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Ashen Crown  作者: 篠宮あかね
学園祭編
16/22

十五話 器用な精霊

 放課後の学園は、昼間の賑わいが嘘のように静まり返っていた。図書室の閲覧禁止区画の件以来、アンネリーエ、アデリナ、リーゼロッテの三人は以前にも増して一緒にいることが多くなった。

「ねえ、アンネリーエ嬢」

 アデリナが腕を組んで小声で囁く。「あの禁書の事件……先生たちには報告しなくていいのかしら?」

「……余計な騒ぎになるだけよ」

 アンネリーエは穏やかに答える。その声には迷いもあったが、二人に心配をかけたくない気持ちが勝っていた。

 その時、学院の中庭に設けられた魔法演習場から、けたたましい音が響いてきた。

「きゃあっ!」

 悲鳴と共に、風にあおられた書類が宙を舞う。三人が駆けつけると、そこには見習いの下級生たちが慌てふためいていた。

「暴走してる!」

 中央にいたのは、小さな召喚獣。授業で呼び出されたはずが、術者の制御を離れ、牙をむいて暴れていた。

「このままじゃ危ない!」リーゼロッテが声を上げる。

(フィンス)

(ああ、主)

(誰かが攻撃魔法をぶつけるのと同時にね)

 フィンスが召喚獣まで飛んでいく。そして、召喚獣を倒そうとした一人の生徒に合わせ、フィンスは精霊魔法を放った。召喚獣は、そのまま倒れ、術者に戻っていった。側から見れば、その生徒が倒したと思うだろう。

 フィンスは、なかなか器用なようだ。

 周囲の下級生たちは「やった!」「すごい!」と歓声を上げ、その生徒の肩を叩いて讃えていた。

「……助かった……」と術者の少年が顔を青ざめながら膝をついた。

「怪我はない?」リーゼロッテがすぐに駆け寄り、ハンカチを差し出す。

「う、うん……ありがとうございます」

「リーゼロッテ・ローレ・アーベラインよ。大丈夫ならよかったわ」

 その光景を眺めながら、アンネリーエはそっと胸の奥でつぶやいた。

(ありがとう、フィンス。……これで誰にも気づかれない)

 けれど、心の底に微かな罪悪感が残った。真実を知らず「自分の力で倒した」と信じている下級生を見ていると、それが胸に刺さる。

 歓声が少し落ち着いた頃、アデリナがアンネリーエの隣に立ち、小声で囁いた。

「ねえ……ちょっと不思議じゃなかった?」

「不思議?」アンネリーエはとぼけた表情で返す。

「うん。あの子の魔法、あんなに威力あったっけ? 普段の授業では全然当てられないって聞いたけど。あ、アンネリーエは魔法学専攻してないから知らないか」

 アデリナは腕を組み、顎に手を添えてじっと考え込む。

 そこにリーゼロッテが加わる。

「ええ、私もそう思いましたわ。今のは……偶然の一撃にしては、少し出来すぎているような」

「ほら!」アデリナが勢いよく頷いた。「私、何か別の力が加わったように見えたんだよね」

 アンネリーエは一瞬だけ目を伏せ、虹色の瞳を隠した。

(やっぱり、二人は鋭い……。でも今はまだ、知られてはならない)

