第三十話 魔蔓延る大森林 力と代償
凄まじい衝撃が雪焔を襲う。
痛みすら感じる間もなく、雪焔の体は地面と水平に突き飛ばされた。
「――! 雪焔!」
黄鶴が急ぎ、雪焔の進行方向へ先回りし、その体を緩衝材にする。
バキバキバキッ。
黄鶴と雪焔が激突した大木が、長い音を立てて倒れる。
「雪焔! 雪焔! しっかりするっす!」
「あ……うぅ……」
雪焔の目がゆっくりと開かれる。
周囲と、自分の状態を確認する。
激しく蹴り込まれた腹部はその衝撃で所々出血していた。
「――うっ! ガハッ」
口から赤い血を吹き出しながら、雪焔は前かがみに呻く。
「と、とにかくまずは横にして休ませよう」
霆華の案に賛同するように、黄鶴は言葉もなく雪焔を折れた大木の影に横たえる。
「――どういうことっすか! どうして、宝玉を砕いたのにあいつはまだ動いてるんすっか!」
黄鶴が未だ追撃に動かない魔軍を睨みつけながら激昂する。
「――おいおい。マジかよぉ……」
馬順が零す言葉の真意を問うように、霆華と黄鶴は目を向ける。
馬順は自信を落ち着けるように小さく息を吐き、魔軍から目を離すことなく言をつなぐ。
「あいつ。多分、もう一つ、核があるなぁ。魔力の流れが他と奴と違ぇ……」
「核……っすか」
「宝玉みたいなぁもんだ。魔力の供給源さ」
「……それが、もう一つ。ってことは、もう一回、あいつを倒さないと……」
霆華は横たわる雪焔をチラリと見る。
先ほど宝玉を砕けたのは、雪焔の功績が大きい。
霆華、馬順、黄鶴はそれが分かっているからこそ、突きつけられた事実の大きさに息をのむ。
「ふぅー」
黄鶴が大きく息を吐いた。
「――やるしかない、っすよね」
「あぁ。あんなバケモン。野放しにぁ出来ねぇ」
「バケモンってなら、あんたも相当っすけど……」
「ハッ!魔力枯渇の俺にぁ、嫌味だぜ。それ」
両手に小太刀と拳を携えて、黄鶴と馬順が前に出る。
「霆華。――雪焔を、よろしくっす」
「こっちの援護も忘れなよぉ」
そう言って、馬順は残存する魔力のほとんどを霆華の矢に注ぎ込む。
「馬順。大丈夫なのか?」
心配の声を上げる霆華に、馬順は無邪気な笑みを浮かべる。
「俺の心配なんざ無用だぜぇ。秘策もあるしなぁ」
「秘策?」
「まぁ、見てなってぇ」
スクッと立ち上がり、馬順は黄鶴と並び立つ。
どちらともなく、二人は同時に門の前に佇む魔軍の元へ駆けだした。
「どうして、こいつ、止まってるんっすか!?」
「魔力の供給が安定してねぇ。今ならちったぁ弱ってるぜぇ」
森の茂みから広場へと飛び出した馬順と黄鶴に反応し、魔軍はゆっくりと上体を起こす。
「さすがに、迎撃には出るかぁ……。初撃が肝心だぜぇ、黄鶴!」
「分かってるっす!」
魔軍の背にある噴出孔から、魔力が噴き出す。
0秒の加速で、魔軍と馬順らの距離は一瞬で縮まった。
加速の勢いを乗せた魔軍の右拳が放たれる。
馬順の左拳と、黄鶴の二刀小太刀が魔軍の拳と激突した。
空気を割ったような、短く圧がある音が広がる。
馬順と黄鶴の体が大きく後ろへ飛ばされる。
「――なるほどっす」
大の字になりながら空を仰ぐ黄鶴が呟く。
馬順と黄鶴は起き上がり、魔軍へと目を向けた。
「――ちゃんと弱くなってるっすね」
彼らの目の前には、門の柱に激突して腰をつく魔軍の姿があった。
「さっきまで吹っ飛ばされてばっかだったからなぁ。こりゃあ、好機だろぉ」
パンパン、と腰についた砂を落としながら馬順は再び交戦の構えを取る。
馬順と黄鶴は、魔軍へ向けて再び駆けだす。
魔軍は迫る二つの影に、初めて迎撃ではなく防御の構えを見せた。
魔軍の防御を意に介すことなく、二つの影は高密度の連撃を加える。
絶えず響く音の波は木々を揺らし、土埃を巻き上げた。
「これ、いつまでやればいいっすか!」
「まだだ!まだぁ!」
怒涛の連撃の最中、黄鶴が喚く言葉を馬順が一蹴する。
ガクンッ、と馬順の膝が唐突に崩れた。
「――! 馬順!」
一瞬の隙。
魔軍はその間隙を縫うように、左腕全体で馬順の顔面を横薙ぎに狙う。
その凶腕は、放たれた矢によって軌道を上方に逸らされた。
「よくやったっす!霆華!」
大きく空いた魔軍の胸元へ、黄鶴は二本の刀を突き立てる。
橙に奔る火花が散る。
しかし、分厚い装甲には浅い傷跡が二本刻まれるのみ。
「――チッ!」
黄鶴は素早く身を引き、魔軍の反撃の手を逃れた。
「黄鶴ぅ!」
横から聞こえた馬順の呼びかけに、黄鶴は一瞥で返答をする。
「ちょっと、俺ぁここ、離れるぜぇ」
「は!? 何言ってるっすか。そんなこと――」
「黄鶴。――頼んだぜぇ」
