や対応を考え付く前に、ミスラが軽やかに扉を叩く。

初夜の見張りをしていた小間使い(メイド)が扉の外にいるのだ。


「初夜は行われませんでした。明日、伯爵様に朝一番に大事なお話があるとお伝えして」

「畏まりました」


ミスラはそのまま一瞥もせずに、部屋を出て行く。

ずっと見て来たはずの、美しい妻の後ろ姿を見て、漸くエリオットは失ったものの大きさに気づき始めていた。



翌日の伯爵は怒り心頭だった。

執務室にはきちりと衣装ドレスを身に着けたミスラと、母である伯爵夫人も居る。

エリオットは伯爵の冷たい怒りと女性二人の軽蔑の眼差しを一身に浴びている。


「良かろう。そこまでお前がその女を愛すると言うのなら、ミスラ嬢との離縁を許し、その女との結婚を許そう。しかし、もう伯爵家とは無関係だ。署名サインしろ」

「いえ、心を入れ替えて後継として、この婚姻を続けたいと思います!」


朝まで考えて出した答えが、それだった。

思えば条件は悪くない。

美しい妻と結婚が出来て、メメリーナとも愛人関係を続ければ良いのだ。

何も手放す事はなかったじゃないか、と。

愛することは無いなんて、恰好をつけなければそうなっていたのだ。


だが、伯爵は首を横に振った。


「反省の機会は今までに与えて来た。それでも貫きたい真実の愛なのだろう、遠慮はするな」

「遠慮などでは…」

署名サインしろ」


ずいと目の前に出された離縁の為の書類。

これが反省を促すための芝居であって欲しいと、エリオットはミスラを見るが、ミスラはいつもの穏やかな笑顔だ。


「どうぞ、署名サインを。愛する予定のない妻を解放してくださいませ」


署名サインしなければどうにでもなる、訳では無い。

既に当主の署名サインはされているのだ。

のろのろとエリオットは署名サインを書き込む。


「ミスラ嬢。ご迷惑をおかけした。貴女の新しい婿には私の甥であり領主代行も務めているハルスタッドをと思っているが、どうだろうか」

「伯爵がお決めになられたのでしたら、それで構いません。ただ、この様な事があったので、一度お話はさせて頂きとうございます」

「それもそうだな。よし、領地から呼び寄せよう」


目の前でどんどんとミスラの再婚話が決まっていく。

まだエリオットの身の振り方は決まっていないというのに。


「父上、その、俺はどうしたら…」

「ん?好きにするといい。手切れ金はそのままくれてやるから、二人の生活にでも使えばいいだろう。お前を除籍してハルスタッドを養子に迎えればならんしな。今日すぐにとは言わないが、ハルスタッドが到着する前にはお前の部屋は空けておきなさい」

「そんな、無茶な…」


ペイモント伯爵家の領地は王都から近い。

三日もかからないのだ。


「では、一週間やろう。私物の持ち出しくらいは構わんが、お前の個人資産は凍結とする。さっさと行きなさい」


執事に命じるように伯爵が目をやれば、その意思に従うように執事がエリオットを促す。


「荷造りならお任せください。ですが、まずは新居をお決めになる事です」

「新居……」


新しい住処を見つけなければ、荷物の持って行き先が無いのだ。

それに…。


「ああ、それよりも先に男爵令嬢とのお話合いも済ませませんと、一緒に住まわれるのかどうかで広さも変わりますからな」


いつもより砕けた物言いで執事はそう付け加えた。

エリオットはとぼとぼと部屋に帰ると、身嗜みを整えてから馬車へと向かう。


「イルス男爵家へ」

「すみませんが、お坊ちゃま。伯爵家の馬車の使用は禁止されておりますので、お連れする事は出来ません」

「っな、何故」

「旦那様より、もうこの家の人間ではないからと。通りを向こうへ行けば、男爵家が住まわれる集合住宅アパルトメントがある地域への辻馬車が出ております。徒歩でも行けない事はないかと思いますが」


