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第十三話 前線砦にて “兄”と“弟”

  (俺は――何を見ているんだ……)

 

 昔、自分を“兄”と慕ってくれた奴がいた。

 

 そいつは弓については掛け値なしに天才だった。

 

 教えれば何でも、――俺以上に――上手くやってのけた。

 

 才能の壁に、遠ざけようとしたこともあった。

 

 それでも、そいつから垣間見える幼さや危うさを無視することはできなかった……。

 

 しかし、精神的な鍛練を残した奴を置いて、俺は前線に来ちまった……。

 

 そう、思っていたのに――。

 

 (俺は、何でこんなところで、ただあいつを見ているんだ!)

 

 鍛錬場でボロボロになりながら、たどたどしく短剣を振るう霆華を背に、佐治は観客席を後にした。


 馬順の右拳が霆華のこめかみを掠める。左耳から風を切る鋭く高い音が入ってきた。

 

 硬直しそうな体を強引に前へ倒し、強引に馬順の首筋へ短剣を向かわせる霆華。

 

 馬順は右足を軸に左へ回りながら短剣を躱すと同時に霆華の頭部を右手でつかむと、回る勢いを乗せて強引に投げ飛ばした。

 

 ズザザ……と地面を這う霆華の軌跡が地面に刻まれる。

 

 すぐさま立ち上がり、口に入った砂を吐き出しながら霆華は馬順を向き直した。

 

 体に刻まれた無数の傷が種類の異なる痛みを絶えず送り込んでくる。

 

 所々に切られたような傷跡が見られるのは、一部は自分の短剣で切ってしまったものだが、大部分は馬順の鋭すぎる拳のせいだ。

 

 (こんなんじゃ、まだ足りねぇ。兄貴に顔向けできねぇぜ)

 

 自分とは対照的に、呼吸一つ乱さず目の前に立つ馬順めがけ、霆華はまっすぐ距離を詰める。

 

 (とにかく、まず一撃……!)

 

 体勢を低く急接近する霆華に合わせ、馬順は大げさな振りで右の拳を合わせる。

 

 (やっぱり、俺を舐めて大振りになるよな。でも、そこを突かせてもらう!!)

 

 見た目以上の質量が込められたように感じる拳とッ衝突する直前。

 

 ――霆華は大きく左へと飛び退いた。

 

 振り抜いた右腕を境に、馬順と霆華の目線が交差する。

 

 大振りが故に生じる後隙。

 

 この好機をつかむため、今度こそ霆華は一直線に馬順へと迫る。

 

 「これで、どうだぁぁ!」

 

 「――甘ぇわ」

 

 初めに霆華が感じたのは凛と冷たい空気。

 

 そして己を包む浮遊感と、上空に乱反射する星々。

 

 今日だけで、何度感じたかわからない木材の固さを背中に受ける。

 

 明滅する視界の隅で、馬順は右手を大きく体の横へ突き出している。

 

 (あぁ、ここまで殴り飛ばされたのか、俺は)

 

 頭の中のガンガンとなるものは止まらない。

 

 耳の奥ではザーザーと土砂降りのような音が鳴り響いている。

 

 かろうじて右手が動くのを確認し、霆華は目を走らせ、馬順の足元に短剣が転がっているのを見つけた。

 

 (馬順なら、たぶん言ったら投げてくる。自分の脅威にはなりえないから……)

 


 霆華は己の弱さに右手で砂を固く握る。

 

 彼を応援していた鍛錬場の面々も今は重苦しい雰囲気を出しながら押し黙っている。

 

 ――魔軍には勝てないのか。

 

 ――魔崩だけでも厄介なのに、あの膂力は、もう……。

 

 声にはならずとも、その悲壮な叫びは静焔の背に、そして霆華の肌にまで届いた。

 

 (俺は、何もできず……いや、必死に魔軍と戦ってきた人たちの心を折ってしまった、のか)

