第二十九話 魔蔓延る大森林 死闘貫く一刃
「黄鶴!話とは一体――」
「蒼達様が……討死にしました」
一時的に戦場から逃れるように、静焔と黄鶴は森の奥へと下がっていた。
そこで黄鶴から告げられた事実を、静焔は動揺もなく受け取る。
「そうか……。教えてくれたこと、感謝する」
チラ、と静焔は黄鶴の腰に下げられた刀を見る。
黒鞘は見事に磨かれ、光沢が淡い青の光を放つ。
鍔にあしらわれた巻きつく龍の眼光はなおも鋭く静焔を見る。
「それは、蒼達の形見か。ならばお主はそれを守り――」
「静焔様!」
黄鶴は片膝を立てその場で静焔に深く頭を下げる。
「静焔様!お願いでございます。どうか、どうかこの刀をお使いください」
「黄鶴。それはできない。その刀は俺を認めていない。最悪、皆に危害が――」
「構いません!」
三度、黄鶴は静焔の言を遮る。
「……これから、私は静焔様に無礼の限りを尽くした言葉を述べます」
頭を下げた姿勢のまま、黄鶴は右手を震わせる。
「どうか処罰は、この戦が終わった後でお願いいたします」
キッ、と黄鶴は顔を上げ、静焔と目を合わせる。
「静焔様。あなたの血を、私にください。この刀があなた様に血を流させるなら、それを受け入れてください。
そして、見事に御してみてください。それが、あなたが戦場に戻る唯一の道でございます!」
言い切った後も、黄鶴はその視線を外さない。
「――刀を御せなければ、戦場には戻るな、か」
足手まといだ、と言われたのはいつ以来か……。
静焔は木々の隙間からわずかに覗く青空を見上げる。
若い世代の者たちが、強大な魔軍と渡り合っている。
その事実が、黄鶴の言葉を強烈に裏付けていた。
「――黄鶴」
静焔は視線を落とし、黄鶴と視線を合わせる。
「“龍刃丸”をここに置いていけ。そして、そなたは戦場に加勢してこい!」
「――!はいっ!」
流れぬ涙を一杯にためながら、“龍刃丸”を地面に置き、黄鶴は戦場へと駆ける。
静焔は抜刀の姿勢を取り、目の前の大木へ一閃を放つ。
普段であれば、一刀で切り倒せるはずだった。
しかし、“龍刃丸”の刃はその幹を3分の1ほど進んだところで止まっていた。
「……これは、少々、手を焼きそうだな」
鍔に置かれた龍の意匠に食い込んだ静焔の右手からは、血が滴っていた。
静焔がいない戦場。
雪焔、霆華、馬順が必死に魔軍の猛攻に耐え、食らいつく。
手足に魔力を帯びた魔軍の一撃は、重い。
加えて、中・長距離での魔崩もまた、強力。
対する3人は、劣勢を強いられていた。
「――雪焔!そっち行ったぞ!」
霆華の声に押されるように、雪焔は辛うじてその身を、致死の拳の射線上から外す。
雪焔が反撃の一撃を加えるよりも早く、魔軍は横に跳ぶことで雪焔と距離を取った。
(マズい――!)
本能のまま、雪焔は地面を転がり、先ほど自分がいた場所を通過する魔崩の光球をみる。
ビュッ、と魔軍の左肩を目掛けて黒光りする鋼鉄を矢が飛ばされた。
高い金属音と共に、その矢は魔軍の左腕に着けられた分厚い装甲で弾かれる。
矢が飛んできた方向を魔軍は睨みつけるように凝視した。
「おらぁ!」
その魔軍の背後から、馬順が飛び出し、魔軍の左膝を激しく蹴り上げようと右足を繰り出す。
「っく、硬ぇし、重ぇ……」
ガンッ、という重い音がしたが、馬順が狙う結果には至らない。
一瞬の硬直。
その瞬間を魔軍は見逃さない。
馬順の顔面目掛けて繰り出された左の裏拳が、直撃する。
雪焔のすぐそばを、馬順が瞬く間に通り過ぎた。
幾つもの木々がなぎ倒される音が聞こえる。
雪焔は、背後で響くその音へ目を向けることができない。
今、雪焔は魔軍の赤い双眸と向かい合っている。
(馬順、生きててね――。私も、生き残るから!)
