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第十五話 前線砦にて 出立

  目を開けると暗い天井が見えた。

 

 天井の木目が、夜目にぼんやりと滲んでいる。

 

 寝台に横たわる体を起こそうと力を込めた瞬間、全身を走る激痛に霆華は小さく呻いた。

 

 (骨は……大丈夫か。でもまだ動けそうもないや)

 

 僅かな身じろぎすら難しい中、霆華は模擬戦の全容を想起する。

 

 (結局、馬順には一方的にやられちまったなぁ。自分の弓もまだ完璧じゃないって分かったからよかったけど……)

 

 霆華は思わず顔をほころばせる。

 

 (佐治の兄貴が戻ってくれて、本当に良かった)

 

 喪失と向き合う。その高い高い壁を乗り越えた佐治。

 

 乗り越えた先の景色を必死に守り抜いた砦の面々。

 

 この砦に来て自分の未熟さを知り、仲間という存在について理解できた。

 

 (――強くなろう。今よりもずっと。そして、いつの日かまたここに……)

 

 無意識に握りしめた右手を高く上げようとして、霆華はまた小さく呻いた。


 「やぁーっと起きやがったかよ。こんやろぉー」

 

 何とか起き上がれるようになり、広間に顔を出した霆華に向かって、馬順が喧嘩腰に声をかけた。

 

 「お、おう、馬順。昨日はお疲れ様」

 

 「お疲れ様、じゃねぇよ霆華ぁ!」

 

 ズイズイと霆華へ寄った馬順は、矢が掠めた自らの右頬を大げさに見せつけながら続ける。

 

 「てめぇ。最後の一撃、わざと狙い外しただろぉ」

 

 馬順の言葉の真偽を見定めようと、霆華は模擬戦終了直前の記憶をたどる。

 

 佐治の笑顔。削り取られ、霧散する紫鎧。


 驚愕の表情を浮かべる馬順……。

 

 (……だめだ。まったく心当たりがない)

 

 断片的に流れる場面のどこにも、馬順に手心を加えようとする自分がいたとは思えなかった。

 

 呆ける霆華の表情に、馬順はますます語気を荒げる。

 

 「あぁぁぁあああ!もう!とぼけやがってぇ!いいか!あの一撃が頭に当たってたら間違いなく俺の負けだった。


 だがな!あの一撃以外、俺はお前ぇに負けちゃいねぇ。忘れんなよ」

 

 そう言って馬順は広間の奥の通路へと消えて行った。

 

 「あの一撃以外……ねぇ」

 

 霆華としてはあの模擬戦は完敗、と呼べる内容だった。

 

 しかし、馬順もまた、自分の勝ちと断言できない様子らしい。

 

 (まぁどうでもいいか。一矢報いることができた、ってことで)

 

 そう結論付け、霆華は静焔を探して広間を歩き始める。

 

 窓がないせいで、一日中薄暗い通路に置かれた木箱に馬順は片膝を立てて座っている。

 

 今、自分を見つめる視線には、恐怖、憎悪、畏怖などの念がねっとりとまとわりついてくる。

 

 そうした視線から逃れる道中、この木箱をヤドリギにした。

 

 何とは無しに空中を眺めている馬順の耳に、石の道を叩く足音と何かを引きずるようなギリギリという音が届く。

 

 「――こんなところで、何をやっているのだ」

 

 不意に話しかけられ、馬順は声をした方へ向き直る。

 

 そこには、妙に刃の部分が大きい鋼鉄製の戦斧を携えた宋健が、警戒の色を強めて立っていた。

 

 「何って……。別に何も。誰もいないところに来たかっただけだ」

 

 「まぁそれも致し方ない。お前は魔崩を使った。それは紛れもない事実だからな」

 

 宋健の言に、馬順は顔を反らす。

 

 「ところで、お前に聞きたいことがある――」

 

 そう言って宋健は、手に持っていた戦斧を馬順の眼前へ向ける。

 

 「お前の目的はなんだ。なぜ、静焔様たちと共にいる」

 

 自分へ向けられた分かりやすい殺気に、馬順は不敵に笑みを浮かべる。

 

 (あのおっさん並みにやべぇ殺気……。多分、俺がはぐらかすよぉなことを言ったら、間違いなく切りかかってくる……)

 

 僅かに逡巡したのち、馬順は口を開いた。

 

 「……生まれた土地に帰りてぇ。そこに繋がるかもしれねぇ道を進んでるのがあいつらだった。それだけのことだ」

 

 言い終わると、馬順は宋健をしっかりと見据える。

 

 嘘偽りを疑うならこの目を見ろ、と言わんばかりの態度に、宋健は大きく息を吐き、向けていた戦斧を下ろした。

 

 「なるほど……。とりあえず、この場での処分はやめておこう」

 

 馬順の目に嘘を読み取れなかった宋健は、そう言いながら馬順の前を通り、広間へと向かう。

 

 「あぁ、それとな」

 

 背中越しに語る宋健の雄大な背を馬順は見やる。

 

 「もし、静焔様たちを邪魔したり裏切ったりしたときは――」

 

 ギロリ、と肩越しに馬順を睨む。


 「この俺がお前の首をその胴体から切り離してやる。ゆめゆめ、忘れるなよ」

 

 有無を言わさぬ迫力と斧よりも鋭いその視線に、不覚にも馬順はその背が凍えるのを感じた。

 

 「――本当に、もう行っちまうのか」

 

 静焔、霆華、馬順がそれぞれの支度を整え、ここに来た時とは反対の――北の大森林へ続く大門扉の前に立っている。

 

