第十四話 三顧の礼 2 第二の来訪 「覚悟の重さを試す」
うららかな春は、偽りの夢だったかのように、数日後、天は再びその牙を剥いた。
真冬に逆戻りしたかのような凍てつく風が吹き荒れ、空は鉛色に閉ざされ、大粒の牡丹雪が世界から音を奪っていく。
このような日に、訪れる者などいるはずがない。
弟の均が火鉢のそばでうたた寝をしていた、その時だった。
雪を踏みしめる複数の重い足音が、確かに草廬へと近づいてきた。
「兄上…!」
均が驚いて声を上げると、奥の部屋で書を読んでいたはずの孔明が、いつの間にか衣を重ね着し、静かに横になっていた。
「均。私は昼寝をしている。客人が来ても、決して起こしてはならぬ。『兄は書斎に籠もり、旅の疲れで今は誰とも会えぬ』…そう告げるのだ」
その声には、有無を言わせぬ響きがあった。
戸口に立った均の目の前には、雪だるまのようになった三人の姿があった。
先頭に立つ劉備の眉や髭には、白い氷の粒がびっしりと張り付いている。
均が、兄の言いつけを震える声で告げると、またもや張飛の怒りが爆発した。
「昼寝だと!? この吹雪の中を、我らが二度も足を運んだというのに、今度は昼寝だとぬかすか! 馬鹿にするのもいい加減にしろ! 兄者、もう我慢ならん! あの男の寝首をかき、この草廬ごと火を放ってくれようぞ!」
「三弟、ならん!大声出すな!」
関羽が必死にその口を塞ぐ。
彼の顔にも、寒さと度重なる無礼に対する怒りが滲んでいた。
だが、劉備は、その二人を声ではなく、ただ静かな佇まいだけで制した。
彼は、戸口の前に仁王立ちになると、まるで雪の中に根を張る古木のように、ぴくりとも動かなくなった。
「二人とも、静かに。臥龍先生は、我らのために、民のために天下国家の大計を練っておられるのかもしれぬ。我らがここで騒ぎ、その思索を妨げることこそ、最大の非礼。民の苦しみに比べれば、この身に積もる雪など、何ほどのこともないわ」
それきり、三人は黙した。
草廬の中。
横になったままの孔明は、眼を閉じ、全神経を聴覚に集中させていた。
壁一枚を隔てた向こう側から伝わってくる、三人の気配。
雪が衣に積もり、その重みで微かにきしむ音。
寒さに耐え、吐き出される荒い息遣い。
そして、張飛と関羽の焦燥と、それを包み込む劉備の、あまりにも深く、重い静寂......
(私欲ではない…)
孔明は確信していた。
(もし、己の名誉や利益のために私を求めるなら、心はとうに折れている。この吹雪の中で、彼の心を支えているのは、功名心などという軽いものではない。それは、真に民を憂い、この世の理不尽を嘆く、純粋な『願い』の重さだ)
それは、かつて友·徐庶が語った光の姿そのものだった。
どれほどの時間が過ぎただろうか。
その時、外から、劉備の静かだが決然とした声がした。
「雲長、翼徳。今日はここまでだ。陽が落ちる。これ以上は、帰路が危険すぎる。…先生には非礼を詫び、日を改めて参ろう。我らの務めは、ここで無駄死にすることではない」
三人が去っていく足音が、雪に吸い込まれて遠ざかる。
孔明は、ゆっくりと身を起こすと、凍えるような板張りの床を歩き、窓の隙間から外を覗いた。
白一色の世界に、深く、真っ直ぐに、三人の足跡が刻まれていた。
それは、いかなる吹雪にも揺るがぬ、彼らの意志の軌跡そのものだった。
(第二の試験、合格だ…)
孔明は、その足跡を見つめながら、固く拳を握りしめていた。
(あなたの覚悟の重さ、しかと受け止めた。その優しさの裏に、鋼の意志があることも。だが、玄徳殿…最も重要な問いが、まだ残っている)
孔明の脳裏には、荊州と益州の地図が広がっていた。
その計は、覇道と紙一重の劇薬。
あなたの言う「仁」が、その薬の毒に耐え、民を救う真の「徳」となり得るのか。
それとも、ただの綺麗事として砕け散るのか。
三度目に会う時。
それこそが、この臥竜があなたを主と認めるか、あるいは、永遠に淵の底へと去るかを決める、最後の審判の時となる。
《読者の皆様へ》
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