「……考えすぎよ。実戦になると、すごい急成長を遂げる人だっているでしょう」

 アデリナは眉をひそめたまま唇を尖らせた。

「んー……まあ、そうかもしれないけど」

 やがて下級生たちが散り、演習場には三人だけが残された。夕日が差し込み、長い影を地面に落とす。

「でも……」とアデリナが再び口を開く。

「私、思ったの。アンネリーエって、何だかいつも守られてる感じがするの。いや、逆かな……私たちが守られてる、って言った方が近いかも」

 唐突な言葉に、アンネリーエの胸が小さく跳ねた。

「……どういう意味?」

「だって、そうじゃない? あの禁書の時も、今日の召喚獣の暴走も、アンネリーエが一緒にいたから助かった。偶然が重なりすぎてる気がするんだよね」

 リーゼロッテも、慎重に言葉を選ぶようにして続けた。

「アデリナの言うこと、一理ありますわ。アンネリーエがいる時は、必ず危機が回避される。……まるで、あなた自身が幸運を引き寄せているみたい」

 アンネリーエは静かに二人を見返した。

「まあ、公爵令嬢だから」

「それ理由になってなくない?」

「たまたまよ」

 アデリナはやや不満そうだったが、アンネリーエが寮に向かって歩き出したので渋々着いてきた。

「……まあいいや」アデリナが急に笑顔を取り戻し、軽い調子で言った。「とにかく今日も助かったんだから、それでいいじゃない!」

「そうね」リーゼロッテも頷く。「偶然であれ必然であれ、無事でいることが一番大切ですもの」

 まだバレなさそうだなと、アンネリーエは安堵した。

 夕陽が落ち切る頃、学園の大理石の回廊にひんやりとした夜気が流れ込み始めていた。アンネリーエは、アデリナやリーゼロッテと寮の棟が違うので、アデリナとリーゼロッテと別れ、ひとり寮へ戻る道を選んでいた。

 履いた革靴の音が石畳に規則正しく響く。

「クロイツェル嬢」

 澄んだ声が後方から響いた。アンネリーエが立ち止まり、振り返ると、月明かりの下に立つ人物があった。アルバートだった。

「殿下」

 アルバートは数歩近づき、アンネリーエの正面で足を止めた。

「先ほどの騒動を耳にした。召喚獣の暴走があったとか」

「ええ。ですが、下級生の訓練不足による些細な事故にすぎません」

「……そうか」

 アルバートの眼差しは、アンネリーエの虹色の瞳をまっすぐに捉えていた。

 冷静沈着なその男に似つかわしくない、一瞬の微かな柔らかさがその瞳に宿ったことに、アンネリーエは気づいていた。だがアンネリーエの顔には変化ひとつ生まれない。興味などない。

「クロイツェル嬢。レオンハルトのことについてちょっと言いたいことがある」

「はい、他の女子生徒と歩いていることですか?」

「そうだ」

「前にも言っておられませんでしたか?」

「ああ。だが……人数が増えていた」

 精霊たちから聞かされて知っていたので、まったくもって驚かなかったが、アルバートからしたら心が痛む話らしい。別に、政略結婚と言うのはそう言うものだろう。

「クロイツェル嬢……」とアルバートが言いかけたその瞬間、背後から軽い靴音が響き、二人の間に割り込む影が現れた。

 レオンハルトだ。金茶の髪を乱し、制服の襟をいい加減に着崩した姿。アルバートはきっちり着こなしているが、いかんせんこの兄弟は対照的すぎる。レオンハルトに清潔さを求めるだけ無駄だろう。腕には見目麗しい女子生徒を伴い、口元に不遜な笑みを浮かべていた。

「おやおや。兄上と俺の婚約者殿が、こんなところで逢瀬とは」

 軽薄な声音に、連れの女子生徒がくすりと笑う。

「レオンハルト殿下」

 アンネリーエは一切の感情を含まぬ声音で応じる。視線すらレオンハルトに向けない。

 それが逆に、レオンハルトの癇に障るのだろう。レオンハルトは鼻を鳴らし、冷笑を浮かべた。

「ほんと、可愛げがない。公爵家の娘ともあろうものが、いつも仏頂面で……俺には退屈で仕方ない」

 傍らの女子生徒が「まあ」と口元を覆い、愉快そうに目を細める。

「……カロリーネ・ゲルダ・メーベルト子爵令嬢」

「……っ!」

『どうせ公爵家なんて、子爵家のことは知らないんでしょ、でも、レオンハルト殿下は知っていたわ––––あなたは、無能なのね』と言いたかったのだろう。ものすごく悔しそうだ。

「……レオンハルト殿下に愛されていなくて可哀想。公爵令嬢でしょう? 婚約者を見つけなければならないのではなくて?」

「なにを言っているの? 私はレオンハルト殿下の婚約者よ。愛がなくても、政略結婚なのだから」

「……夢がないわね」

「夢なんていらないわ」

 アンネリーエとカロリーネの会話を途切れされるように、「クロイツェル嬢」アルバートが口を開いた。その声は低く静かだが、氷を割るような鋭さを含んでいた。

「君に落ち度はない。自らを恥じる必要もない」

「承知しております、殿下」

 アンネリーエは、ただそれだけを答えた。虹色の瞳には何の揺らぎも映さず、ただ冷ややかな静謐を湛えている。

「ふん……まあいいさ」レオンハルトは肩をすくめ、カロリーネを伴って歩み去っていった。その背中には、己の優越を誇示する軽薄さしか漂っていなかった。

「まったく……やはり、私の婚約者にならないかい?」

「ご冗談を」

 いつもと変わらぬポーカーフェイスで、アンネリーエは寮までの道を歩いて行った。

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