気の毒そうに見られて、エリオットの頬が熱くなる。

確かに今、金は持っていない。

何かしら持ち物を換金しないと手持ちは少ないのだ。

大抵一緒に付いてくる侍従が支払いを済ますので、貴族本人が金銭を持ち歩くことは少ない。

だが、その侍従すら既にエリオットから外されている。

仕方ないので、エリオットは徒歩でイルス家へ向かった。


王都邸タウンハウスと言っても色々ある。

歴史の古い一族であれば、男爵家でも邸宅を構えている家もあるが、大抵男爵家は貴族街にある集合住宅アパルトメントが多い。

そして、そういう場所に住んでいる家に執事などはおらず、大抵一人で全てを賄える万能女中オールワークスメイドが仕切っているのだ。

今まさにそんな中年の女性に通されて、メメリーナの部屋に行く。

メメリーナは嬉しそうに、エリオットを見ると抱きついてきた。


「エリオ様っ、結婚すると言っていたからいらっしゃらないかと思っていましたわ」

「……それが、離縁する事になったんだ……」

「えっ?何故、ですか?まさか、私の為に?」


うるうると水色の大きな目に涙を溜めるメメリーナは可愛らしい。

栗色のふわふわした髪を撫でながら、エリオットは頷く。


「君への愛を捨てきれなかった」

「……嬉しいです、これで私達結婚できますの?」


結婚、出来るのだろうか。

伯爵家の人間でなくなったとしても、彼女は。


「父上から手切れ金を受け取ったと聞いたが?」


ハッとしたように身を固くして、メメリーナは困った様に微笑む。


「確かに、受け取りましたけど……でも、結婚式を挙げるって言っていたから仕方なく、ですわ」

「そうか……」


手切れ金はくれてやる、と父は言っていたから、それを新居の費用にするのは問題ないだろう。


「それは返して貰う事になる」

「でも、結婚するのでしたら二人の財産になるわけですし、返す必要はありませんよね?」

「何故だ?」

「だって、もう衣装ドレス宝飾品アクセサリーを買ってしまいましたもの……」


エリオットは脱力した。

可愛いけれど後先考えないメメリーナは自分に輪をかけて考えが足りない。

当てにした自分が悪いという考えには至らず、エリオットは眉根を寄せる。


「そんな物を買ってどうするんだ!」

「だって!……エリオ様が他の方と結婚なさるのだから、わたくしも新しい結婚相手を探さねばならないと思ったのですもの!」

「……っっ!」


要するにエリオットが真実の愛に拘っていた間、既にメメリーナは違う未来を描いていたのだ。

だったら、そのまま美しく賢いミスラと結婚すれば良かった、と思ったけれどそれはもう水泡に帰した。


「でも、迎えに来て下さったのですよね?」


可愛らしくメメリーナは問いかけながら腕を絡ませる。

苛立ちはあったが、ミスラも後継の座も失ってしまったエリオットにはもうメメリーナしかいない。


「そうだが、持参金はあるのか?」

「……えっ?……いえ、うちは領地がある訳では無いので、そんなに多くの持参金は用意出来ません」


メメリーナの顔が引きつる。

まさか持参金をエリオットから要求されるとは思わなかったのだろう。

いつだって、金銭的に恵まれたエリオットが色々な費用を出してくれていたのだから。


「爵位は文官になった兄が継ぐので、私は結婚相手が必要ですし……」

「君の父上は結婚については何と?」

「せめて同格である男爵家の貴族との婚姻を、と探しておりますが、後妻や商人の妻なども視野に入れていると言われてます……」


怪訝な顔で、メメリーナはエリオットを見上げる。

迎えに来たのなら、何故父親の意見を気にするのだろうか、と。

伯爵家の後継ならば、父は喜んで差し出すに決まっているのに。

何かを迷っているような顔に、不安が増していくメメリーナは、搦めていた腕を解いた。


「あの……父と話したいのでしたら、日を改めてください」

「何故……結婚は君と俺の問題だろう?」


縋るような眼を向けられて、メメリーナは困った様に微笑んだ。


「結婚してくれと言われるのなら分かりますけど、さっきからお金の話ばかりですよね?」


言われてハッとエリオットは自分の口を手で覆った。

これからの事が気になって、金銭的な問題ばかり頭に浮かんでしまっていたのだ。

無意識に、手切れ金や持参金を目的にしてしまっていた。

しかも、まだ後継を外された事も平民になる事も言っていない。


「ですから、そういうお約束事は父と話して頂く方が良いと思って」

「君の気持は…」

「それは、エリオ様と結婚したいに決まってます」


