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Ashen Crown  作者: 篠宮あかね
入学編
2/4

一話 アンネリーエ・ローエ・クロイツェル

 教室の扉を開ける。教室に一歩足を踏み入れただけで教室内が騒ぐ。

「クロイツェル公爵令嬢だ……」

「同じクラスになるなんて……」

 本当に、うるさい。

 アンネリーエは無表情のまま扉を閉め、淡々と床を歩く。アンネリーエが席に着こうとすれば、近くの生徒が慌てて立ち上がり、「どうぞ! 空いてます!」と声をあげる。

 アンネリーエはちらと視線を流すだけで、その生徒は顔を赤らめ、教室を飛び出す。

 アンネリーエが席に腰を下ろした瞬間、教室内のざわめきはさらに小さくなった。誰もが彼女を遠巻きに見つめ、息をひそめている。

「……面倒くさい」

 小さく呟き、机に手を置く。その冷静な視線は、生徒たちの視線をさらに重くするだけだった。

 すると、その直後、教室の扉が静かに開き、整った身なりの青年が現れた。

 生徒会役員の制服に、生徒会長の紋章。このヴァルトシュタイン王国の第一王子、アルベルト・フォン・ヴァルトシュタインである。

「クロイツェル嬢」とアルベルトは整った顔を周囲に振りまけながら言う。

「はい」

 アンネリーエは一礼し、言葉遣いも表情も変えず、アルベルトを見据える。

「何のご用でしょうか」

「放課後に生徒会室へ」

「わかりました」

 アンネリーエは軽く頷き、すぐに机に置いた書類を整理し始める。その姿に、教室内の緊張感はなお続いた。

 授業が終わると、アンネリーエは足取りを揃えて廊下を歩いた。廊下の生徒たちが立ち止まり、囁き合う。

「生徒会長に呼ばれるって……」

「公爵令嬢って、どこまで特別扱いされるの?」

「はたから見てると傲慢な令嬢にしか見えないんだけど……」

「しっ、聞こえるだろ」

(聞こえてるよ)と思いながら生徒会室に急いだ。

 生徒会室の扉が見えてくる。アンネリーエはまったく躊躇わず、扉を押した。

 中には生徒会役員全員が座っていた。真ん中にいるのは会長のアルベルト、そして、副会長ことアンネリーエの婚約者である第二王子のレオンハルト、会計のオスヴァルト・ギード・クライン、執行のヒルトラウト・マリアン・シリングスがいた。侯爵家の次男と、伯爵家の長女だ。なかなかに高貴な人たちが揃っている。

「クロイツェル嬢」

「はい」

「そこに座っていいよ」

「ありがとうございます」

 遠慮がちに座る仕草を見せながら、アンネリーエは虹色の瞳で冷静に俯瞰する。

「クロイツェル嬢。君は第二王子の婚約者であり、学園でも注目される存在だ。ゆえに、生徒会役員ではないと言うのはおかしい話だろう」

「……確かに、そうですね」

「君の才覚は知っているよ。生徒会に貢献してくれないかい?」

(まあ、王族に頼まれた時点で……)

 拒否権などないのだろう。

「わかりました」

 静かに頷くと、アルベルトは軽く笑みを浮かべた。

「では、今日からよろしく頼む」

 これからもっと注目されることになるだろう。

 本当に面倒臭いと、アンネリーエはつくづく感じた。


 生徒会室を出たアンネリーエは、すたすたと廊下を歩く。

 廊下に差し込んだ陽光が眩しい。そう言えば、アンネリーエは色素が薄いと医師に言われていたんだったか。なるほど、太陽に弱いのだ。

「……?」

 廊下の先に、誰かが立っている。

「クロイツェル公爵令嬢」

 短く切り揃えた焦げ茶色の髪に、真っ直ぐな琥珀色の瞳。制服の襟元には、きっちりと結ばれたリボン。社交界ではみたことのない。平民の学生だろうか。

「申し遅れました。私はアデリナ・ハーリッシュ。一般家庭からの奨学生です」

「初めまして。……それで?」

 アンネリーエは、警戒するわけでも、見下すわけでもなく、ただ事務的に返す。その冷たさに、アデリナは一瞬たじろいたようだが、すぐに言葉を続けた。

「……あなたと、同じクラスです」

 アンネリーエはわずかに目を細める。よく見ると、アデリナは教室にいた。目立たなかったが、整った姿勢で授業を受けていた生徒の一人だった。

「……それで?」

「あなたとお友達になりたいです」

「お友達?」

「ええ。誰にも媚びず、感情を見せず、それでいて常に冷静。そんな方がお友達だなんて、嬉しすぎます。私、あなたのことをもっと知りたいのです」

 また、厄介な子が現れた、とアンネリーエは内心でため息をついた。だが表情には出さない。

「そう。なら、好きにすればいい」

 そう言い残し、アンネリーエは再び歩き出す。アデリナは驚いたように一瞬立ち止まったが、すぐに微笑んでその背を追った。

「ありがとうございます!」

 その日の夕暮れ。生徒寮の自室に戻ったアンネリーエは、窓辺に座って数学書を開いた。

 ページをめくるたびに、数字が規則正しく並んでいく。幾何、関数、定理。無機質で、何の感情もないその世界は、人々との関係に疲れたアンネリーエにとって安らぎだった。

 だが、今日は式が目に入ってこない。

 あの少女––––アデリナ・ハーリッシュ。

 記憶をたどる。教室の中で、アデリナだけが周囲の動揺に流されず、筆を走らせていた。貴族生徒たちの視線にも怯まず、背筋を伸ばしていた。その態度には、奇妙な静けさと、わずかな光があった。

「……珍しい」

 アンネリーエは数学書を閉じる。アンネリーエは、自分に魔法を教えてくれた師以外、誰かの言葉が頭に残るなどほとんどなかった。前にいた学園でもそうだった。

 どう言う思考からくるのだろうか。公爵令嬢に、「友達になりたい」など。

 カーテンの隙間から、夜の風が入り込む。部屋に飾られたランプの光が、制服の袖の刺繍を照らしている。

 生徒会。

 アルベルト。

 アデリナ。

 新しい舞台。新しい役割。そして、新しい人間関係。

「面倒なことばかり……」

 そう言いながら、アンネリーエは再び机に向き直る。

 今、アンネリーエにできるのは、与えられた役割をただ、完璧にこなすこと。

 何も起きなければそれでいい。

「本当に、面倒なところに来てしまったわ」

 独りごちる声は小さく、冷ややかだった。

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