第三十一話 魔蔓延る大森林 平和への礎
霆華たちが死闘を繰り広げる戦場から離れた場所。
木々が折り重なる森の中で、静焔は“龍刃丸”を振るっている。
目の前に立つ大木の幹へ、抜刀の一閃を繰り出すも、その刃は幹の三分の一ほどの地点で止まった。
(……まただ。この、刀に押し戻される感覚)
静焔は“龍刃丸”の刀身をまじまじと見る。
刃こぼれ一つない、完璧な曲線。
一見すれば戦で使われたことのない、真新しい一振りと見まがいそうになる。
しかし、静焔はその刀身にこびりついた匂いを感じ取った。
「血と、脂の匂い。これが染みつくまで、どれ程の血が流れたのか……」
大量の血が流れる場面は、戦争。
しかし、魔軍に血は流れていない。
「魔軍が来るよりはるか昔から、お前は戦に出ていたのだな……」
静焔は“龍刃丸”を地面へと突き立てる。
そして、自分はそれと向き合うように腰を下ろした。
「――“龍刃丸”。そなたのこと、もっと教えてくれ」
静焔の視線は”龍刃丸”に注がれ、その意識は深く沈み込んでいく。
――魔軍がいない世界。
しかし、それは果たして平和と呼べるものだったか……。
多くの国が生まれ、繫栄し、滅びた。
魔軍という得体のしれない脅威と、最初期の大虐殺によって、敵愾心は全て魔軍へと向かった。
――所詮、今、人間が平和なのは矛先を向ける場所が変わっただけか。
「“龍刃丸”よ」
静焔は静かに、目の前に鎮座する刀へ語り掛ける。
――この刀は、何も切ろうとしていない。
静焔が感じた違和感は、今や確信に変わっていた。
「お主は、我々よりも多くの争いを見てきたのだな」
自身にこびりつく血と脂の匂い。
人間を切り殺め続けた日々の厚さを物語る。
(この刀は、真に平和を望んでいるだけ……なのだな)
静焔は己の浅はかさを深く痛感する。
目の前の魔軍を排除することばかりを考えている静焔を、“龍刃丸”は見透かしていた。
それでは、足りないのだ。
“龍刃丸”と共に立ち上がるには、魔軍に勝利した後の世こそを想うべきだったのだ――。
静焔は、目の前の刀に向かい、深く頭を下げる。
「“龍刃丸”。私はお主に無礼なことをした。まずはそれを謝罪したい」
それで――、と静焔は顔だけを“龍刃丸”へと向け、言を続けた。
「改めて、そなたの力を私に貸してほしい」
バヒュッ、と突然吹いた突風が静焔の頬に浅い傷をつける。
「――それほどまでに、人を嫌うか“龍刃丸”。人の存亡の危機にも、その力は貸さぬのか!」
“龍刃丸”の刀身が陽光に当てられ、輝く。
その眩い光の先に、静焔は見た。
死屍累々。
人の屍が大地を埋め尽くす壮絶で凄惨な戦場。
その中心で、胸を貫いた刀を力任せに引き抜いた男。
その男の顔はハッキリとは見えない。
対照的に、男が右手に持つ刀は一目で分かる。
鍔に施された龍の意匠が、怪しく光っていた。
場面が、瞬く間に切り替わっていく。
そのすべてが、目を覆いたくなるほどの戦場の風景。
異なる時の為政者たちによって殺戮に使われる“龍刃丸”。
(――これは、“龍刃丸”の記憶か!)
『――人間』
静焔の脳全体に、言葉が染み込んでくる。
この声の主が“龍刃丸”であることを、静焔は少し遅れて理解する。
『――人間。我の過去を見せても、まだ考えは変わらぬか』
こすりつけられるように、その一言一句が意識に刻まれる。
静焔は僅かに目を閉じ、逡巡する。
ゆっくりと目を開け、静焔は口を開く。
「……たしかに、人間とは愚かな生き物だ。金の輝きに目がくらみ、地位の高さ故に足元を見ようとしない」
静焔の脳裏に、ここまでの旅の軌跡が浮かぶ。
「人間は、愚かな上、弱い。己の未熟さに打ちひしがれ、慢心により成り行きを崩壊させ、喪失と失望を繰り返す……」
静焔は自虐的な笑みを見せる。
「そして、心ひとつで己の信念を、己自身に隠して生きていくこともできる」
実の娘を救うときでさえ、立場に囚われていた自分を、静焔は思い出していた。
「しかし!“龍刃丸”よ。人は、ちゃんと、強いところもあるぞ」
――未熟さと向き合い、克服しようともがく少年がいた。
――慢心ゆえに後った少年は、今は一部の隙も無く共に戦場を駆けている。
――守る対象を守れなかった喪失と失望を抱えた少女は、希望ある未来のため立ち上がった。
「我々はそなたを、一時の快楽のために、勝利という美酒のために利用しようとはしておらん」
『――人間には、何度も裏切られきた』
「それでも、だ“龍刃丸”!人の世の平和の礎は、今この瞬間しか作れない。今しか、ないのだ」
静焔の言葉に、“龍刃丸”は沈黙する。
やがて、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
『――ふむ。そなたの心、覗かせてもらった』
驚愕の表情で静焔は“龍刃丸”を見る。
『――お主の言葉には、嘘が無かった。しかし、何故、お主が人の世を救うと、大言壮語を宣うのかが理解できぬ』
「そんなの――」
静焔は“龍刃丸”の問いに即答する。
「そんなの、“人”だからに決まっているではないか!」
まっすぐに。
どこまでもまっすぐに、静焔は“龍刃丸”を真正面から見つめる。
『――一度だけだ。一度だけ、我はそなたに力を貸そう』
スッ、と静焔の目の前に“龍刃丸”の柄が倒れてくる。
その柄を、静焔は優しく、そして力強く握る。
「“龍刃丸”……ありがとう」
静焔は刀を鞘に納める。
静焔はゆっくりと刀の柄に右の手をかけた。
わずかに上半身を左へ回す。
眼光は、鋭い。
少しずつ鞘に覆いかぶさりそうなほど体を丸め、より大きく体を捩じりこむ。
右足を一歩前へ踏み出すと同時、自身に溜まった力を静焔は解き放つ――。
烈風が通り過ぎるこの場所には、静焔と“龍刃丸”の姿は、もうどこにもなかった。
彼らが去ったその後姿を、一閃によって生み出された五つの巨大な切り株だけが見送った。