にっこりとメメリーナが微笑めば、エリオットは安心したように息を吐く。

そして、また会いましょうと逢瀬デートの約束をして、エリオットは男爵邸から帰って行った。

その後ろ姿をじっと、メメリーナが見ていた事にも気づかずに。


伯爵邸に帰る道すがら、エリオットはメメリーナとの新生活に付いて何も話していない事に気が付いた。

そもそも、後継を外れる事も言っていないのだから、その後の話もしようがないのだが。

少なくとも、住む場所を見つけなくてはいけないのに、決まっていない。

あと三日で従兄がやってくる。

ミスラの新しい夫で、伯爵家の新しい後継者だ。

けれど、あのミスラの気難しい態度に従兄のハルスタッドが結婚を取りやめるかもしれないし、ミスラだって美男子であるエリオットの方がと気持ちを変えるかもしれない、と希望を抱く。

二人がどうなるか見守ってからでも遅くはない、と楽観的な展望を持ちつつエリオットは屋敷へと戻って行った。



そして三日後、ハルスタッドとミスラのお見合いが設けられた。

定期的にエリオットとミスラがお茶会をしていた庭の東屋ガゼボで。


「急に結婚の話になって、驚かれましたでしょう?」

「……ええ、でも、光栄です」


ミスラの問いかけに、ハルスタッドの頬は赤く染まる。

二人は初対面ではない。

領地経営についての補佐をしているという関係で、何度か会った事はある。


「それは、わたくしと夫婦になる事に前向きであると捉えても宜しゅうございますか?」

「勿論です!いえ、私のような粗忽者には勿体ないご令嬢だと思っております」


普段の冷静で真面目な様子とは違って、真っ赤になって一生懸命言葉を紡ぐ姿にミスラは微笑む。


「本来ならエリオット様の愛人問題も、ある程度は目を瞑る心算でしたの。彼がわたくしを妻として大事にしてくださるなら、と。でも、そうはなりませんでした」


ミスラが言えば、途端にしゅんとハルスタッドが眉根を下げる。


「はい……事情は伺っております。大変申し訳ない事を……」

「いえ、貴方が悪い訳ではありませんから……でも、出来れば夫婦としてお互いを大切に思いあっていければと思っております。政略だとしても、この先の人生は長うございますので、支え合って生きてゆきたい、と」


ミスラの言葉に、ハルスタッドは真摯な眼差しを向ける。


「私は、貴女の事を生涯大事にしていきます。子が生まれれば子も、二人で愛しんで育てていきたいと!」

「まあ……子供……そう、ですわね」


急に子供の話まで言及されて、ミスラの頬も赤く染まる。

それを見たハルスタッドも更に真っ赤になって言い訳をした。


「い、いや、あの、とにかく、私は他の者へ目を向ける事はしません。貴女と、子供だけです!」

「嬉しゅうございますわ……とても、とても」


固く握りしめたハルスタッドの拳に、柔らかく手を添えてミスラは美しく微笑んだ。


二人はその後も仲睦まじい様子を見せ、伯爵も伯爵夫人も安堵したのである。

少なくとも、両家の事業は滞りなく進むし、条件面でも不利にならないようミスラが実家のオーバル伯爵家に取り計らった。

その結果に面白くないのはエリオットである。

仕方なく、持ち物を換金して減らし、再度メメリーナの家へと向かった。



「これはこれは、エリオット殿。何か御用ですかな?」


出迎えたのは男爵本人で、メメリーナはいない。

普段なら小間使い(メイド)に案内されたらすぐに出て来るのに。


「いや、メメリーナと逢瀬デートの約束をしていてね。メメリーナは?」

「……それが、どうにも急に結婚の話が決まりましてな」

「……は?いや、まだ私は求婚していないが?」


今日する予定だったのだから、問題ないといえばないのだが、勝手な事をして、とエリオットはメメリーナに苛立ちを覚える。

だが、男爵は怪訝な顔をしてから首を振る。


「いえいえ、メメリーナは他の方に望まれで嫁いだのです」

「と、嫁いだ?いや、四日前にはそんな話…」

「ですから、急に決まったのですよ。勿論、以前からお話していた相手のお一人ですが、是非ともすぐに来てほしいと言われて、昨日メメリーナは身一つで嫁ぎました」

「……は……?」


逢瀬デートの約束をしていたのに、とエリオットはぽかんとする。

だが、男爵は迷惑そうにそんなエリオットを見た。


「先方がメメリーナの用意を全て整えて下さる上に、支度金と称してこちらにも幾許かの財産をくださる。持参金も不要で、もし離縁となった際にも暮らしに困らぬように差配してくださると言うのであれば、こちらも文句もございません。破格の条件ですからな!」

