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その夜は星が良く輝いて見えた。
星座などない。ただ、毎晩様々な恒星が天体ショーを繰りひろげる。それを見上げるのが日課となっていた。
冷たいシャワーを浴び終え、固くなったパンと少しばかりのスープを口にしてから、寝支度を整え──といっても薄い毛布をはぐってスプリングの効かないベッドに寝転がるだけだが──すっかり芯から冷え切った身体を古びた毛布で包みながら、寝る前のひととき、テラスに座って夜空を見上げる。
そのテラスも単なるコンクリを固めただけの冷えた石の塊だ。座るとジワリと冷たさが伝わって来るが、それをなるべく意識しないようにして夜空に集中する。
本当はパイロットになりたかった。
父の部屋には見たこともない戦闘機や、宇宙船の模型が所狭しと並んでいて。
それは父の趣味で集めたもので、実際の仕事はすべて専用の端末機で行っていた。
作業する父の傍らで、それら模型をおもちゃ代わりに手に持ち、ディスプレイに映る様々な図面を食い入るように見つめていたのを記憶している。
父は子どもの年齢など関係なしに、様々な知識をソルに与えた。そして、それをスポンジのように吸い取る自分。
六歳になるかならないかで、今思えば相当な知識を得ていた気がする。だから宇宙船や輸送船の修理などお手の物だった。
そんな中、父は時折試験飛行を見せてくれる事があった。
父の携わった戦闘機に凛々しいパイロットが乗り込み、恐ろしい速度で広い宇宙を飛び回る。単純にその姿に憧れた。
当時より今の戦闘機はずっと進化しているだろう。それを思うとワクワクと胸が高鳴るのだが、如何せん想像するのが関の山で、パイロットになりたくとも、その資格がソルにはなかった。
必要な学歴がないのだ。
高等部を卒業していなければならないのだが、ソルの最終学歴は中等部で終わっている。
孤児院で通う事が出来たのは初等部のみ。中等部まではなんとか雇い主である農場主が行かせてくれたが、それも夜間だった。
それなら高等部の卒業資格を取ればいいのだが、その為には多額の学費が必要になる。日々の生活費を稼ぐのにやっとのソルにはそんなお金はどこにもなく。
奨学金制度を使えば良かったのだが、保証人が必要で。それ程裕福ではない当時の雇い主に頼むのは気が引けた。
そのまま今に至る。
せめてもと、給与を貯めに貯めて買った端末で様々な情報を集めるのが関の山だ。
自分はこのままこの辺境の星で、一介の整備工として一生を終えていくのだろう。
でも、それで十分。
自由な時間がここにはあって。
ここでこうして空を見上げ、夢想するだけでも幸せだった。平和だからこそ出来る行為なのだから。
幼い頃読んだ寓話を思い出す。たまには子どもらしいものをと父が持ってきた本にあった物語。虐げられていた少女が、王子に見初められる、そんなストーリーだった。
俺にシンデレラストーリーなんてあり得ない。
都合よくガラスの靴やカボチャの馬車を用意してくれる魔女など現れないのだ。
そろそろ寝ようかと小屋に戻ろうとしたところで、空に火球を見た気がした。彗星かと思ったがどうやら違う様で。
「あ…?」
よく見れば火球ではなく、戦闘機が一機、降下してきたのだった。
この工場に併設された滑走路を目指しているよう。しかし、その戦闘機には着陸時に必要なランディングギアが出ていなかった。故障したのだろう。
胴体で着陸を?
戦闘機がそんな着陸をすれば、あっという間に起きた摩擦熱が引火し爆発してしまう。すぐに消火の用意をと急いだ。
キィーンと耳慣れない金属音がし、続いて、ゴゴォと空気を震わす振動が起こる。辺りにあるもの全てが小刻みに揺れた。
それは久しぶりに聞いた戦闘機のエンジン音だった。
しかし、その戦闘機はどうやったものか、火花を散らしはしたものの、静かにまるで地面に落ちる羽毛の様に滑走路へ着陸した。
出火させてはと、撒いた水がしぶきをあげる。
暫く走ったのち、滑走路が終わる寸前でそれは止まった。機体の後部からは煙が出ている。シュンと音がしてコックピットが開いた。
「大丈夫ですか? 早く降りて下さいっ!」
ソルは戦闘機に駆け寄ると急いで促すが、パイロットはゆっくりと落ち着いた動作でそこから身体を起こし、コックピットから降りてきた。
縁に手をかけ、ふわりと降り立った姿は戦闘機から降りた様には思えない。まるでカーペットを敷いた階段を下りる様。
その様にぽかんとしていると、
「ああ、水をありがとう。出火はしない。ただ、しばらくこのまま置いておいてくれるか? 明日には機体も冷えているだろう」
ソルはコクリと頷いて見せる。
ここ数週間は、輸送船の修理は入っていない。というか、滑走路を必要とするような機体はここへ来ることはほぼないだろう。
声音で男性だと知れた。フルフェイスのヘルメットを取ると、闇夜にも輝いて見えるような金髪が零れ落ちる。肩にかかるか、かからないかのそれは吹いた風にフワリと揺れた。
男はひたりとこちらに目を向ける。
淡いアイスブルーの瞳。冴えた色のそれは一見すると冷たく刺すようだったが、若い星の輝きによく似ていた。青く凛とした光だ。
こんな人もいるんだな…。
それが初めて彼を見た時の感想だった。
戦闘機を駆るということは何処かの軍の士官だろうか。男は改めてこちらに向き直ると。
「私は…アレク・ラハティ。調整中の機体の飛行訓練だったのだが、少し無理をしすぎてしまったらしい。修理が終わるまでここに滞在させてもらってもいいか?」
「あ、はい。…っと、俺はソル・レイです。ここは修理工場なんで、幾らでも…。ただ、明日、工場長に聞いてからでないと即答はできないですが。滞在は…」
ソルはちらと自分の小屋に目を向けた。プレハブ小屋といってもいい。どこぞの軍の士官がゆっくり寛げるような場所ではない。
返答を躊躇っていると、アレクは可笑しそうに表情を崩した。
「眠れる場所さえあればいい。君はここに住んでいるのか? 他にひと気はないようだが…」
辺りを見渡した後、アレクは視線をこちらに戻す。確かに明かり一つ付いていないのを見ればそれも一目瞭然だろう。
「はい…。俺はここに寝泊まりしてます。一応、警備もかねて…。でも、あのぼろ小屋なんで、あなたみたいな人が眠れるかどうか…」
「アレクでいい。君に私がどう映っているのか分からないが、私はこう見えても野営には慣れている。地上のゲリラ戦でもそんなことは四六時中だったからな。君の家へお邪魔しても?」
「は、はい…。でも明日以降はどこかもっとましな場所を探してください…」
そう言わずともきっと一晩泊まれば十分だろう。ひと目見ればもう次はないはず。
ソルは済まなさ気に少し先を歩くと、小屋へと案内した。