第十七話 魔蔓延る大森林 決戦の前夜
深い森林が、大地の一角を広大な緑で埋める。
その緑の盤面にぽっかりと空いたわずかな穴のような空き地に詰める4人。
「蒼達といったか。お主、本当に魔軍を滅ぼすというのか」
誰もが声を出せず固まっていた中、静焔はかろうじて復唱するかのように問う。
「無論。先の大戦。魔軍によって我が主君は斃れ、領地を追われることとなった……。こちらが攻勢をかけるには、今が好機だ」
「仲間は、どこかにいるのか?」
「あぁ、いるさ。ただ、根城に奇襲をかけたがこの通り、返り討ちにあってな。まともに動ける奴はおそらく……」
「なるほど、先ほどの魔軍はお主らの追手か。――仲間たちとは散り散りに?」
蒼達は何も答えなかったが、その顔には僅かながら悲壮と焦燥がよぎる。
静焔は顎を手でなぞりながらしばらく思案すると、グルッと霆華、馬順に振り向く。
「霆華、馬順。この者の拠点へ行くぞ」
静焔のこの判断に、異を唱える者はいない。
「おい、馬順。お前はいいのかよ。故郷に帰る、ってんなら遠回りにならねぇか?」
霆華は隣で成り行きを見守る馬順へ確認も込めて問いかける。
あぁ?と気だるげに馬順は受ける。
「どのみち、どぉやって帰りゃいいのか分かんねぇんだ。魔軍と一緒に帰るってんなら、奴らの根城まで行けた方が確実だ」
まぁ、そういうものか、と霆華はそれ以上追及することなく静焔へ向き直る。
馬順、霆華。二人の顔を一瞥したのち、静焔は蒼達へ告げる。
「我々も、目的を一にする同志だ。刃を向けたことは謝罪する。行動を共にしてもよいだろうか」
静焔の申し出に、蒼達は座り込んだ姿勢のまま右手の拳を差し出す。
静焔と蒼達。
両者の狭間は二つの頑強な拳で埋められた。
「――ここが、我々の拠点だ」
地面に投げ出された体勢のまま、蒼達は呻くように声を上げた。
蒼達と出会ったあの空間から、森の奥へ半刻ほど歩いてきたところに、群を抜く大木があった。
その洞を少々削り、空間を広くした場所が蒼達らが拠点と呼ぶ場所。
物資は周囲の壁際に寄せられ、中央には大森林の簡単な地図が広げられた長机。
合計10脚の椅子が向かい合わせに置かれていた。
体躯の良い彼を運んできた馬順が、「荷物運びはコリゴリだ!」と彼を床に投げ捨てたのがつい先ほどの話だ。
蒼達はヨロヨロと立ち上がり、洞の中を見渡す。
必要最低限の物資のみが置かれた伽藍洞の空間を、仲間の影を追うその視線は、しかし何もその目に映さない。
小さく肩を落とす彼の肩を軽く叩きながら、静焔が言う。
「心配するな、とは言わん。だが今は、本懐を成すために尽力しよう。その道中でまた出会えると信じて」
「……そうだな。すまなかった。それでは、まず魔軍の根城の場所を――」
蒼達は、静焔らを中央の長机へと案内し、適当に掛けるよう促す。
彼の説明を聞きながら、静焔らは大森林の地図へと視線を落とした。
「――魔軍の根城はここだ。北西へ、おおよそ一刻進んだところにある」
地図上の青く塗られた点から赤く縁取られた区域へ、蒼達は指を滑らせる。
「もう、目と鼻の先なのだな」
「ああ。だが、もう日が暮れる。夜の森は、夜目が利く奴らの利。明日の朝、改めて出立しよう」
明日の朝――。
目前に迫る終わりの刻に、霆華は思わず握る手に力を込める。
「おう霆華、てめぇ、怖気づいてんのかよ」
一瞬こわばらせた肩を見られたのか、馬順が声をかけてくる。
「別に、そんなわけじゃない。ただ――。」
ちら、と静焔を一瞥し、霆華は続ける。
「ただ、ここまで来て足を引っ張れないっていう緊張はある。正直……」
ハッ、と霆華の本音を馬順は一笑で吹き飛ばす。
「お前は確かに戦力としちゃあ心許ねぇが――」
そう言いながら馬順は右頬を軽く撫でる。
「まぁ、雑魚でもねぇから何とかなんだろ」
自分に向けられた言葉に、霆華は目を丸くして固まる。
「――お前。どうした。具合悪いのか?」
「励ましてんだろぉが!」
ギャーギャーと机を挟んで騒ぐ二人を静焔は止めようとせず見ている。
「静焔殿」
不意に声をかけられた静焔はチラリと蒼達へ目を向けた。
「――良い弟子をお持ちのようですな」
絶対に二人には聞こえていないだろうと確信を持ちながら蒼達は言ったつもりだった。
しかし、馬順から否定するような視線を向けられ、蒼達は僅かに驚愕する。
「――ああ。本当に」
豪角と矛を交え、馬順の拳と対峙し、並び立つ未来の背中を思い出しながら、静焔は告げる。
「本当に。我々は人に恵まれ、成長したと思うよ」
夜が更け、日付が変わったことを確認したのち、各々は決戦に備えて床に就く。
木々の間を抜けていく風が織りなす細かな音の流砂が蒼達の耳を柔らかく撫でる。
「皆。どうか生きていてくれ。皆が居ない世界など私は――」
悲壮の色を滲ませながら、元守衛隊長である男は愛刀を握る。
主君より預けられた主の一族に伝わる一振り。
魔軍の凶弾に倒れる間際の主君の背中が蒼達の眼前を掠める。
「なぜ――」
強く噛みしめた唇から滴る己の血にも気づかずに、蒼達は絞り出すように言を発する。
「なぜ、あの時、あなたは私を庇ったのですか……」
――もし自分が、もっと早く魔軍の存在に気付いていれば。
――もし自分が、主の手を離さなければ。
――もし自分が、弟子たちのことをあの一瞬で考えなければ。
浅鶯色の衣に開けられた真円の向こう。
主君を殺めた深紅の鎧。
その姿をとらえた視界は、瞬く間にどす黒い噴水で覆われた。
(蒼達――)
死の間際の数瞬。
主が己にかけた言葉を、蒼達は思い出す。
(蒼達――。刀と共に生きよ……)
己が主君の身すら満足に弔えず。
傍らに下げられた家宝の刀だけを後生大事に抱えて生きる。
「なんと、惨め。なんと、愚か。なんという屈辱か……」
叫びだしそうな衝動を抑えながら、蒼達は声にならぬ咆哮を上げる。
「明日。すべてにカタをつける。それが、主君への恩に報いる唯一の方法だ」
ようやく床に就いてらしい蒼達を背中越しに盗み見ながら、静焔は蒼達の喪失を自分に重ねていた。
(雪焔……。大丈夫だ。我々はちゃんと個ではなく集団になっている。万事、うまくいく……)
拭いきれぬ不安を強引に押しつぶし、静焔もまた静かに目を閉じた。