「そうか……」


金銭面での事を言われてしまえば、エリオットにも何も言う事が出来ない。

持っている服を換金したところで、王都で一年、一人で暮らせるかどうかだという。

女性の様な華美な衣装ドレスではないし、仕立てが良く材料が良いにしても価格は振るわないのだ。

宝石類も買った時より価値は下がる。

全ての貴金属を売ったとしても十年がせいぜいだろう。


「ああ、そうそう。メメリーナから手紙を預かっておりますれば、これにて」

「あ、ああ」


手紙を手に押し付けられ、無情にも目の前で扉は閉ざされた。

封蝋も押されていない、畳まれただけの手紙を開けば。


『結婚します。さようなら。メメリーナ』


それだけだった。

裏を返してみても、それ以外の文字は無い。

漸くここにきて、エリオットはメメリーナにも見限られたのだと気づいた。

何故なのか、エリオットには分からないまま、伯爵邸に戻ったのである。



戻ると丁度、ミスラが居間へと侍女と入っていくところに行き会って、エリオットはその後ろに続く。


「ミスラ、話があるんだ」

「え?……ええ、お話は伺いますけれど、名を呼び捨てにするのはお止め下さい」


怪訝な顔をするミスラも珍しいが、エリオットはそんなミスラに詰め寄る。


「俺は騙されていたんだ、あの女に!」

「……メメリーナ嬢に?」

「そうだ!あの女は俺の事を騙しておいて、他の男の元に嫁ぎやがった!だからもう、いいだろう?俺達の間に障害はなくなったのだから、結婚生活を続けようじゃないか」


あまりに理不尽なエリオットの言葉に、ミスラは立ち眩みしそうになる。

取り敢えず一人がけの椅子に腰を下ろした。

長椅子ソファーだと身体を寄せられそうで気持ち悪かったからだ。

側に居る侍女もさすがに、危機感を感じたのか、何時もは言わない言葉を言う。


「お茶を用意して参ります」

「ええ、そうして」


そして、部屋を出て行くと、入れ替わりに護衛騎士が入ってきて、ミスラの背後に立つ。

先程の言葉は別に暗喩ではないが、侍女がエリオットを危険だと見做したのだろう。

エリオットを刺激しないように部屋を出て護衛を部屋に入れるには、丁度良い仕事と言葉だったのだ。

ミスラは落ち着いてエリオットに話しかける。


「メメリーナ嬢とエリオット様は何か約束をなさっていたのでございますか?将来の事などを」


自分達の未来を語っているつもりだったエリオットは、不意に聞かれた言葉に立ち止まる。

何も、約束などしていなかった。

エリオットは結婚するのだから、時間がある時に彼女に会いに行けばいいと。


「いや……」

「愛人として過ごして頂くなら生活費も渡さねばなりませんし、何れわたくしを追い出すつもりだったのでしたら、再婚の約束をするなどしておりませんでしたの?」

「……それは……」


ミスラはふう、とため息を落とす。

淑女らしからぬ行動だが、目の前の男も紳士ではない。


「でしたら、彼女の事を責めるのは御門違いでございますわね。何の約束もしていないのなら、他の方へ嫁ぐ事も咎められないでしょう。ですが、その事とわたくしと貴方の離縁は関係ございません」