雪焔はだらりと、刀を体の脇に下ろす。
彼女が基本とする構えであり、移動に特化した構えだ。
今、雪焔は魔軍への攻撃を始めようとしてはいない。
ただ、必死で生き残るため、この構えを取る。
――ただひたすらに、逃げ回るために。
4本の光線が魔軍から放たれた。
雪焔は僅かな着弾の時間差を見極め、4本を順番に躱しきる。
勢いのまま直進しようとする体を、全身の筋肉で強制的に止める。
目の前には魔軍の左拳が振り下ろされた。
ひび割れる大地の震動に耐え、雪焔は横へ跳ぶ。
(安易に離れてはダメ……。私には、あの魔崩を何発も防げない)
魔軍が纏う魔力が、一段と大きさを増した。
直立した構えから、僅かに重心を前へと傾ける。
魔軍の体全体が見える位置にいたはずの雪焔が次に見たものは、赤く光る二つの光。
それが、一瞬で急接近してきた魔軍の双眸だと認識するよりも早く、雪焔は大きく体を沈める。
直上には、雪焔の頭部を潰すために放たれた左右の拳が、ぶつかり合っていた。
恐怖に慄く間すら与えられることなく、放たれた魔軍の右足を躱すために雪焔は右へ跳ぶ。
ダンッ、と一足飛びで雪焔が退避した方向へ魔軍は先回りをし、追撃の左足を振り抜く。
雪焔は、その左足すらも躱して見せた。
彼女は今、自分が視ているか細い退路に必死にしがみついている。
いつ消えるかもしれないその道こそが、雪焔が生き残る可能性を僅かに上げていた。
迫る魔軍からの右拳の一撃を、雪焔は左に躱そうと試みる。
(――痛っ!)
雪焔の左足が支えを失ったように崩れ落ちる。
それは、雪焔の身体的な限界を示していた。
軌道を修正した拳が、雪焔の目の前に迫る。
(――もう、回避は間に合わない)
もはや、退路すらも見えない。
そう思い、雪焔は覚悟を決め、目を閉じかけた。
「雪焔!あきらめるなぁ!」
背後から、霆華が叫ぶ声が聞こえた。
直後、矢を射る鋭い音が聞こえる。
(矢一本じゃあ、止められな――)
諦観の目で見ていた雪焔に飛び込んできた映像。
紫の光を纏った黒い矢は、魔軍に直撃するとともにその体を押し退ける。
大地を抉ってできた2本の線を見ながら、雪焔は驚愕を隠せない。
魔軍の双眸が認めたのは、森の中で弓を引いた霆華。
そして、霆華の矢に魔法の衣をまとわせた馬順だった。
「――上手くいったね、馬順」
「ハッ!思い付きにしちゃあ、上出来だろぉ」
次々と、魔軍に紫の光を放つ矢が飛ばされる。
魔軍は両手の装甲を盾に、動くことなく防御に徹していた。
「よぉよぉ、雪焔よぉ!」
馬順が挑発にもとれる声を雪焔に向けた。
「まぁさか、これぐらいでへばっちゃねぇだろうなぁ」
「――!あ、当たり前だっ!」
雪焔は間を置かずに再度立ち上がる。
(何を勝手に諦めているんだ、私は!身体的限界など、越えてこそ!)
スッと、雪焔は刀を魔軍に切っ先を向けて構える。
刺突による一撃。
この一撃で終わらせようと、雪焔は力の限り右足で地面を蹴った。
突進する雪焔を認め、魔軍は顔の前にあった右腕を大きく振り広げる。
霆華が放った矢が、右腕の巨大な装甲に当たる。
その矢は軌道を変え、雪焔を目掛けて一直線に飛んできた。
(このままじゃ、直撃。どうする――避けるべきか)
防戦一方だった自分に向かって来た一縷の望みに手を伸ばすべきか。
雪焔は一瞬、思考する。
次の瞬間には、自分に向けて飛んできた矢があらぬ方向へと弾かれていた。
矢を弾いた小柄な少女が雪焔の背中を押す。
「雪焔!このままいくっす!私が守るっす!」
(――ありがとう、黄鶴)
雪焔はさらに強く踏み込んだ。
「これで、終わりよっ!」
大きく開いた右腕から懐へ飛び込む。
体の重心、体重移動、関節の動き、呼吸に至るまで、全てが一直線にかみ合った。
雪焔の刺突が、音速を、越えた。
雪焔の刀が、魔軍の喉元へ深々と突き刺さる。
パリン、と喉元の赤い宝玉が小さな音を立てて割れた。
雪焔は手に伝わる感覚に、勝利を確信する。
その雪焔の表情を見つめる魔軍の双眸は、未だ怪しく赤い光を宿す――。




