十四話 閲覧禁止区域
昼休み、学園の中庭。
なんと、アンネリーエと、アデリナ、リーゼロッテのお茶会が広げられていた。
「アーベライン伯爵令嬢」
「なんでしょう?」
「呼ぶには、ちょっとそのままだと長いので、リーゼロッテ、でもよろしい?」
「もちろんですわ」
陽光が穏やかに差し込むベンチの周囲では、いつも通りの笑い声が響いていた。
「最近、ちょっと雰囲気が変わったと思わない? ね、リーゼロッテ嬢」
「リーゼロッテ、でよろしいですわ。……そうですわね。空気が……張りつめてる気がしますわね。でも、アンネリーエはまったく変わっていませんわ」
その言葉に、アンネリーエは紅茶を一口すする。焦らず、沈黙を恐れず、言葉を選ぶ。
「学園は、何かと変化が起きやすい時期だし。噂も飛び交うし、魔力の流れも少し敏感になっているようね」
「……例えば、誰かが強力な魔力を抑え込んでいたら?」
アデリナの問いは、やや唐突だったが、決して無神経ではない。むしろ、確信を持って探っているように見える。アンネリーエは目を細めた。
「魔力を抑え込むには、それなりの技術と覚悟が要ります。そうまでして何かを隠す必要があるとしたら……それは、見せてはいけないものなのでしょうね」
「あたくしたちにはまったく関係のないお話でしたわ」
「そうね。アデリナは、魔法学をやっていたでしょう?」
「うん。でも、そこまでではないよ。この国トップの魔法使いの特級魔法使い〈陰陽の魔法使い〉様にはまだまだ程遠い」
(……)
そう。そうだ。
何を隠そう、アンネリーエは特級魔法使い〈陰陽の魔法使い〉と、名だけ知れた魔法使いとなっている。原因は、父にある。
父が、あまりにも未熟な時のアンネリーエの顔を知らしめたくなくて、名前だけ、と国王に進言したからである。
アンネリーエは、十五歳になった今でも、父から「顔は出すな!」と言われている。
「〈陰陽の魔法使い〉様には誰も追いつけないでしょ」
(はい、魔力量はこの国一番を誇っております)
アンネリーエは紅茶を一口飲んだ後、ふと視線を上げてアデリナとリーゼロッテを見た。二人はまだ無邪気に話し続けている。アンネリーエの秘密は、まだ誰にも知られていない。アンネリーエはそれをこのままにしておくつもりだ。
「ところで、最近の学園の雰囲気、ちょっと違うわよね」リーゼロッテが小声で言った。
「そうね……何か、張り詰めている感じがするの」アデリナも同意した。
「……そう? 私にはわからないわ」
「ええ。何か、誰かが強大な魔力を隠しているのかもしれないわね」
アデリナが眉をひそめた。「隠しているって、そんなことができるの?」
「できるわ。高度な魔法なら、魔力の存在を隠したり、封じ込めたりすることも可能よ。普通はかなりの技術が必要だけど……」
「へえ。それができる人って、やっぱ限られてるよね?」
「〈陰陽の魔法使い〉様はできるでしょうね。あとは、他の特級魔法使いか一級魔法使いか……まあ、私たちは九級だから関係ない話ね」
(これは、知られてはならないこと……)
心の中でそう呟きながら、アンネリーエは普通の令嬢の顔を続ける。
そのとき、アデリナがふと視線を上げて言った。
「ねえ、アンネリーエ。リーゼロッテが話していた、一緒に図書室の奥にあるっていう閲覧禁止区画を見に行かない?」
「……話していたの?」
「ええ。お話ししておくべきかと思って」
アンネリーエは一瞬だけためらった。あの場所は決して軽々しく立ち入っていいところではない。しかし、二人の無邪気な好奇心を止めることもできなかった。
「……わかったわ。一緒に見に行きましょう」
三人は、そのあとマフィンを楽しみ、その日のお茶会を終えた。
翌日、学園。
アンネリーエはアデリナとリーゼロッテを図書室へ案内した。三人は閲覧禁止区画の前に立ち、その重い扉を見つめた。
「本当にここでいいの?」リーゼロッテが少し緊張した声で言う。
「ええ、でも中に入る前に約束しましょう。変なものに触れたり、無断で持ち出したりしないこと」アンネリーエは真剣な表情で言った。
「もちろんよ」アデリナも頷いた。
扉がゆっくりと開かれ、三人は薄暗い閲覧禁止区画へと足を踏み入れた。そこは埃っぽく、長い年月が止まったような空間だった。古びた書物や、朽ちかけた魔法陣の断片が散らばっている。
アンネリーエは心の中で精霊たちに伝えた。
(どう?)
(そうね、空気が澱んで入るかしら)
(なるほど、ありがとうモント)
その時、冷たい風が部屋を通り抜け、何かが動いた気配がした。
リーゼロッテが振り返り、目を見開いた。
「なにか……いる?」
アンネリーエは即座に対応し、光の魔法で薄く守りの結界を張った。
「大丈夫よ」
アンネリーエは、この二人よりもよっぽど強い。だから、アンネリーエが守らなくてはならない。
〈陰陽の魔法使い〉の名にかけて。
結界に触れるように、空気が揺らいだ。
ぼんやりと、影が形を持ち始める。
「……あれは、本?」
リーゼロッテが小さな声でつぶやいた。
確かに、それは古びた魔導書だった。宙に浮かび、誰かが読むようにページをめくっている。
「勝手に……開いてる?」アデリナの声が震える。
アンネリーエは目を細めた。
普通の魔導書ならば、封印の場から動くことはあり得ない。つまり––––これは、意志を宿した禁書。
「危なそうな代物ね……」
誰も近づこうとはしない。当たり前だ、こんな邪悪な気配、吐き気がする。
禁書のページから、黒い靄が流れ出し、床に広がる。
冷たい気配が足元にまとわりつく。
「封印が、弱まっている……?」
アンネリーエは片手を前にかざした。
小さな光が灯り、結界が二重に張り直される。
その瞬間。
「〈陰陽の魔法使い〉」
低く、囁くような声が、禁書から漏れた。
「!」
「今……なんて?」リーゼロッテが恐る恐る尋ねる。
だがアンネリーエは答えなかった。答えられなかった。
(名を、呼ばれた)
そのはずはない。アンネリーエの正体を知る者は、ごく限られているはずなのに。
禁書の靄は人影の形を取り始め、扉の外へと這い出そうとする。
(主!)とフィンスは言い、闇の精霊の力によって禁書を縛る。その縛った禁書に、ナハトは力を注ぎ込み、禁書を鎮めていく。
闇の螺旋が閉じ、やがて禁書は静かに床へと落ちた。
部屋には、しんとした沈黙だけが残る。
「……なに、今の」
「神様が守ってくれたのかも」
あながち間違いではない答えを言いながら、アンネリーエは、「もう帰りましょう」と二人を諭した。