「は?いや、メメリーナがいなければ、離縁していないだろう!?」


根源的にはそうかもしれないが、離縁を決意した理由は違う。

ミスラは首を左右に振った。


「いいえ。愛人がいるからではなく、わたくしを蔑ろにすると宣言なさったからです。その様な方と結婚生活を続ける事は出来ませんもの」

「だから、それはもう、原因がなくなったから……」

「ですから、原因は貴方だと言っているのですよ。貴方だから嫌なのです。分かりましたか?もう元には戻せないし、戻したくもないのです。いい加減になさいまし」


ぴしゃりと言われて、エリオットは固まる。


「貴方はわたくしにだけでなく、メメリーナ嬢へも誠意がなかったのです。だから、彼女にも見限られたのでございましょう。……わたくしと夫が貴方の為に、領地経営の補佐官としての仕事を用意しておりましたが、貴方がこれ以上わたくし達の結婚生活の邪魔になるようでしたら、考え直さねばなりません」

「……仕事、を……」


エリオットが緩慢な動きで、長椅子ソファーに座る。

短絡的でいい加減、その場限りの快楽や感情に流されるエリオットが今欲しているのは、安寧。

ある程度の労力で暮らしていけるという希望だ。

放り出しても良いのだが、義母の伯爵夫人としても我が子であるエリオットが可愛くない訳はない。

だから、ミスラは伯爵夫妻に恩を売る事にしたのだ。

問題を起こされて家門に泥を塗られるよりは良い。

除籍して無関係だとしても、何かあった場合人の噂に家名が上るのは確実である。

だったら手元に置いて監視しつつ飼い殺しにする方が無難だ。


「ええ、領地の領主館であれば、使用人より少し良い部屋を宛がえるでしょう。給料も渡せますし、貴方の今までの知識も生かせるのですから、市井に下るよりも暮らしやすいかと存じますよ」

「……領地の、館」


王都で暮らそうにも家賃は高く、手持ちで暮らせたとして十年。

だが、仕事はない。

探せたとして続くかどうかはまた別の話だ。

日々の暮らしも自分で自分の面倒を見なくてはならない。

エリオットにとっては、何もない所に放り出されるよりは良い条件だ。

家賃もなく、仕事と給与を得られて、食事や細々とした生活の面倒は使用人が手助けをしてくれるのである。

ミスラは静かに優しく言い聞かせるように言葉を紡ぐ。


「わたくしと貴方の離縁はもう決まり、ハルスタッドとわたくしの再婚はもう整いました。貴方も新しい人生を受け入れて、静かにお暮しくださいませ」

「……分かった……」


ほ、とミスラは扇の影で安堵の溜息を漏らした。

エリオットの様子が少しおかしいのはきっと、メメリーナにも分かっていたのだろう。

だから、彼女も逃げ出したのだ。

暴れるのではないか、と危惧もしていたが、何とか治まった。

侍女は戻ってきてお茶を入れてくれている。


「エリオット様の荷造りをして、領主館のお部屋に運ぶように執事に伝えて頂戴」

「はい。畏まりました」


侍女は紅茶を目の前に置くと、一礼して部屋を出て行く。

そうして、言われるままにエリオットは領地へと向かったのであった。



ミスラとハルスタッドは名実ともに夫婦となり、子供にも恵まれた。

不肖の息子の行く末を案じていた夫人も、ミスラとハルスタットの恩情に感謝して、二人に義親として尽くしたのである。

エリオットは何くれとなく世話を焼いてくれた小間使い(メイド)と数年の交際の後に結婚して、平民として慎ましやかに暮らす事になった。

妻となった小間使い(メイド)は現実的な性格なので、エリオットが間違った事をすれば叱り飛ばしているという。

ミスラとハルスタッドの勧めもあって、領地と爵位を譲った前伯爵夫妻はエリオット夫妻やその間に生まれた孫と穏やかに交流している。



そしてメメリーナは商人の妻に収まって、逞しく生きている。

メメリーナのお話も後日うpします。

寒いですね!皆さんお風邪を召されぬようお気をつけて。

今年もお雑煮の季節がやって参りました。今年は豚汁にお餅入れればいいかな…(手抜き)

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― 新着の感想 ―
手を回した気もするけど、、、女は強い!
>今年は豚汁にお餅入れればいいかな…(手抜き) インスタントのマツタケのお吸い物にお餅を入れたら、さらに手抜きになるかと……。 あ、オススメしているワケではないですよ!(アセアセ) ちなみに、うちはち…
クズだった旦那も幸せを得られて、ちゃんとギャフンを用意しつつも不幸な人生を負う者がなく楽しく読ませて貰えました。
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