5-6: この気持ちに名前を付けるとしたら
話があるようなことを言っていたわりに、バスの中でも電車の中でもフウマは一言も話さなかった。あんなに好き勝手言ってアタシを引っ張ってきたのに、どういうことなの。そういう文句のひとつでもぶつけてしまっても良かったような気はしたけれど、そうするのも癪に障るのでアタシも黙り続けていた。
そのままいつもの交差点に辿り着く。アタシからは何もない。それを態度で示すみたいにさっさと自分の家がある方向へ歩き出そうとして――。
「ごめん」
相当な時間をかけてフウマがひねり出したのは、そんな三文字だった。
「『ゴメン』って何よ」
今日はよくわからない理由で謝られることが多いな、なんて考えつくあたり、アタシにも余裕が出来てきていたのかもしれない。今なら少しは落ち着いて話せそうなのに、フウマは全くいつもの調子じゃなかった。
「フウマがアタシに謝るとか珍しすぎでしょ。今まであったっけ、ってレベルだし。っていうか、何? 告白の先回りお断りとか、そういうこと?」
「違ぇよ」
そういうわけじゃないことはわかっているけど、敢えて言ってみた。早口でまくしたてすぎてて、嫌なヤツの受け答えになっているのは間違いない。
だからこそフウマの答えは予想通りだったけれど、それを言ったフウマの表情は予想とは違っていた。悪ふざけとはほど遠い、至って真面目な目でアタシを見つめていた。アタシはその視線を受け止めきれずに、フウマに対して身体を背けた。頬に視線が刺さるような感じがするけれど、正面よりはいくらかマシだった。
「オレのせいで、ナミにお前のことを誤解させてたこと、とか」
「あー……」
たしかに、それは謝って欲しいところだった。
でも、出来ればあの場ですぐに、アタシじゃなくナミに対して言って欲しかった。
アタシがバラバラになってしまってどうにもならなくなった思考回路を直そうとしているときに、泣きそうになっていたナミをすぐに呼び止めて、たとえ『このバカが足踏み外しそうになったんだ』的なひどい言葉でもイイから言ってくれれば。
でもだからといって、すぐに言ってくれなかったフウマを詰る資格は、アタシには無い。アタシもあの一瞬だけフウマの熱を感じて安心してしまったから。案外単純に『吊り橋効果』とか言われるモノだろうとは思うけれど、完全に否定はできない自分がいた。
「そのことだけど、ナミには言ったのよね? アタシ、訊けなかったから」
「言ったよ」
「……良かった」
「で、一旦『お試し期間』は終わりってことになった」
「…………え?」
視線を合わせてないようにしていたけれど、あっさり失敗。とんでもない言葉が聞こえた気がして、フウマの方を見てしまった。
「まさか、アンタから言ったんじゃないよね……?」
「アイツからだ」
「そ、そうなんだ」
どっちから言い出したかなんてどうでも良かったのに、何故か訊いてしまった。そしてその答えに安心感を見つけてしまった自分を、少し信じられなくなってしまった。
「その時に言われたんだよ、ナミに」
「何て……?」
「『セナに謝っておいてほしい』って。『もしかしたら私は、セナにズルいことをしたんじゃないか』って」
「そんなこと……」
言いながらアタシは、ナミの言う『ズルいこと』が何なのかを探してみる。アタシたち四人に関わることで――とくにフウマに関わることで、アタシとナミの間にあったことは?
――あっさりと、見つかる。
「そんなこと、無い」
答えにも確信が持てた。
ナミが言っているのは間違いなく、『フウマに告白しようと思うんだけど』と相談してきたときのことだろう。あの時のアタシは何も考え無しにナミの恋を応援しただけだったけれど、その後のアタシの態度とかを見ている内に察するところがあったのかもしれない。
――もしかしたら、白水星凪は羽田風磨のことが好きなんじゃないか、と。
そんな予想がナミの中で確信に変わったのが、体育館のステージ裏でアタシとフウマが『抱き合っているように見えたこと』だったのかもしれない。
「あー、そっか。なるほど、ね。……そういうことね」
ひとつ、アタシも予想が出来た。ナミの考えそうなことだけれど、これはちょっと、と思えてしまうことでもあった。モノはついでということで、フウマにぶつけてみることにした。
「うん?」
「フウマ、もしかしてさ、『今度はセナとデーティングして』とか言われてないよね?」
「……お前、鋭いな」
やっぱりか。ため息とともに、涙が出そうになる。
どうしてそこで引っ込んじゃうかな、ナミは。アタシが引っ込んだように見えたからって、そこで足並みを揃える必要なんて無い。恋することに遅いも早いもないのと同じだ。
「平等に、とか。ホントに、……そんなの必要無いってのよ」
アタシはあの時スタートラインにすら立とうとしていなかっただけ。恋愛競争にノミネートもしていなかっただけ。だって数ヶ月前のアタシは『恋すること』すらよくわかっていなかったのだから。
「……うん。アタシにはそういうの必要無いや」
「だろうな」
同時に小さく笑い合う。が、フウマの言葉にはさすがに引っかかった。
「……ん? だろうな、ってどういうことよ」
「いやいや」
「何よ。気になるから言って」
距離感はそのままに口調だけで詰め寄ると、フウマは観念したように口を開いた。
「お前、アストのこと好きだろ?」
「……いきなり何を言うかと思ったら、そんな」
「ごまかすなよ」
バシッとシャットアウトされてしまう。上から目線なフウマの口からそういうことを指摘されるのは、やっぱりちょっとだけ納得がいかなくてはぐらかしてやろうと思ったけれど、残念ながらそれは出来なかった。
「さすがにな。あれはオレでも気付く」
「あれって?」
「さっきだよ、お前がアストを追っかけて行ったときだ」
本当についさっきの話だ。だけど自分の記憶は曖昧で、アタシは何をしたのか今ひとつ思い出せなかった。
「少なくとも、お前があんな声で男子を呼んだのは聞いたことなかったからな」
「……そんなにヤバかった?」
「ん。周りのヤツらがオレらをガン見するくらいにはヤバかったな」
それは恥ずかしすぎる。明日、学校を休んでしまいたくなるくらいには恥ずかしい。恥ずかしさで死ねるんじゃないかと思うくらいだった。巻き添えにしたフウマにも申し訳無い。
「ホントはあそこでこの話をしようかと思ってたんだけどな。……ああこれはダメだ、絶対無理だな、って思ったよな。オレじゃダメだな、アストなんだな、って確信したわ」
どうやらいつの間にか、アタシのココロは決断をしていたらしい。
そのことに気が付かされて、ようやくアタマでもこの恋心を理解しはじめた。
アタシ――白水星凪は、叶野翌音のことが好き。
「……ありがとね、フウマ」
「ん? お、おう。……感謝しろよ」
「うっさい、いつものキレが無いぞ?」
「お前もな」
気持ちの正体に名前がついて。その気持ちの向く行き先も解って。
ようやくアタシは『アタシらしく』なれそうな予感がした。