二十一話 長期休暇
季節は変わってゆく。
学園祭が終わり、暗殺未遂という不穏な影も人々の口からは遠ざかり、表向きは平穏な日常が戻ってきていた。アンネリーエもまた、難なく学校生活を送り、そのまま長期休暇に突入した。
王立エルンスト学園の規律では、長期休暇には原則、それぞれの実家へ帰ることと定められている。庶民もそうだ。例外はほとんどない。
馬車を降り、扉を押し開けると、懐かしい空気が胸を満たす。
「ただいま戻りました」
「まあ! 私の愛しいアンネリーエ! 元気にしていたかしら?」
朗らかな声が迎えてくれた。
「はい。ツェツィーリエ様」
特級魔法使いの一人〈黄昏の魔女〉ツェツィーリエ・イザベラ・ファルケンハイン。クロイツェル家に仕える魔女にして、アンネリーエの師であり、義母のような存在だった。血の繋がりこそないが、幼い頃から厳しく、そして誰よりも深い愛情を注いでくれた人である。
ツェツィーリエはふわりと抱きしめるように両腕を広げた。年齢を重ねてもなお気品と美しさを失わぬ姿は、宮廷にあっても人目を引くだろう。
「少し痩せたんじゃなくて? それとも学園で無理をしたのかしら」
「いいえ。……学園は忙しくも充実しておりました」
アンネリーエは柔らかく答える。だが、舞踏会での爆発事件やらなんやらがあった。口には出せないが、それを機にアンネリーエの周囲の人間関係は微妙に揺らぎはじめている。
ツェツィーリエはそんな胸の内を見透かしたかのように、細い指先でアンネリーエの頬を撫でた。
「……強い子。でもね、アンネリーエ。強さばかりが美徳ではないわ。時には弱さを見せることも必要よ」
アンネリー絵は、学園では氷の彫像と呼ばれるほど冷静さを崩さず、誰に対しても隙を見せなかった。けれど、ツェツィーリエの前ではその仮面が少しだけ軋む。
「……心得ております」
そう小さく答え、アンネリーエは視線を落とした。
玄関の奥では、家臣や侍女たちが次々と荷物を受け取っていく。広い廊下に並ぶ燭台、緋色の絨毯。幼い頃から慣れ親しんだ邸宅の風景だ。
やがてツェツィーリエが声を落とした。
「それで……学園祭はどうだったの? 聞くところによると、とても華やかだったそうじゃない」
「はい。舞踏会も盛況でした」
「誰と踊ったのか、私に教えてくれるかしら?」
からかうように微笑むツェツィーリエに、アンネリーエは一瞬言葉を詰まらせる。
舞踏会にあったこと––––それを正直に告げることはできなかった。
アンネリーエは、レオンハルトの婚約者だ。婚約者以外の殿方と––––ましてや、第一王子ともなればなかなかすごいことになる。
「……ごく普通に、役員として務めを果たしただけです」
「まあ、そういうことにしておきましょう」
ツェツィーリエは深く追及しなかった。ただその瞳には、慈しみとほんの少しの憂いが宿っていた。
夕餉の支度が整うまでの間、アンネリーエは久しぶりに自室へ戻った。大きな窓から見える庭園には、夏の花が咲き誇っている。机の上には昔愛用していた羽根ペンがそのまま残っており、懐かしさに胸が震えた。
––––だが。
「……お父さま」
「主のお父上がどうかしたのか? 主よ」とフィンスが言う。
「ええ。会わないといいけど」
今は、クロイツェル公爵である父は王都にいるらしい。領地であるここにはしばらく戻ってこないので、一安心だと思っていたが、どうやら戻ってくるらしい。
「主の師匠、ツェツィーリエと言ったか。彼女はすごいな」
「でしょ?」
「……氷の令嬢が自慢げに話してる……だと?」
「いいでしょう、それくらい」
「別に大丈夫だが……そんなに食らいつくとは思っていなかった」
アンネリーエはフィンスを睨んでから、本棚から本を取り出した。
アンネリーエは、フィンスを連れて廊下を歩いていた。久方ぶりに家の空気を胸に吸い込んでも、心の底は晴れない。
「……主、顔がこわばっている」
「『氷の公爵令嬢』とは名ばかりね」
「まあ、こわばるのも無理ないか……公爵が帰ってきておられるのだろう? 父が帰ってきたときの辛さはモントからよく聞いた」
「そう」
モントは、アルベルトについているリヒトと、レオンハルトについているナハトからの情報を伝達してくれる係だ。王宮に居座っては宮廷魔道士にばれる可能性があるので、ただの情報伝達係にしておいた。
アンネリーエは歩みを緩め、静かに吐息を洩らした。父、ベネディクト・エトガル・クロイツェル。冷徹な領主にして、常に権力と秩序を最優先する男。
「おや」
「……あら」
家の大玄関には、意外な人物が立っていた。
父ではなく––––兄だ。
「帰ってきていたのか……ああ、エルンストではちょうど夏季休暇か」
アルブレヒト・アルトゥル・クロイツェル。
「お久しぶりでございますわね、お兄様」
「ああ。久しぶりだな、妹よ。ちょっと痩せたか?」
「気のせいでしょう」
「そうか。ならよかった。時間があるなら、ちょっと私の部屋まで来てくれないか?」
「はい」
珍しいなあと思いながら、アルブレヒトの後ろについて行った。
部屋に着くと、アルブレヒトは椅子に腰掛け、組んだ手を机に置いた。
「父上から聞いたのだが、学園での舞踏会、騒ぎがあったそうだね」
アンネリーエの胸が微かに跳ねる。十中八九、あの小爆発事件のことだろう。だが、アルブレヒトが知っているはずはない。外に漏れぬよう処理されたはずだ。
「そのような話を、お父様はどこからお聞きになったのですか」
「知らない。なるほど、やはり外に漏らしてはいけない類か」
(なぜ漏れた?)
爆発の件を知るのは学園関係者か、ごく限られた上層だけ。なのにアルブレヒトが––––いや、ベネディクトが既に察知している。裏で誰かが情報を流している証拠だ。
「アンネリーエ。これも父からの情報だが、君は、第一王子殿下と一緒に踊ったそうだね」
本当になぜ知っているのだろうか。
「殿下が望まれました」
「そう。なら別にいいよ。父上は、家の信頼がどうとか言っていたけど、そもそも第二王子が別の淑女たちと絡んでいるわけだし、そもそも、妹の自由を奪う権利は、私にも父上にもないからね」
「……」
「アンネリーエ。君は、偉大なる〈黄昏の魔女〉ツェツィーリエの教えを受けた誇り高き魔女だ。父上は、家のために使えと言うが、それは君自身に使いなさい」
久しぶりに会った兄は、いつもと変わらぬ笑みを浮かべていた。