馬順は黄鶴の返答を待たずに、魔軍の左側を大きく迂回するように動く。
魔軍は突然動き出した馬順の方向へその重心を傾けた。
ガンッ。
駆けだそうとする魔軍の出鼻を、黄鶴の二刀が挫く。
「なにしようとしてるのかは知らねぇっすけど――」
黄鶴は背を向けて門のたもとに陣取る馬順を見遣る。
「期待してるっす。馬順!」
サッ、と黄鶴は自分のすぐ後ろの地面に、一本の線を引く。
そして、咆哮を上げながら、黄鶴は魔軍へ正面から突撃した――。
魔軍と黄鶴との死闘を背に受けながら、馬順は門の一部に手を触れる。
「ちくしょう。やっぱ、やるしかねぇかぁ」
馬順がやろうとしていること。
それは、己が失った魔力の補充だ。
今もなお、最低限の機能維持を続けているらしい巨大な門。
そこに循環している魔力を自身に流れ込ませるため、馬順は意識を集中させる。
(魔力の流れは……)
馬順のイメージに、一筋の桃色の河が映される。
その根源は、巨大な泉へとつながり、四方へ何本もの河が絡み合って循環している。
(でっけぇ、根っこみてぇだな……)
馬順はその河の一つを掴み、魔力を自身へと流れ込ませた。
「――っ!」
突如襲った激痛に、馬順は膝をついて崩れる。
「やっぱり、違う色の魔力を入れるのは無理かぁ……」
人間でいえば、他人の血液を体内へ取り込むことに等しい行為。
馬順の体が見せた、正常で強烈な拒絶反応を、しかし馬順は抑え込む決意を固める。
馬順の背後で単身、魔軍へ挑む少女。
聞こえてくる彼女の咆哮の影で、幾度か肉や骨を打つ音が混じった。
それでも、黄鶴という武人は一歩も引かず、魔軍への攻勢をかけ続ける。
――何のために。
――なぜ。
馬順の根源は、その問いに対する漠然とした答えを有していた。
後ろにいるがために、姿が見えないにも関わらず、馬順は黄鶴の姿を霆華と重ねる。
――戦友の再起を信じ、自分と相対した少年。
「俺も、誰かに信じられる日がくるたぁねぇ……」
ガシッと。
馬順は両手で門の柱を鷲掴みする。
色違いの魔力の奔流が、馬順の体内を蝕んだ。
馬順は、吐血する。
手の感覚がなくなり、門を握る力が弱くなる。
馬順は、右手を門から突き出た鋭い突起部分へ突き刺した。
左手も同様に突き刺し、完全に門と一体化する。
「上等だぁ――。応えてやるよ、その信頼にぃ!」
口、鼻、目、耳。
馬順は、あらゆる個所から血を滴らせる――。
魔軍と対峙する黄鶴の視界が、徐々にぼやけてくる。
拳を何発もらったのか。
いくつ、蹴りを入れられたのか。
魔崩は、何発がその身を掠めたのか……。
満身創痍の中、しかし黄鶴が自ら引いた線を越えない。
魔軍の侵入も許さない。
命を懸けた黄鶴の矜持が、魔軍の前に高い高い壁を作る。
「はあぁぁぁぁ!」
自分へ抱く脅威を失わせないため、黄鶴は何度目かの正面突撃を仕掛ける。
数度の攻防の末、魔軍の左拳を防いだ衝撃で黄鶴は再び押し戻される。
しかし、己が決めた最後の一線は、決して越えない。
「――ったくよぉ。オメェはそんなんを後生大事に守ってんのかよぉ」
背後から聞こえた声に、黄鶴は一瞬身を固める。
直後。
黄鶴は水平に落ちる雷撃を目撃した。
その雷撃は魔軍の元へ直線的に飛んでいく。
迎え撃つ魔軍の両腕が大きく弾き飛ばされ、硬い装甲の胸元が露わになる。
「おめぇの、核は――」
雷撃へと姿を変えた馬順は、右拳を固く握る。
「――ここだろぉぉぉぉ!」
音よりも、速く。
魔軍の体は、その背後の茂みへと吹き飛ばされた。
遅れて響く轟音が周囲を震わせる。
「ちょっと、馬順! あっちには霆華たちが……」
「心配ねぇよ、ほれ」
未だ淡い光を全身から放つ馬順が指さす先で、雪焔を背負った霆華が手を上げている。
「いつの間に……」
「まぁ、オメェみてぇに、俺を信じる馬鹿がいたってぇことだろ」
「避難されてるってことは、信用されてないんじゃないっすか?」
「――うるせぇ」
軽口を叩く馬順と黄鶴の顔には、うっすらと笑みが浮かぶ。
無数の倒木に押しつぶされていた魔軍が、それらを押し退けて立ち上がる。
胸部の装甲は粉々に砕けていた。
露わになったその内部に、こぶし大の赤い宝玉が見える。
「――いよいよ、っすか」
「あぁ。あれを砕きゃあ、終いだ」
霆華が矢を番え、黄鶴が小太刀を構える。
馬順は一人、吐き出した血で地面を染めた。
「――!馬順、大丈夫っすか」
「気にすんな……とも言ってらんねぇ。いくらももたねぇから、さっさと行くぞ」
狂気を帯びた馬順の背から視線を外し、黄鶴は魔軍に向き合う。
短期決戦。
幾度となく形勢が覆るこの戦場の終わりが、眼前に迫る――。