 

 唇にできた新しい傷口からポタポタと血が落ちる。

 

 砂を握る掌に五指の爪が食い込み、握りしめた砂を赤く染める。

 

 「もう終わりかぁ?ま、弓が無いお前ぇとやってもつまらんし、この辺でいいよな」

 

 悔しさを押し隠す霆華を横目に見ながら、馬順が霆華と反対側の出口へと歩く。

 

 (止めないと……。止めないと……)

 

 必死に声を出そうとする霆華だが、それができない。

 

 喉がつぶれているのではない。

 

 絶望、という感情が霆華の声を押しとどめていた。

 

 (畜生……畜生……)

 

 せめて一撃。それさえも自分はできないのか――。

 

 必死に繋ぎ留めてきた意識が遠のいていく――。


 「霆華ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 自分が突き刺さった壁の上からの呼び声に、霆華の意識が引き戻される。

 

 声がした頭上を見上げると、星空を覆い隠して黒い物体が投げ込まれてきた。

 

 「これは……」

 

 霆華は這うように前進すると立ち上がり、改めて観客席を見上げた。

 

 「よぅ、霆華!お前ぇ。また腕だけで引く悪癖出てんぞ!全身で引けッつったろうが。兄貴の顔に泥塗るんじゃねぇぞ」

 

 左袖を風に遊ばせながら、弓の主はそう言って大げさな笑顔を作る。

 

 ――あの笑顔には見覚えがある。

 

 ――自分を勇気づけるときにはいつもああしてたっけ……。


 「当ったり前ぇだ!よぉく見とけよ!兄貴!!」

 

 投げ込まれた複合弓を手に取る。

 

 大きく息を吸い込み、長く吐いた後、霆華はやり取りを傍観していた馬順に向き合う。

 

 「お。弓を取ったか!いいねぇ~。これでまだ楽しめそうだなぁ」

 

 「いいや――」

 

 はしゃぐ馬順とは対照的に、霆華は冷静に返す。

 

 「これ以上は無しだ。この一射でお終いさ……」

 

 そう言って、霆華はゆっくりと佐治の複合弓を構える。

 

 使い込まれ、無数の傷が刻まれた弓だ。

 

 ずっしりとした重さを、両の脚で支える。

 

 先ほどまで握ることさえできなかった左手が、今は深い茶色を力強く包み込む。

 

 矢を番え、まっすぐに引く。

 

 全身で、今までよりも一段深く霆華は矢を引き込んだ。

 

 「ありがとう、佐治。――おかえりなさい」

 

 ヒュンッと霆華が右手を話したと同時。

 

 矢が一直線に馬順へ向かって飛ぶ。

 

 「はっ!これで終いってぇのはどういうことか知らねぇけどよ!また弾き飛ばしてやんよぉ!」

 

 紫の光を纏う右の拳を突き出し、馬順は迫る矢を迎え撃つ。

 

 鏃と紫の鎧の距離が加速度的に縮まり、やがて零になる。

 

 そして、矢は馬順の鎧を削りとり、そのまま鍛錬場の壁に深々と突き刺さった。


 「はぁ!?」

 

 目を丸くした馬順が突き刺さった矢を見る。

 

 先ほどまで弾いていたものと同じだ。

 

 その事実と、目の前で起こった事象。そして、頬を伝う生暖かい感覚が結びつかない。

 

 「お、お前ぇ!なにしたんだ今ぁ!!」

 

 自分が明確に攻撃を受けたと自覚し、馬順は霆華に向き合った。

 

 (よかった……)

 

 霆華は慌てふためく馬順の小さな頬の傷から流れる血液を見て、霆華は安堵する。

 

 (何十発中の一発だけど、佐治を馬鹿にした報いだ……ぞ)

 

 未だにギャーギャーと喚く馬順の声を聞きながら、霆華はその場に前のめりで倒れこんだ。

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