 「あぁ。いろいろ世話になったよ。ありがとうな、兄貴」

 

 霆華は自らが兄と慕い、背中を預けあった戦友と言葉を紡ぐ。

 

 「――やっぱり、俺の複合弓はもらってはくれねぇのか」

 

 「うん。それは、やっぱり佐治の兄貴が持っててくれるのが一番しっくりくる気がするんだ」

 

 「そんなこと言ったって、俺は……」

 

 そう言って、佐治は己の失った左腕に視線を落とす。

 

 「大丈夫だって!兄貴は強い奴だって俺は知ってる。きっとこれから何とかなるさ!」

 

 霆華は佐治の左肩を強くつかむ。

 

 左腕は失っても、この双肩に背負った覚悟と矜持は取り戻した、とその行動だけで、言葉以上に雄弁に、二人には通じ合った。

 

 「それじゃあ、世話になったな、宋健」

 

 「静焔様、どうか雪焔様が無事見つかること、心からお祈りしております」

 

 簡単な言葉を2,3言交わし、静焔はくるりと大森林の方角をまっすぐに見つめる。

 

 「よし、行くか。霆華、馬順」

 

 「はい!」「あいよぉ」

 

 一行は各々の歩幅で歩き始める。

 

 砦から出迎えてくれた戦士、技術屋、料理人らに手を振られながら、一行は目的地である北の大森林を見据える。

 

 地平線にへばりつくように、うっすらと木々のうねりが見て取れた。

 

 (待ってろよ、雪焔。もうすぐ、追いつくからな――)

 

 静焔は強い決意を胸に、陽光に押されながら前へ進んでいく。


 「――行っちまったなぁ」

 

 最前線で見送っていた佐治は、3人の姿が見えなくなると、ぽつりとつぶやいた。

 

 くるりと振り返ると、外に出ていた面々が佐治を心配そうに見つめている。

 

 彼は、二ッと大げさに笑顔を作ると、努めて明るく声を張り上げた。

 

 「なんだよ皆。俺はもう大丈夫だって!バリバリ修行して、また戦場に出てやるからよぉ!」

 

 「佐治――」

 

 弁説を振るう佐治に、高斎が神妙な面持ちで近づいていく。

 

 そして、ガッと深く肩を組みながら、高斎が言う。

 

 「佐治――。悪ぃがお前の剣の腕じゃあ、戦場は無理だ……」

 

 突然の言葉に、佐治は驚いて高斎を見つめ、その後、周りの面々を見渡す。

 

 「――どういうことだよ……。俺も一緒に戦わせてくれよ!なぁ!!お前らぁ!」

 

 佐治の訴えを、しかし面々は目を反らして応える。

 

 「宋健様!宋健様はどう思うんだ。俺は、戦場には、もう立てないのか」

 

 縋るように尋ねられた宋健は、静かに答える。

 

 「佐治よ。先刻、高斎が言ったように、お前の剣の腕では到底出すわけにはいかない……。お前の命の問題だ」

 

 佐治の目の前が暗くなる。

 

 霆華の兄でいると再び約束した。

 

 それに恥じぬ働きを積む決意もした。

 

 ――その結果が、これか……。

 

 「そう。剣の腕では落第だ……。お前の武器は弓だろうが!」

 

 えっ?と顔を上げた佐治の目の前で、不意に折り重なっていた面々が左右に割れる。

 

 その奥からは薄汚れた服を着こんだ職人が3人。白い包みを抱えて歩いてきていた。

 

 彼らは佐治の前まで来ると、その包みを無言で差し出す。

 

 「佐治よ。俺たちの作品に、あと一つ素材が足りねぇ。お前さんの複合弓、出しな」

 

 「え?お前ら何を……って、ちょっと!おい!」

 

 佐治の了解を待たずして、一人が佐治を取り押さえ、一人が複合弓を回収する。

 

 「何しやがる!てめぇら、下手な事したら許さねぇぞ!」

 

 激高する佐治を尻目に、彼らは包みを広げ、現れた木材の部位に、複合弓をぴったりとはめ込んだ。

 

 「よし!これでひとまず完成だ!」

 

 そう言って職人が掲げたのは、複合弓を横に固定し、引き金によって矢を射出する、


 ――片手でも弓の扱いを可能とする逸品であった。

 

 「そら、こりゃお前さんにくれてやる」

 

 突然の出来事に理解が追いつかず、目を白黒させている佐治は、差し出された武器を反射的に受け取る。

 

 「なーにをボサッとしとるだ。はよ、試し打ちせんかい!」

 

 戸惑いが収まらないまま、佐治は周りの面々を見渡す。

 

 皆、この出来事をさも当然のように受け入れているらしい。

 

 (そうか……そう、か……)

 

 いつの間にか流れていた大粒の涙が複合弓を濡らす。


 ――自分の居場所を守ってくれた。

 

 ――自分の尊厳も守り抜いてくれた。

 

 ――じゃあ、自分が見せるべき姿は、これだ!

 

 佐治は、右手に持った武器を砦へと向ける。

 

 バシュッと鋭い音を立てて放たれた矢は――、

 

 3尺先、砦の壁伝いをせわしなく駆け上る一匹のトカゲの頭部を正確に射抜いた。

 

 大地が割れんばかりの歓声が広がる。

 

 高斎がワシャワシャと頭を撫でまわしてくる。

 

 ふと見ると、宋健も満足げに頷きながら手を叩き、賛辞を送ってくれている。

 

 佐治はこの時、大粒の涙を流して笑っていた――。

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